福田 譲●SAPジャパン社長。1975年、愛知県生まれ。早稲田大学教育学部卒業後、97年SAPジャパン入社。2007年バイスプレジデント。12年慶應義塾大学ビジネススクール高等経営学講座修了。14年7月より現職。

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■昇進祝いにもらった「柳の絵」の意味

腹が立ったとき、我慢できないことがあるとき、そんなときは自宅に飾っている墨絵を思い出し、心を整えるようにしています。仙がい和尚という江戸時代の禅僧によるもので、柳の木が風にあおられ、枝が揺れ動く様子が描かれています。そこに書かれている言葉が「堪忍」です。

この絵との出合いは、今から14年前に遡ります。部長への昇進祝いとして、当時担当していたお客様にいただきました。

1997年、この会社に新卒で入り、営業に配属されました。私はやると決めたら徹底的にやり抜く性格で、営業という仕事が性に合っていたのでしょう。5年後の26歳のとき、最年少で部長に昇進しました。

会社に入って最初に担当したお客様が出光石油化学(現在の出光興産)でした。父親ほども年が離れた担当者の方が、私の昇進をわが事のように喜んでくれ、この絵をいただきました。出光美術館が仙がい和尚の絵を多く所有しており、それらの絵の一つのレプリカでした。

「なぜこの絵をいただけるのですか」とお聞きしたら、その方が「柳の木はどんな木だと思う?」と逆に尋ねてきました。「いつも風に枝をなびかせていて、右往左往しているイメージがありますね」と答えると、その方はこういう話をしてくれたんです。

「強い嵐が来るとほかの木は根こそぎ折れてしまうけれど、風を右に左に受け流せる柔軟な柳は決して折れない。実は柳はすごく芯が強い木なのだ。

ところで、あなたの話だ。今回の昇進を聞いて私は喜んだが、一抹の不安が頭をよぎった。あなたは新しいことに挑戦するのが好きで、一度掲げた目標は、周囲を巻き込みながら、断固達成していく。そういうまっすぐな考え方や行動は素晴らしい。けれども、何かあったら、それこそ大風でも吹いたら、もろいかもしれないよ。自分を理解してくれない上司と大喧嘩したり、意に沿わない部下を怒鳴りつけたりしてしまうかもしれない。

だから、この絵を贈るんだ。まっすぐ立ち続けるだけじゃ能がない。ときには柳のような柔軟さを発揮することも大切。そのときの心構えがこの2文字、堪忍だ。耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶ。福田さん、あなた堪忍するのが苦手でしょう」

まさしく図星で、私は耐え忍ぶことがなかなかできない性格だったのです。

でも、それからというもの、怒りが込み上げてきたときにその絵が頭に浮かんで語りかけてくれるんです。堪忍、堪忍と。

実は39歳で社長になったときも、出光興産の執行役員の別の方から再度、仙がい和尚の絵をプレゼントされたんです。その絵は社長室に飾ってあります。画題は鶴です。2羽の鶴が墨で描かれ、その上に「鶴ハ千年、亀ハ万年、我れハ天年」とある絵です。

歴史を紐解くと、秦の始皇帝やクレオパトラなど、古今東西、絶大な権力者たちは不老不死に関心を寄せ、そのための薬や食べ物を莫大な金や労力を使って探し出そうとしてきました。そういう人間の弱さに対して、仙がい和尚が「千年生きる鶴、万年も生きる亀にあやかろうと、じたばたする人間がいるけれど、人間の寿命は天命で決まっている。あなたはあなた、私は私、じたばたもあたふたもせず、自分らしく、ゆったりともっと気楽に生きましょう」というものでした。

社長業をやっていると、いろいろなことがあります。そんなとき、机の横に飾ってあるこの絵を見ると、ふっと肩の力が抜けるんです。

出光は非常にユニークな会社で、ベストセラー小説『海賊とよばれた男』のモデルになった出光佐三がつくった会社です。教育が手厚く、人間として魅力的な方がたくさんいる。仙がい和尚と私をつないでくれた出光のお二人にはとても感謝しています。

■自分のOSを徹底的に鍛える

私の父方の実家は茨城県にある神社です。祖父が長く神主をやっていました。子供の頃、少し知恵がついてくると、祖父に「神様なんて、本当はいないんでしょう?」と尋ねたことがあります。そのとき祖父がこう答えたのを覚えています。

「神様がいると信じ、それを心の支えに生きている人にとっては、神様はいるんだよ。一方、神様を信じていない人には、必要ないかもしれない。実在うんぬんではなく、大切なのは心のより処があるかどうか、ということなんじゃないかな」

母方の祖父は医者でしたが、孫に様々なことを考えさせる人で、私の人格形成に影響を与えてくれました。私が禅や精神的な話が好きなのは、そんな育った環境も関係しているのかもしれません。

そんな私が大切にしているのは人間としてのOS(オペレーティングシステム:システムの基盤)を鍛えることです。便利なアプリケーションの獲得には血眼にならない。しっかりしたOSさえあれば、その上にどんなアプリを乗せてもうまく動くと考えるからです。OSを日本語にすると、人間力とか人間としての軸、価値観、人生観ということでしょうか。

特に20代から30代前半にかけ、私はそのOSを徹底的に鍛えました。もともと様々な人から影響を受けるのが好きな性質で、上司、同僚、部下、お客様、もちろん書物からも、様々なことを学びました。「いいな」と思ったことは即座に実践もしました。

学んだことをツイッターでつぶやいたりもします。それがOSを鍛える備忘録になっていて、ときどき見返すと自分に変化を与えてくれます。変わっていく自分自身を客観視するのは、結構面白い体験です。

実は、大学時代、私は典型的なダメ学生でした。スポーツやサークル活動に打ち込むでもなし、バイトで金を稼いでは、あちこち旅行に出かけたり、地元の友人たちと飲み屋やカラオケボックスに入り浸っていました。当然、成績も低空飛行です。そんな甘ちゃんぶりを正してくれた大人がいました。ゼミの指導教官です。

ゼミもろくに行かなかったのですが、最後は先生から単位をもらいやっと卒業することができました。そのときにこう言われたんです。「単位はやろう。その代わり、何でもいいから、真面目に打ち込んでみろ。たった一度の自分の人生なんだから」と。

思えば、人生は一度きりだという先生の言葉も、「日々是好日」という禅の言葉に通じています。1日1日がよい日である。そうあるように、かけがえのない人生を過ごせ、と。どうやら、私の人生と禅の教えは切っても切れない関係にあるようです。

(SAPジャパン社長 福田 譲 構成=荻野進介 撮影=市来朋久)