斉藤由貴(撮影:志和浩司)

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 ドラマロケが押したことで斉藤の到着が遅れ、会見の開始時間が20分ほどずれ込んだ。しかしスタッフが開始時間の遅れをはじめ、空調の効きがやや悪いことまで詫びるなど、詰めかけた報道陣をしきりに気遣っていたこともあってか、現場は混乱することなく、とくに殺伐とした雰囲気でもない。

 普段は別のジャンルで仕事をしているのだろう一部の記者からは、「芸能の現場ってこんなにゆるい雰囲気だったっけ?」と感想が漏れるほどだった。そしてそこに到着した斉藤もまた、ゆるいといえばゆるい雰囲気だった。自分のことでありながらどこか他人事めいた、自らの身に突然降りかかってきた災難に困惑する少女のような表情にも見えたというと、言い過ぎだろうか。

 フラッシュの嵐、深々と頭を下げ、待たせたことを詫びる斉藤。ドラマロケから駆けつけたということで、髪もやや乱れていた。髪ぐらいちょっと整えることはできなかったのかなとも思ったが、その乱れた髪が急いで駆けつけた感と憔悴感を醸し出していた。演出ならたいした女優っぷりだが、斉藤の場合、どうしても天然のような気がしてしまう。

斉藤が語った「好意」のニュアンスを考える

 妻子ある男性医師との映画館デート、そして手つなぎ。別宅マンションで2人だけで頻繁に会っていることが「週刊文春」にスクープされた。斉藤は、往診のためだという。医師も、不倫関係を否定している。

 斉藤は会見で、あらためて不倫関係を否定。しかし、週刊誌にスクープされた手つなぎは一瞬のはずみだったかのように釈明しながら、好意があるから手を出されて握ったんでしょうね、とも答える斉藤。「好意」自体は否定しなかった。

 「好意」という言葉は実に微妙だ。とくに斉藤がこの言葉を口にすると、厄介だ。斉藤の宗教観と無縁とは思えないものがある。

 斉藤がモルモン教会(末日聖徒イエス・キリスト教会)の教会員であることは有名だ。教会員の家庭に生まれた2世で、1994年に結婚した夫も教会員。モルモンのカップルとして理想とされる神殿結婚(モルモン教会は教会とは別に各地に神殿と呼ばれる建物をつくり、そこでは結婚をはじめとする重要な儀式などが行われる。東京では広尾にある)をしている。神殿には教会員であれば誰でも入れるわけではなく、各種の戒めを守り神殿面接にパスした真面目な教会員でなければ入れないし、神殿結婚もできない。

 モルモン教会はその初期に多妻結婚を肯定していたが、それは一時のことで1890年には廃止されている。分派の中にはいまだ多妻婚を教義に置く教派もあるが、斉藤由貴が所属するモルモン教会とはもはや関係がなく、モルモン教会はその国の法律に従うことを是としている。元メジャーリーガーのデール・マーフィーや、元マサチューセッツ州知事で2012年の米大統領選挙の共和党候補ミット・ロムニーがモルモンなのは有名だ。

 モルモン教会はキリスト教の一派として聖書も用いているものの、その教義は独特で、カトリックやプロテスタント諸派といった伝統的なキリスト教からは異端と見られがちだ。神殿結婚も独特で、それゆえモルモン教会の教会員にとっては本当に神聖なものとして特別なステータスを持っている。その神殿結婚をした者が不貞行為をすれば、最悪の場合は、破門される可能性がある。逆にいえば、斉藤がもし男性医師と不倫に至ったのであれば破門を覚悟しての、まさに「禁断の愛」に踏み込んだことになる。

 お相手とされる男性医師は、テレビ番組の取材に不倫を否定したうえで、手つなぎについては米国暮らしの経験を理由として釈明している。斉藤が所属するモルモン教会もまた米国生まれの宗教で、道徳的に厳しいといえば厳しい戒律がある一方で、いかにも米国の自由な気風を感じさせる側面もある。斉藤の「好意」という言葉には、相手へのリスペクトや信頼関係といった、不貞行為とは無縁な、人としての愛情的なニュアンスを感じる。少なくとも本人は、そういう意味でこの言葉を使っているのだろう。キリスト教系の宗教はとくに「愛」という言葉をことさら強調して使う傾向にあるが、モルモン教会もまた然り。

 それにしても、その「好意」について会見で語ったときの斉藤からは、50代、3児の母にして、まるで純粋志向の文学少女が恋に恋しているような無邪気さを感じた。計算なのか、天然なのか。いまは不倫関係にないのかもしれないが、何かあれば、いつのまにか本当に恋に落ちてしまいかねない危うさ、そんな独特のゆるさを感じた会見でもあった。

(取材・文・撮影:志和浩司)