『よわむし』(双葉社)

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 先日、性犯罪を厳罰化する刑法改正案が施行された。これにより、強姦罪という名称は「強制性交等罪」に改められ、法定刑の下限が懲役3年から懲役5年に引き上げられた。また、強姦罪や強制わいせつ罪などに問うために必要だった被害者の告訴が不要となり、親告罪ではなくなった。

 性犯罪に関する刑法の改正は約110年ぶりになり、一定の前進を見たと評する声もある一方、被害者団体が撤廃を求めていた罪の成立に「暴行または脅迫」の立証を必要とする項目などはそのままであり、まだまだ議論の余地を残している。

 これに対し、元人気AV女優で現在は写真家や画家として活動する大塚咲は、ウェブサイト「HUFFPOST」のインタビューでこのように答えていた。

「親告罪ではなくなったのはいいことだと思うけど、『5年か』って鼻で笑ってしまいましたよ。身体を傷つけたら厳しい罪に問われるのに、心ってものに対してはずいぶん価値を低く見積もってるなと。レイプは魂の殺人です。だからそれなりに罪を重くしないと。最低5年では、今後も被害者は減らないと思います」

 彼女がこのように語るのは、15歳のときにレイプ被害に遭い、それからの人生を苦痛に満ちたものに変えさせられてしまったという経験があるからだ。大塚は今年6月に自伝本『よわむし』(双葉社)を出版。レイプ事件や、それによるトラウマとフラッシュバックに悩まされ続けた人生を告白し、話題となっている。

 事件は日曜日、英語検定の2次試験を受けに学校へ向かう途中で起こる。学校のすぐ近くで見知らぬ男にナイフを突きつけられて襲われたのだ。その事件について彼女は本のなかでこのように綴っている。

〈見知らぬ男に捕まえられた事、ナイフを突きつけられた事、首を締められた事、意識を失った事、男の手が私の体を触っている事、性器を挿入されている事、口の中に舌を入れられた事、全てが突然落ちてきた恐怖だった。
 その未知の恐怖は"私の現実"とは思えなかった。この男の目、欲に満ち興奮しきった真っ黒な穴の空いた目だけが、なぜかリアルに感じた。
 さっき突きつけられたナイフが、男のズボンに付いているキーチェーンとぶつかって、男の腰が動く度にチャラチャラと甲高い金属音を立てている。その音は、恐怖心を煽り、私の顔を引きつらせ、怯えた表情が男の興奮を煽っていた。男の欲望の心理に気が付いた私は、反射的に男に対して強烈な殺意を覚えた。でも、殺意は己の無力を知るだけの力しか持っていなかった。
 自分の命を助けるために、私は男の言いなりになるしか方法がなかった。だって、それしか出来ない。この男を殴って逃げる事も、ナイフを奪って男を刺す事も私には出来ない〉

 とんでもない事件だが、しかし彼女はこの被害を誰にも打ち明けることができなかった。友だちや学校の先生や警察はもちろん、親にさえも。それは、被害を口にしてしまうことで親を混乱させたり傷つけてしまうことを恐れたからであり、また、被害を受けて周囲が動揺している状況を受け止めきるだけの余裕がなかったからでもある。

 前述のインタビューで彼女が語っている通り、彼女はこの被害で「魂を殺された」状態に陥った。それ以降、彼女はしばしば事件のフラッシュバックに苦しむようになるが、特につらかったのは、学校のすぐ近くが被害現場であり、通学する度に否応なくその記憶と触れ合わなくてはならない環境にあるということだった。

〈楽しく過ごしていた学校は、あの日から恐怖を思い出す場所になった。学校に行く事は被害現場に行く事であり、被害現場を見ながら過ごす事だった。毎日のようにそこに自分を連れて行かなきゃいけないなんて私はどうしてこんな運命なんだろうか。その運命に納得も諦めもつかないまま、とにかく頑張ろうって、私は学校に行くことを選んだ。けれど、自分の力ではどうしようもない症状が私の心と体を襲い、それと戦う毎日が始まってしまった。
 白い靄は学校に着く頃になると現れ始め、私の視界を塞いでゆく。視界のすべてが靄の中。他者から見た私は、いつも通りの元気で明るい私だったろう。靄がかかっていても、耳鳴りがしても、手足が痛んでも、息が苦しくても、私は友達と普通に話をしていた。
 フラッシュバックが起きて、頭の中で犯人の男の目がニタニタと私を見ていても、私は友達の恋愛相談にのっていたし、友達が行ったという合コンの結果を大笑いして聞いていた。耳鳴りが激しくなると、私は音がキンキンうるさくて痛むほうの耳を手で塞いで、つーっと流れる冷たい汗を拭っていたけれど、冗談を言ってみんなと同じようにふざけ合った〉

 こういった状況で学校に通い続けることは難しく、残念ながら退学を余儀なくされる結果になってしまう。

 その後は、事件を機に植え付けられてしまった男性不信のせいで初恋の相手とのセックスでもフラッシュバックを起こしてしまったり、また、男性がもつ性的欲求への恐怖心やトラウマから、逆に奔放な性生活を送ったりなど、かなり荒れた青春を送ることになる。

 そして、転校した単位制高校を卒業した後に選ぶことになるのがAV女優という職業だった。レイプ被害に遭った彼女がなぜそういった職業を選ぶことを決めたのか。そこには大きく二つの理由があった。

〈私は自分の心の傷と同じような傷を持った仲間を求め始めていた。そして、ふと、AV業界には、私と似た経験をしている女性が多いと何かで読んだ事を思い出した。
 そこに行けば仲間がいるのかな? どんな生活をしているのかな? AV業界ってどんなところだろう......そこは、ダークなイメージだ。社会の底辺? 汚い業界? 欲だらけの世界? 本当にそうなのかな?
 どんな大人がいるんだろう。どんな子がいて、どんな理由を持っているんだろう。私はそこで何が見れるんだろう〉

 そしてもうひとつが、なぜ自分は性犯罪の被害に遭うのかという理由探しだ。実は、彼女が性犯罪の被害にあったのは15歳のレイプ事件がはじめてではない。小学校4年生のときには自宅マンションのエレベーター内で見知らぬ男に胸を触られ、ちょうどその頃から痴漢の被害にも遭い始めた。また、公園で遊んでいると、20歳ぐらいの男から頭にガムをつけられるというイタズラも受けていたという。彼女はその理由を探そうとした。

〈それに、私は私の理由を知りたい。どうして、こんなに性犯罪の被害にあう? どうして、子どもの頃からそうなの? 私の外見が性的興奮を抱かせるのだろうか。それなら、もうそうだって決め付けてしまいたい。
 あの業界に行って、売れよう。そしたら、諦めがつく。だから、しょうがなかったんじゃないかってそう思ってしまったほうが、いっそ、納得がいく。
 私は、性という欲が怖い。性が怖いなら、そこに私を投げてしまえ。荒療治って言うけど、きっとそれだ〉

 結果的にこの「荒療治」はどうなったのか。10年近くにおよぶAV女優としてのキャリアのなかで何が起こったか、特に、売れなかった時期に起きた度重なるセクハラやブラック労働の数々に関しては同書を読んでいただくとして、その決して短くない時間のなかで彼女は、なぜ自分がAV業界に入ろうと思ったのかという本当の理由を悟る。

〈それでも私はAV女優を寿命までやり切ろうと思ったし、そうでなきゃダメだと思った。その妙な執着心を持つ自分自身に疑問を覚えた。
 私がAV女優になったのは、犯人の影を追った行動だという事に、その悩みの中で気が付き始めていた。
 犯人の理由を知りたい。それを追求するあまり犯人に似た人間と接触を図ろうとする被害者の心理と同じ理屈で、18歳の私は影響を少なからず与えた可能性があるだろうAV業界に近づいた。自分の心の裏側には、そういう心理があった。
 私という人格を奪った性というものの正体は何なのか。AV業界に身を置けば、それが分かると思った。性の善と悪を自分の体験として感じようとした。そして、軽んじられた私の存在をそこに刻めば、性により失われた自分の存在を知らしめる事が出来る。私は、知らしめなければならなかった。それは、あの日私が抱いた復讐心をAV業界で終わらせようとしていたからだ。
 私は、そうしなければ生きていけないと感じるほどに、あの日の復讐心を満たそうとした。そういう無意識な心理が、自分を突き動かしていた〉

 そして、彼女は人気AV女優にのぼりつめた。前述した通り、彼女はAV業界に入るときに、もしもAV女優として売れたら〈私の外見が性的興奮を抱かせる〉ということの証明になり、自分がしばしば性犯罪の被害に遭うことの説明がつくとしていた。しかし、彼女はAV業界でのさまざまな体験を通じて、その認識も間違っていたということに気づくようになる。

〈加害者が狙うのは、自分よりも腕力の弱い相手、自分の強さを見せつけられる相手、自分の立場を利用する事が出来る相手、事件を隠す事の出来そうな相手だ。
 被害者は外見が目立つから、被害にあったのではない。被害者への誤解は多く、被害者の外見のせいではないかという社会の風潮がある事で、私も自分のせいなのではないかと思い込む節があった。しかし、それは間違いだ。男女問わず子供に被害者が多いのは子供の立場や力が弱いからだ。
 小柄な女性に被害者が多いのも同じような理由だろう。加害者は自分よりも立場や力が弱い人間しか狙わない。それくらい加害者の心は未熟で弱いのだ。それを知っていけば知っていくほど犯人を責め続ける自分の心にも決着が着いた〉

 性犯罪に手を染めてきた男こそ実は「弱い」存在で、弱いからこそ自分よりも弱い存在を貶めることしかできない。本当の意味で未熟で弱いのは彼ら加害者だ、と彼女はいう。このように折り合いをつけることで、以前のようなフラッシュバックなどからも解放されてだいぶ楽になったというが、しかしだからといってすべてが終わったわけではない。この心の傷は一生続いていくもので、加害者の罪が消えるわけではない。

〈しかし、いくら犯人の心の傷が弱さだと理解したって、心からは許せる事ではないのだという事も知った。加害者にどんな理由があろうとも、心から許す事は、やはり難しい〉

 彼女は自伝のタイトルを『よわむし』と名付けたが、その題の意味をウェブサイト「ダ・ヴィンチニュース」のインタビューでこのように語っている。先に述べたように本当の「よわむし」は弱い立場の人間を襲うことでしか自らの欲望と向き合えない加害者のほうであり、また、性犯罪被害を正しく認識し受け止めることのできない社会であるということを表したタイトルなのだという。

「よく『これってあなたのことですか?』って聞かれるんですが、そうではないんです。犯人もそうですし性犯罪が起こる、女性の性に対して理解のない社会の弱さが、被害者を生み出しているのだということを言いたくてつけました」

 安倍政権御用ジャーナリスト・山口敬之氏のレイプ揉み消し疑惑を告発した詩織さんに対し、「会見のときに胸元が開き過ぎ」などといったセカンドレイプが平気でネット上に溢れる。そんなグロテスクな状況だからこそ、この大塚の本は広く読まれるべきだ。