ジョジョ・ゴメスさんは、プロのダンサーになる決意を胸に、高校を卒業した翌日、L.A.に引っ越した女性。その後はジャスティン・ビーバーのライブで踊ったり、『The Voice』などのテレビ番組でパフォーマンスをしたりと大活躍。

5年前、ゴメスさんは自分で振付をした映像をYouTubeやインスタグラムに投稿するようになり、それによってダンスを教えたり、ティナーシェやバックストリート・ボーイズなどの大物アーティストの振付を担当するという機会が与えられたのだとか。「人々を驚かせるようなことがしたいの」と、自身のモットーを語る23歳のゴメスさん。そんな彼女が辿ってきた、普通の女の子がセレブのバックダンサーになるまでの道のりを、コスモポリタン アメリカ版から紹介します。

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私は自分らしくいることにおいて、恐れることも、怯むこともしませんでした。

「ニュージャージー州で育った私は、小さい頃時々親に連れられてブロードウェイの舞台を観に行きました。それはいつしか私の中で最も大きなインスピレーションとなり、いつかブロードウェイで踊りたいという夢を抱くようになりました。

11歳の頃には、既にあらゆるクラシックダンスのトレーニングは受けていました。両親も私がダンスに対して真剣であることを知り、もっとトレーニングを受けさせるため、様々なダンスの大会やツアーキャンプなどに申し込ませてくれました。そこからどんどん自分の世界が開けていったように感じます」

Have a beautiful Monday!

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「それらの活動のため、L.A.やカナダなどへ週末を跨いで参加しに行っていたこともあって、私は学校をよく休みました。先生たちからは、いつも宿題をたくさん課されました。でも、元々学校がそこまで好きでもなかったので、学校に行けないことはまったく嫌ではありませんでした。学校では、服装のせいか、ピンクに染めた髪の毛のせいか、はたまた派手なメイクのせいか、私はいつも1人浮いていました。でも私は自分らしくいることにおいて、恐れることも、怯むこともしませんでした。皆に馴染みたいと思ったことは一度もありません。だから周囲にはあまり理解してもらえず、よくバカにされました。

両親は、私が成績を落とさない限り学校を休んでも構わないと言い、どこまでもサポートしてくれました。大学へ行くつもりはなく、高校を出たらすぐにプロのダンサーになるためのトレーニングをしに行くと決めていました。

2011年、卒業式の翌日、私は両親と一緒にL.A.へ飛びました。数週間ホテルに泊まり、その間エージェントを探して回りました。ある芸能事務所が公開オーディションを開いているという広告を見て、私は迷わず参加しました。翌日、採用契約の電話がかかって来ました。

私の初めてのプロとしてのオーディションは、ブリトニー・スピアーズがVMA(ビデオ・ミュージック・アワード)でマイケル・ジャクソン・ビデオ・ヴァンガード賞を受賞した年の、彼女のトリビュート・パフォーマーを選ぶためのものでした。そこには数百人のダンサーが集っていましたが、どうしてもその仕事が欲しかった私は、とにかくがむしゃらに踊りました。最後まで残った私を含むグループが、1時間ほど次の審査を受けるために待っていると、振付師が部屋に入って来て、『おめでとう、ここにいるあなたたちは合格よ。では明日のリハーサルで会いましょう』と告げました」

「外へ出るなり涙がぽろぽろ溢れ出て来ました。VMAというだけでもものすごい大舞台なのに、ブリトニー・スピアーズのトリビュートで踊れるなんて、歴史に名を刻むような気分でした。昔からブリトニー・スピアーズは、私にとって、恐らくブロードウェイの次に大きなインスピレーションを与えてくれた存在でした。彼女こそ恐れることも怯むこともなく、堂々と自分らしくある人です。そういう彼女にずっと憧れていました」

「VMA後は、『The Voice』でジャスティン・ビーバーと共演しました。『Xファクター』でも何度か踊りましたし、『America's Got Talent』や『Radio Disney』などの番組でも踊らせてもらいました。ダンサーという生業は必死になってお金を稼がないとやっていけません。一度のパフォーマンスで1,500ドルから3,500ドル(約17万から40万円)ほどもらえますが、仕事を1本取るのにもトレーニングを欠かさず、オーディションを常に受け続けなければなりません。私も終始働いていましたが、それだけでは親の援助なしで生活することはできず、夜のバーやキッズイベントなどで踊り、お小遣い稼ぎをしていました。

5年ほどひたすら踊り続けました。しかし、だんだんと体も変化していき、以前のようには動けなくなって来ました。私はラテン系というのもあり、元々細身ではありませんでした。毎日ワークアウトし、ダイエットも色々試しましたが、遺伝子構造上、丸みを帯びたスタイルを変えることができなかったんです。だから常に自分自身に『あなたは十分キレイよ。これがあなたの体なんだし、この体がなければダンスすらできないのだから、感謝しなきゃ』と言い聞かせていました。

それでもオーディションへ行くたびに、才能はあるけど痩せる必要がある、と言われ続けました。そんな日々にうんざりしていた私は、オーディションに出向くことを辞め、自分自身のブランドとスタイルを作り上げることにしました。もうたった1つの仕事のために、また、誰かに認めてもらうために競争し続けるのはごめんでした。私には才能があるし、自ら発信できるものが必ずあるはずだと思ったんです」

「ダンサーをしていると、"イエス"よりも"ノー"と言われることの方が多いんです。私が振付師に転向した時も、何人もの業界関係者に『あなたは若過ぎる』『絶対に成功しない』と言われました。でも、自分がやりたいことには、自ら挑戦していかなければならないことを、私自身が一番よく分かっていました。

2014年10月、私はYouTubeでアカウントを作り、自分のビデオを投稿し始めました。小さい頃から中毒といっていいほどYouTube上でダンス動画を漁って見ていたし、その影響でL.A.に来ることも夢見るようになりました。私がダンス動画をアップすれば、同じように誰かをインスパイアすることができるかもしれない。フォロアー数や『いいね!』を求めていたわけではなく、ただただ純粋に、自分が好きなビヨンセや、ブリトニー・スピアーズ、ティナーシェの音楽に合わせて振付した動画をシェアしたかったんです」

「その動画が非常に良いフィードバックをもらえるようになっていきました。ダンススタジオから連絡が来て、レッスンを担当して欲しいとオファーをもらうようにもなりました。フォロワー数は増え続け、口コミで私のクラスに通いに来てくれる人もいました。そのうちミレニアム・ダンス・コンプレックスというスタジオから代行授業に来て欲しいという依頼が来ました。信じられませんでした…ミレニアムと言ったら、世界で最も著名なダンススタジオと言っても過言ではありませんから。

最初に撮影に参加したミュージック・ビデオは、レッドフーの『New Thang』でした。振付ではなく、ダンサーの1人として出演しました。すると今度は去年の11月に、ティナーシェのマネージャーだと名乗る人から電話がかかってきたんです。留守電には、『インスタグラムで拝見して、是非一緒にコラボレーションできたらと思います』とメッセージが残されていました。最初は正直、友達のいたずら電話だと思いました。でも留守電を30回以上聞き、その人の名前をインスタグラムで見つけ、ティナーシェ本人がフォローしているのを確認して、ようやく本物だと気づきました。折り返し電話をして話を聞いてみると、ティナーシェ自身が彼女の曲『Super Love』や『Party Favors』に合わせて私が振付したダンスを見て、一緒に仕事がしたいと言ってくれたそうです。帰省していた私は翌日すぐさまL.A.に戻り、ティナーシェの新曲『Company』のミュージック・ビデオのためのリハーサルが始まりました。

完成したビデオを見た時は、まるで夢が叶ったかのようでした。L.A.で7年近くダンサーとして働いてきて、とにかく誰かに気づいてもらえるよう必死に競ってきました。そして、こんな風に超有名アーティストと一緒に仕事をする夢のような機会が与えられたのです。私のような若手ダンサーにとってそれは貴重な経験で、人生のターニングポイントとも言える出来事でした。嬉し過ぎて何日も泣きました」

「ティナーシェとはその後も友人として付き合いが続いています。彼女の次のミュージック・ビデオ『Flame』の振付も、最近完成したところです。今年の初めに彼女が、アメリカ自由人権協会のチャリティー活動の一貫としてステイプルズ・センターでのパフォーマンスに呼ばれた際、そのショーの振付を任せてもらい、一緒に舞台で共演もさせてもらいました。あんなに大きなステージに立たせてもらえた私は、終始興奮しっぱなしでした」

「私の日課は、ストレッチ、ワークアウト、そして体のバランスと強度を整える運動が中心になっています。朝早く起きて、9時頃ヨガのレッスンを受けます。それから時にジムに行き、また、毎日生徒たちのプライベートレッスンを教えています。夕方はミレニアム・スタジオかIDAハリウッドというダンススタジオでレッスンをし、そこからまたヨガへ行き、自宅に帰って新しいルーティン(振付)作りをします。ブレインストーミングをして新しいルーティンを作り終えた後は、塩風呂に入り、ベッドに寝転がって<Netflix>を見ます。ステキな彼氏も友達もいるし、リラックスする時間もちゃんと楽しんでいますよ」

「今でもダンスのコンベンションやツアーに参加し、そこで教えたりもしています。でもミュージック・ビデオ撮影の仕事が入ると、他の仕事はすべて断わらなければならなくなります。そうやって周りに迷惑をかけてしまうのは心苦しいのですが、ダンサーにとってミュージック・ビデオが一大チャンスであることは、みんなよく理解してくれています。

なるべく頻繁に新しいビデオやチュートリアルを投稿するようにしていますが、元々あまり携帯いじりが得意な方ではないので、時々プレッシャーに感じてしまうこともあります。でもソーシャルメディアは私たちのプロフィールのようなものですから。仕事のほとんどもソーシャルメディア上でブッキングしています。最近はあるディレクターさんにインスタグラムで見つけてもらい、ラスベガスで開催されるバックストリート・ボーイズのショーの振付をやらせてもらいました。

これから先どのようなことが待っているのか、私にはまだわかりません。でもいつだって自分の情熱で、人々に勇気とインスピレーションを与えていけたらと願っています。それはもしかしたら新しいダンススタジオを開設することかもしれませんし、自分主催のコンベンションを始めることかもしれません。あるいは一生振付師としてやっていくことかも。でもアーティストのツアーに参加し続けたり、これからはクリエイティブ・ディレクターとして関わったりできたらいいな、という夢も密かに抱いています」

※この翻訳は、抄訳です。

Translation: 名和友梨香

COSMOPOLITAN US