東京に生きる、結婚しない女性のストーリー。今回の主人公は、法律事務所で働くゆかり(35歳)。

ふたりの寝息しか聞こえない部屋に、スマホが震える音が冷たく響いた。画面を見ると0:00の文字が並んでいる。ゆかりはそっと隣で寝息を立てている篤史の体を揺さぶり、起こした。

柴犬のような表情で「あ、もう時間か」と言い、ベッドから抜け出して服を着る。シャツもスーツも銀座の有名テーラーのネーム入りだ。かすかな衣擦れの音が続き、ベルトをしめる耳障りな音がしてから玄関に向かう。ダイニングキッチンのテーブルの上には、2枚の取り皿、2つのコップが置かれており、ここで数時間前に2名が食事をしていたという状況証拠になっていた。

手を繋いで高円寺駅まで歩き、改札に消える篤史の背中を見送った。スッと伸ばした背筋、43歳とは思えないほどの豊かな髪がホームに向かう階段を上り、視界から消えるまで見送っていた。篤史はこれから妻と娘が待つ国立の自宅に帰るのだ。

この2年間、毎週火曜日か金曜日に、篤史はゆかりのマンションに通うようになっていた。その日は、篤史の妻が娘たちを連れて、近所の実家に遊びに行く日だという。家庭のことはあまり話さないが、夫婦仲は円満のようだ。それでも男は妻とは違う女を求める。今、婚外恋愛を描いた『1122』というマンガがヒットしているという。ゆかりも読んだが、性というつながりが消えかかっていても、妻は絶対的な存在なのだと再認識し、軽く落ち込んだ。

それでもゆかりは、好きな男と一緒にいる時間を確保したいために、火曜・金曜は予定を入れず、彼の好物である和惣菜をテーブルに並べて待っていた。

名門同士、高年収同士……同類同士が結婚する、それが今の結婚の真実

深夜0時30分に誰もいない自宅マンションのドアを開けると、かすかに篤史の気配が残っていた。白のコットンワンピースを脱ぎ、ベッドに潜り込む。布団の中の暗闇に、親密で懐かしい篤史の臭いが残っていた。そこに1人で横たわっている自分自身にうんざりしながら、ゆかりは妻との違いを考えた。

篤史の妻は、私立名門大学の幼稚舎からの同級生だという。今まで7人の男性と不倫の関係を持ったが、夫婦というのは同類なのだ。彼らはたまたま異性だったから結婚したにすぎず、同性だったら親友になっているはずなのだ。だから性的な関係が消えていくのは当然であるし、恋愛的なときめきどころか、愛情から遠く離れても、相棒として存在し続けることができる。

しかし、恋愛は……特に不倫は相手が全く理解できない異世界人だから惹かれてしまう。分別のある大人の女が、会うほどわからなくなり、相手の思考や行動に翻弄され、理性が感情に飲み込まれ、心の深いところが刺激されて離れなくなった頃に、男側が飽きる。その繰り返しだ。

不倫の恋愛関係は、結局は互いに日常という軌道に戻り、女は孤独へ、そして男は家庭に帰っていくのだ。

ゆかりの初体験は遅く、25歳で相手は10歳年上の既婚者の弁護士だった。長女体質のゆかりは、誰かに甘えたいのにそれを出せない部分がある。それを年上の既婚者は見抜き、体よりも先に心をとろけさせてくれた。そして、長野県出身のゆかりに、“東京の贅沢”を覚えさせた。西麻布のビストロで食べた牛の胎児の味、東京タワーが見える外資系のホテルのスパのマッサージ、ソムリエがすすめてくれたオレンジワイン、生き神と言われる寿司職人が握るコハダ……今でもその経験は、ゆかりの五感にたくましく残っている。

関係が終わったのは出会いから1年後、彼の妻がゆかりの勤める法律事務所に突然遊びに来たことだった。彼の妻は国際的に活躍する弁護士で、若々しく美しい。名門小学校に2人の娘を通われせる理想的な母親でもあった。よく「妻が冷たい」と言っている彼は、いつかは離婚してゆかりと再婚するのではと思っていたが、それは未来永劫にない、と殴られたような気持ちになるほど圧倒的な存在感だった。結婚は同類同士だからできるのだ。その事実にぶちのめされた。

ハイヒールの音も高らかにやってきた彼の妻は、英語がかった日本語で「突然ごめんなさいね〜」とハリと意思がある声で言った。そしてゆかりたち事務員が、姿を見かけるたびに深々と礼をする代表の弁護士に軽口を叩き、禿頭や出た腹をからかっていた。普段、めったに笑顔を見せない代表もそれを楽しそうに受けているだけでなく、頬を上気させ嬉しそうにしていた。彼の妻が帰り際に「これ、皆さんでどうぞ」と1個350円はするマカロンを30個、ゆかりに手渡した。そのとき耳元で「ずっと知ってるのよ」と小さくささやいたのだ。

両親が教師のゆかりは、小中高と地元の公立校で勉強ばかりして、東京の名門大学に進学した。

不倫が妻にバレてどうなったのか、そしてなぜ既婚者ばかりと恋愛してしまうのか……〜その2〜に続きます