パートやアルバイトというような非正規雇用が増え続けている現代。いわゆるフリーターと呼ばれているアルバイトやパート以外に、女性に多いのが派遣社員という働き方。「派遣社員」とは、派遣会社が雇用主となり、派遣先に就業に行く契約となり派遣先となる職種や業種もバラバラです。そのため、思ってもいないトラブルも起きがち。

自ら望んで正社員ではなく、非正規雇用を選んでいる場合もありますが、だいたいは正社員の職に就けなかったため仕方なくというケース。しかし、派遣社員のままずるずると30代、40代を迎えている女性も少なくありません。

出られるようで、出られない派遣スパイラル。派遣から正社員へとステップアップできずに、ずるずると職場を渡り歩いている「Tightrope walking(綱渡り)」ならぬ「Tightrope working」と言える派遣女子たち。「どうして正社員になれないのか」「派遣社員を選んでいるのか」を、彼女たちの証言から検証していこうと思います。

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今回は、都内で派遣社員として働いている大木晴美さん(仮名・27歳)にお話を伺いました。晴美さんは肩までのワンレングスのボブに、眉毛を描いただけの簡単メイクなので、顔色が悪く、不健康そうな印象でした。薄手のボーダーカットソーに、ロング丈のカーデ、色落ちしたスキニーデニムを合わせていました。

「本当は、もう少しメイクしたり、ネイルもやっていた時期もあったんですよ」

自宅には、58歳になる母がいます。

「母が心筋梗塞で倒れてから、色々と生活が変わりましたね」

彼女は神奈川県の横浜市で生まれました。繁華街にもアクセスのよい住宅街で、幼少期を過ごします。

「父はメーカーで営業職のサラリーマンで、母は看護師でした。私が小学校に上がるくらいで、逗子へ引っ越したんですよ。父が脱サラして、飲食店を始めたんです」

家族に異変が起きたのは、父親の転職がきっかけでした。

「父が休日に趣味でキャンピングカーを使ったケータリングキッチンの店で、料理をふるまったりしていたんです。それが評判がよかったみたいで、本格的にやろうって思ったみたいです」

“海がある地域でのんびり暮らしたい”という父の希望で、海の幸を使った和食を中心としたカフェを始めます。

「最初の1年はずっと赤字で。貯金を食いつぶしていたと母から聞いています。あまり人通りがない場所だったんで、集客自体がよくなかったんです」

忙しい母の代わりに、父と過ごす時間が増えていきます。

「反対に父が主夫のような形で家にいることが多くなり、母が勤務先の病院を変えて、夜勤で働くようになっていましたね」

家の中は、いつも重苦しい空気が漂っていたといいます。

「なんとなく、夫婦仲がよくないのは気が付いていたんです。中三の時に“高校受験が終わったら、離婚するから”と母から言われました」

稼げないイライラから晴美さんにDVをする父

父と一緒にいる時間は、精神的に苦痛だったそうです。

「父は今思うとDVだったと思うのですが、買い物に行って店が定休日だったりすると“なんだバカヤロウ”ってなじってきたり、ゴミ捨てを頼んだら、床に置いていた文具とかも全部捨てられたり。なにかあると“お前が悪い”の一点張りで、謝られたことがなかったんですよ」

言葉での暴力だったため、周りに言いづらく我慢する日々。

「多分、主夫みたいな生活が不本意だったと思うんですよね。母親から“離婚”って言葉が出たとき、ホッとしました」

中学時代は家にいたくなかったため、塾で居残り勉強をしていたとか。

「高校は、学区内でもいい方の県立に受かったんですよ。でも、滑り止めとして受けていた私立が、特待生制度の受験だったのでどうしようか迷って。母に苦労をさせたくないって思って、制服以外の費用がほとんど掛からない私立に進学しました」

高校入学と同時に両親は離婚。晴美さんは、付属中学からの内部進学者もいる女子校の雰囲気に、馴染めなかったといいます。

「大学進学を希望していない層もいたので、学力がバラバラでしたね。周りに引きずられてはいけないと思いながら、過ごしていたので気が抜けない3年間でした」

周りからも特待生だと知られていたため、距離を感じていたそうです。

「結局、高校だけの授業だと受験には間に合わなかったので、塾も通っていました。そこでは、少し友達ができたのですが、高二の時はバイトもしていたので時間が足りなかったです。夏休みは、ファストフード店でバイトしていました。そのお金で母にファミレスでご馳走できた時、嬉しかったです」

進路を決める際に、将来のことも考えて迷い始めます。

「資格が取れるような学部がよかったのですが、医者とか弁護士とかは学力的に無理だし。母のように看護師になるのもちょっと難しいと感じていたので。進路はどうしようか迷いましたね」

夫婦喧嘩があると、テーブルの上に母の名前だけ記入された離婚届が置かれていたといいます。

ジャーナリストを志し、専門誌の記者に。母の長期入院のため仕事に支障が出て退職。仕方なく派遣に…。その2に続きます。