松江哲明の『築地ワンダーランド』評:築地で生きる人々を捉えた“日本らしくない”ドキュメンタリー

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 僕は東京生まれ東京育ちなんですが、身近な存在でありながら、築地のことは知っているようで知らなかった。銀座周辺の試写室に行く時、少し早めに築地で降りてご飯を食べる、それぐらいお気に入りのお店はあるんですが、築地がどんな歴史の上に成り立っているのか、どんな人たちがそこで生きているのか、その本質的な中身について、知ろうとしていなかった。築地、特に築地市場“場内”に関しては、「一見さんお断り」のイメージがあったというか、職人たちの聖域を一般人が侵してはいけない敷居の高さがあったんです。そんなこれまで知ることのできなかった築地の世界が『築地ワンダーランド』では、まさに“ワンダーランド”として、魅力的に描かれています。ドローンで上空から撮影された映像が何度か映りますが、まるで遊園地のように見えました。

参考:『築地ワンダーランド』は“魚を食べる”認識が変わるーー築地市場の深部を捉えたドキュメンタリー

 イメージが大きく変わった点としては、築地で働いているみなさんはある種の“職人”だと思っていたんです。縦社会の体育会系気質の方々というか。もちろん、そのイメージに間違いがあったわけではないんですが、セリの駆け引きや漁獲量の動きを推測する姿は、体育会系ではなく “理系”でした。会話ひとつとっても、何気ない「元気?」という挨拶の言葉からもう駆け引きという戦いが始まっている。登場する方々のやり取りや、セリのシーンにはヒリヒリするようなスリリングさも感じられます。

 劇中で素敵な言葉だと思ったのが、「ついていい嘘もある」。仲卸さんと買出人の駆け引きの中で、いい仕事をするためにつく嘘。これは映画もそうなんです。人に何かを伝えるときに、ついていい嘘と、ついてはいけない嘘の二種類があると僕は思っています。コンピューターじゃないので正解だけでは関係性は築けないんです。築地の方たちは前者の嘘をついていますよね。そこに人間味を感じます。

 日本のドキュメンタリーは、被写体と作り手の関係性が最重要となっているものがすごく多いと思います。監督と被写体がぶつかり合い、そこで生まれるエモーショナルなものを大事にして、ビジュアルに特化した“格好”を付けるのをよしとしない風潮がある。もちろん、そういった素材を活かす手法は大切なのですが、もう少し観客に向けて、見栄えを大切にすることも重要だと思っています。海外のドキュメンタリー作品は、この格好付けが作り込み過ぎていると思う部分はあるのですが、そこを大事にすることで観客を惹きつける力が強いものが多い。その点において、『築地ワンダーランド』は作り込みの部分と素材のよさが非常にいいバランスで作られているドキュメンタリーだと感じました。

 ナレーションを英語にしていたり、英語字幕を付けている箇所があったり、演出の仕方も明らかに海外を意識した作りになっています。おそらく、「すきやばし次郎」を捉えた『二郎は鮨の夢を見る』(監督:デヴィッド・ゲルブ)も参考にしたのではないでしょうか。『二郎は鮨の夢を見る』では、米国人監督だからこそ分かる、日本人が気づかない日本の魅力が映し出されていました。例えば、同じテーマを「情熱大陸」で撮った場合、被写体の弱さや葛藤を捉える泥臭い密着ものになる。でも、『二郎は鮨の夢を見る』はひたすら彼らの“美しい”部分を捉えていた。もちろん、それによるデメリットもありますが、幅広い観客に向けて、知られざる魅力を伝えるという点においてはこの手法が有効なように思います。先日もドイツに行った際にDVDコーナーで面陳で置かれていたのを見つけました。美しいものを、より美しく撮る、というのもドキュメンタリーの持つ力の一つだと思いますよ。

 『築地ワンダーランド』も、従来の日本のドキュメンタリー作りをしていたら、移転問題をはじめとしたネガティブな面にフォーカスを当てたものになっていたと思います。本作の中では、築地市場の移転問題や老朽化について声高な主張があるわけではありません。映画の中で疑問を提起し、観客にその問題を考えさせる映画はもちろんあります。ただ、その手法は観客自らが考えることを破棄させることにもつながる。それよりも、本作が描いている、築地がどんな場所か、どんな人がそこで生きているのか、それを知ることの方が、いま起きている問題を観客が考える一番のきっかけになると僕は思います。

 映画は残っていくものです。リアルタイムで問題となっている“ニュース”を描いても、それは10年後、20年後の観客に届くものにはなりづらい。その“ニュース”の中でどんな人が生きていたのか、その姿を数年後の観客も知りたい。築地について考えたいと思った時、ワイドショーで何週もかけてダラダラ観るよりも、本作を観ることが本質的な築地への理解につながると思います。だから今回のソフト化もとてもいいタイミングだと思いますし、今見るべき作品です。

 月永雄太さんや、百々新さんなど、劇映画を手がけているカメラマンが撮影にクレジットされていましたが、すごく沢山のカメラマンが本作には携わっていました。これだけのカメラマンがいて、長期にわたる取材、撮影素材の量は膨大な数となります。しかし、映像には統一感がありました。

 ドキュメンタリーの編集で、“苦しく”なってしまうのは、取材対象者に密着して関係性を作っていて被写体と格闘するような場合です。素材を作品にしていくということは、被写体が求めていたものとは違う切り取り方をすることも出てくる。結果として、作品として公開することで被写体を裏切ってしまう、傷つけてしまう可能性があります。監督は被写体のそういった負の部分も背負う覚悟が必要なわけです。でも、本作はそういった作り方はしていません。もちろん、編集をして映画にする作業は大変な作業だったと思うのですが、同じドキュメンタリー監督の目からも、遠藤監督が楽しんで作ったんだろうなというのが伝わってくる。映っている方たちが、みんなウェルカムな形でカメラに接している。もちろん、簡単に取材ができなかった人はいると思うのですが、基本的に誰もがカメラに協力的なんですよね。築地を映画として残すこと、自分の仕事を撮ってほしい、というポジティブな関係性が垣間見える。逆に言うと、ネガティブな面が見えないというのは、ネガティブになりえる問題を掘り下げ過ぎていないから。取材を受けた方々もいろんな不満や悩みは必ずあると思います。でも、そこを描くのではなく、彼らがどう生きているかという方向のみに絞っている。だから、遠藤監督の人柄がインタビューを通して伝わってきます。

 遠藤監督の感情が垣間見えたのは、最後のある場面で発した「寂しいです」という一言。そこまで、一定の距離を保っていたからこそ、一瞬見せた監督の感情がより際立っていたように感じました。『ドキュメント72時間』のような、俯瞰する位置にいたはずなのに、ここだけは抑えきれなかったものがあったんでしょう。ドキュメンタリーは現実を撮る手法です。「こういうものを撮るぞ」と決めていても、必ず外れるんです。そして、その時こそが大事だと思います。

 築地で生きる方々の魅力に加えて、本作の主役はとにかく美味しそうな魚たち。観終わった後、すぐに魚を食べに行きました(笑)。尾久に大好きな定食屋さんがあるんですが、本当に安くて美味しいんです。『築地ワンダーランド』を観た後だと、きっと店主の方も映画に登場するような仲卸の方たちといい付き合い方をされているんだろうなあと想像してしまいました。おそらく本作を観た人の誰もが、自身が口にする魚の背景に、映画に登場する方たちの姿を思い浮かべるようになるのではないでしょうか。(松江哲明)