8月6日、広島に原爆が投下されてから72年が経過する。

 被爆者の平均年齢は80歳を越え、当時を知る世代が年々減少している。こうしたなか、高校生が映像や音を使った最新技術を使って、記憶を語り継ごうとしている。その取り組みを『けやきヒル’sNEWS』(AbemaTV)が取材した。

■一番つらいのは遺体の映像を制作する作業、眠れない夜も

 取り組みを行っているのは、広島県立福山工業高等学校の計算技術研究部の生徒たち。部活動でバーチャル映像を作る彼らが今回テーマに選んだのは、「原爆投下直後の広島」だ。

 1945年8月6日午前8時15分。アメリカ軍の爆撃機が広島に原子爆弾を投下。一瞬にして街は消え、14万人以上の命が奪われた。

 今回彼らは、最新のVR技術を使って原爆投下直後の広島を再現しようという。「原爆というものを全然知らなかったので、想像にならないように資料をしっかり見て作るということを心掛けている。でもやっぱり難しいですね」と話すのは、中心となって制作にあたる部長の平田翼さん(18)。計算技術研究部の部員は現在13人で、原爆の被害に逢った人が身の回りにいない生徒ばかりだ。

 実際に、“広島市内・爆心地から半径300メートルの様子”を体験した楪(ゆずりは)リポーターは、「足元にはご遺体が再現されています。建物も何も残っていません。午前8時15分なのに爆心地はこんなに暗かったんですね」と、リアルな映像への感想を述べる。

 一番つらいのは、原爆によって命を奪われた遺体の映像を製作する作業だという。平田さんは「むごいっていうんですかね。やっぱり、少し心が重くなりますね。亡くなられた方の映像を作っていいのかなという思いはあったんですけど、“誰かが作るべきなのかな”と。“じゃあ僕が作ろう”という思いになった」と話した。遺体の映像製作は葛藤の日々で、眠れない夜もあったという。

 それでも、被ばく者たちの声に生徒たちは励まされてきた。長谷川勝志教諭は「被ばく者のご遺体を描くというのは、“冒とく”になるのではないか。そんな私たちに力をくださったのが被ばく者の方たちの声でした。『遠慮せずあの時の地獄と極力似た状況で作ってほしい』と皆さんに言われた」と明かした。

■「受け取ったバトンは次の世代に引き継いでいきたい」

 原爆の日を前に、平田さんたちは当時の広島をよく知る人に会うため平和記念公園にいた。

 茺井徳三(はまい・とくそう)さん(83)は、原爆投下前、爆心地近くの中島本町で暮らしていた。中島本町は原爆により壊滅状態になり、家があった場所は現在、平和祈念公園になっている。

 茺井さんは理髪店の二男として生まれたが、原爆に父や母、兄、姉、町、すべてを奪われた。茺井さんは、12kmほど離れた学童疎開先の叔母の家で、立ちのぼるきのこ雲を見たという。

 「家があった場所は焼けただれた後で、中島本町は完全に全滅していた。「帰っておばあちゃんから『どうだった?』と聞かれて、私は『誰もいなかった』と大きな声で泣いた」と話す茺井さん。しかし、今でも当時のことを話すのには抵抗があるという。それでも、「忘れてはいけない」という思いで、平和への祈りを若者に託した。

 「みんな、平和に興味を持ってくれて嬉しいよ。広島にこだわってください。大好きな街じゃけぇ」

 平田さんたちは今後、原爆投下前の広島も再現しようとしており、彼らが伝えたい“ヒロシマ”は、来年夏の完成を目指している。平田くんは、「僕たちが受け取ったバトンは次の世代に引き継いでいきたいので、できるだけ頑張って原爆の恐ろしさを伝えていきたい」と話した。

(AbemaTV/『けやきヒル’sNEWS』より)

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