まんしゅうきつこ●漫画家・イラストレーターとして活躍。著書に『アル中ワンダーランド』(扶桑社)、『ハルモヤさん 1』(新潮社)がある。『週刊SPA!』にて「湯遊白書」を連載中。

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 個人で毎週こつこつ配信しているメールマガジンで、2年近く前に『捨てられないTシャツ』という連載を始め、それがこのほど単行本にまとまった。完全に思いつきの、どれくらい続けられるかもわからない企画だったが、始めてみたら思いのほか楽しくて、「なぜこのTシャツが捨てられないのか」という思い出話を聞いたり、ときには持ち主本人に書いてもらったりしているうちに、70枚のTシャツと、70人のヒストリーが集まった。

 Tシャツというささやかなきっかけを通じて知った、たくさんの人間のリアルはほんとうに興味深かったが、同じくらい興味深かったのが、70枚のうち「欲しい」と思えるTシャツが1枚もなかったこと! ファッション雑誌に出てくるようなトレンディなTシャツも、アメリカンな香りの古着Tもほとんどなくて、かわりに登場するのは買うどころか貰っても微妙……というデザインばかり。

 でも、そういう「ダサT」が、こころをぐっとつかまれるような物語と合わさると、突然すばらしく輝いて見えてくる。そこにTシャツというものの魅力があるのだなと、いまごろになって気づいたのだった。

 とても高価なブランド物の新品Tシャツをファッションモデルが着てみせても、そこにはなんの物語も存在しない。とてもダサいTシャツを着たひとがいて、でもそのひとが語ってくれる人生や体験が最高に魅力的だったら、ダサいはずのTシャツだって最高にかっこよく見えてくる。

 Tシャツとは、あらゆる服のなかでたぶん唯一、商品になったときではなくて、人間が着て、時間がそこにくっついたときに初めて完成する、そういう不思議な生きものなのだ。

都築響一

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◆まんしゅうきつこさんの『捨てられないTシャツ』

 埼玉県熊谷市出身、3人姉弟の長女。田舎というわけでもないけど、ちょっと電車に乗れば都会にも行けてしまうから、都会の人に対して憧れというか「どうせ熊谷だし」みたいなコンプレックスがあった。

 小さいころは、ザリガニやウシガエルのオタマジャクシを捕まえたり、知らない犬を追いかけて隣町にいって何度も迷子放送を流されるような元気な子どもだった。ザリガニは食べたこともある、歯ごたえのある海老のような感じだった。

 中学時代もめちゃくちゃ活発だったけど、高校受験に失敗してから性格が一気に暗くなってしまった。入った高校は共学とはいえ、男女別棟でほとんど女子校みたいな感じ。でも高校2年生のときに好きな人ができて、おしゃれに気を使うようになった。もともと少女漫画に出てくるような爽やかイケメンが好きで、その好きになった人も背がすごく高くて少女漫画から抜け出たようなモテるひとだった。最終的に友達にはなれたけど。

 高校時代はいまだに自分の人生に影を落としているくらい、本当につまらなくて、早く大学生になりたかった。行くならなるべく面白そうな大学がいいなと思って日大芸術学部に進学、熊谷を出る。大学に入ってできた初めての彼氏の家に転がり込んだ。この同棲生活は2年ぐらい続く。ただ「一緒にサボろうぜ」と常に言うような頑張る人を小馬鹿にする彼氏だった。単位が足りなくて大学は結局1年留年することに。

 小学校のころから漫画だけはめちゃくちゃ読んでいた。最初は柊あおい先生、岡田あーみん先生、さくらももこ先生とかの『りぼん』全盛期。そのあと『花ゆめ』にいって、明智抄先生、日渡早紀先生とか。少年漫画も『ジャンプ』を早売りジジイのところまで行って買っていた。

 ずっと読む側だったが、大学生になると急に描く側になりたくて、自分でも漫画を描き出す。もう少し背景の描き方とか技術をちゃんと学びたいなと思っていたら、そのころ読んでいた『スピリッツ』で江川達也先生がアシスタントを募集していて、イラストを描いて送ったらめでたく採用。それで大学3年生からアシスタント漬けの日々になった。江川先生が全盛期の時代だったので、仕事はすごく忙しかったけれど、単行本がでると印税からボーナスを出してくれたり、基本的な給料もかなり良くて、大学生なのにけっこうなお金を持っていた。結局アシスタントは1年続け、トレースや切り貼りやベタフラの技術を身につけることができた。