甲虫のちょっとズルい"お先にどうぞ戦略"

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仕事は「すぐ」やるのが鉄則だ。しかし、賢い「先送り」によって、仕事がはかどり組織で生き延びることができる場合もあるのだ。

■進化生物学に学ぶ

「先送り」はどちらかといえばネガティブな言葉である。しかしその一方、ポジティブな面もなくはない。例えば、火事場の馬鹿力となるケースがある。先送りの連続で、デッドラインは目前。もう猶予はない。もし、それさえも先送りすれば、アウト。そんなタイミングでこそ力を発揮できる人もいる。

Active procrastination(積極的先送り)という言葉がある。追い込まれて先送りするのではなく、あえて自分を追い込むのである。

あるアメリカ心理学者が200人の大学生の行動パターンと性格の関係についての調査をした。その結果、わかったこと。それは、自信にあふれ、勉学に対する集中力が高く、効率的に時間を使っている人ほど、この積極的先送りをするケースが多いということだった。

先送りには、時間管理が下手、といったマイナスのイメージがあるが、そうではない先送りも存在するのだ。

心当たりのあるビジネスパーソンも少なくないかもしれない。締め切り効果で自分の持つ能力をフルにアウトプットすることで、面倒くさい仕事を一気に片づける方法はありなのだ(すべての仕事がそれだと大変だが)。

先送りを正当化する“援軍”はほかにもある。岡山大学大学院教授の宮竹貴久氏は、「先送りは生物学的に正しい」と語る。

「生き物の原点、それは“生きる”ことです。毎日を生きる。生き延びなければ、明日はない。生き物の世界には食うものと食われるものがあります。やるかやられるか。“殺戮”の世界です。これが現実です」

そう前置きしたうえでこう続ける。

「自然界では結果として、生き残れたものが強い。生物に求められるのは、次々と立ちはだかる苦境をやりすごすこと。襲いかかる敵をうまくやりすごす術と知恵を持つことなのです。それを“対捕食者戦略”と生物学では呼びます。そして、この生き物の中にひょっとしたら人間も含まれるのではないかと私は考えています。ビジネスパーソンにとっての死活問題、それは勤めている企業内外で起こることがほとんどでしょう。そこで、自分の立場を良くするのも悪くするのも、上司。上司に“食われない”ように、生き延びることが最優先課題です。そのとき有効なのが、前述の対捕食者戦略。とりわけ、時と場合により、先送りをする賢い知恵が必要なのです」

弱い者は自然淘汰され、強い者だけが生き残る。それが自然界の絶対のルールだ。人間も、その法則が適用される。とすれば、その先送り術はビジネスパーソンにとって必須のスキルということになる。

この生き物が実践している「先送り」に含まれる行為のひとつに「死んだふり」があるという。

「死んだふりをする。つまり動かないという行為は時に生き延びるのに最善の方法となります。ほ乳類から昆虫まで多くの生き物が天敵の前ではこれを実践し、効果をあげています。人間社会でも功を奏します(後述)」

■「死んだふり」の生存率は93%!

宮竹氏によれば、ニワトリは天敵の野犬に噛まれると一瞬、だらっとして動かなくなるという。すると、野犬は慌ててその獲物を放してしまう。そのスキにニワトリは逃げる。窮地をしのぐことができたのだ。

また、クワガタ虫などの甲虫を捕らえようとすると、止まっていた草木から落下して動かなくなることがある。甲虫の体の色は、地面の土の色に似ており、それを探し当てるのは難しい。

さらに、ハエトリグモとコクヌストモドキという甲虫をシャーレに入れて観察すると、クモは甲虫を襲うものの、動かなくなった獲物をやはり放す。死んだふりをする甲虫の生存率は93%だった。しかしこれが同じ甲虫でも襲われても死んだふりをせず動き回るタイプもいて、その場合、生存率は36%と低下する。

どうやらクモは、動かないものを食べ物でないと認識し、ちょろちょろ動き回るものをエサだと認識して、捕食するというのだ。この傾向が人間社会にもあると宮竹氏は語る。

「死んだふりの有効性は、企業の人事や業務の割り振りなどでもしばしば見られることです。誰かが担わないといけないハードルが高めの仕事、誰かが務めなければならないハードな出張、誰かがやらなければならない面倒くさいミッション……。もし、その仕事が得意なら別ですが、そうでなければ、下手に手をあげたり、首をつっこんだりするとかえってやぶ蛇となることがあるでしょう。マイナス評価の対象となったら、死活問題となるかもしれません」

通常、社内的には、自分の存在感が大きいほうがいいが、案件によっては“気配”を消す芸当を身につけるべきなのだ。敵(上司)の注意を他者(他の同僚や部下など)に向かわせて、自分は助かる。逃げるのではない。判断をいったん保留して「今は(仕事を引き受けるか否か、などを)決めない」ということを決めるのだ。

例えば会議上、「何かいいアイデアは?」と聞く上司に対して、やる気のあるところを見せようと無理をして意見を述べたら、「では、あなたがやってみて」などとハードルの高い仕事を自ら迎え入れてしまうような“悲劇”は回避したいものだ。

ただ、こうして提案しない人が生き延びるのは、前述の実験の死んだふりのできない甲虫のようにあらゆる問題に対処しようとする他者がいるからこそ、成立する。その前提は忘れてはならないだろう。

「ビジネスにせよ何にせよ、状況は、刻々と変化します。『今、やらなければ意味がない』『すぐやるべき』といわれる業務も、あとになってみれば、結局、『やらなくてもよかった』『時間が解決してくれた』となることもよくあります。だから、何でも今すぐやろうとせずに、問題を“棚上げ”することで面倒くさい仕事などを事実上“片づけ”られるのです」

■ちょっとズルい「お先にどうぞ戦略」

いわば「after you(お先にどうぞ)戦略」とでもいうべき、ちょっとズルいけれど、賢い仕事の片付け方だ。

世の中、トップランナーがずっと勝ち続けることは難しい。先行するベンチャーがマーケットを開拓したものの、そこでより洗練されたビジネスモデルを他の大手企業などが多額の資金を注入するなどしてシェアを奪うというパターンは少なくない。2、3番手が最終的に成功するケースも多い。その意味でも、「拙速に動く」のではなく、意図して「うやむや」「やりすごし」「死んだふり」……という悪知恵を働かすのも、大事なのである。

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宮竹貴久 岡山大学大学院教授
同大学院環境生命科学研究科教授。琉球大学大学院農学研究科修了後、沖縄県職員として10年以上勤務。九州大学大学院理学研究院で理学博士を取得後、ロンドン大学生物学部客員研究員を経て、現職。著書に『「先送り」は生物学的に正しい』『恋するオスが進化する』ほか。

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(フリーランス編集者/ライター 大塚 常好)