80歳にして第一線で活躍

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 去る6月15日、伊東四朗は80回目の誕生日を迎えた。

「世間では傘寿でしょ? お祝いしてくれるっていうんだけど、あっちこっちにお触れを出して、お願いだからやらないでくれって。照れくさいでしょう。

 家族にもお祝いは『いいよ』って断わりました。だって、ただ生きてきたってだけなんだから。だいたい、80まで生きるって思ってなかったしね。来年で芸歴60年ですけど、この商売を続けられるとも思っていなかった」

 本人は謙遜するが、80歳にして第一線である。ラジオの冠番組を20年間続けながらドラマの仕事は絶えず、今クールは『黒革の手帖』(テレビ朝日系)にレギュラー出演。来年2月には、三宅裕司とのコントライブ『死ぬか生きるか!』が控える。

「役者になろうとも思っていなかったですからねぇ。高校を出た時に就職試験さえ受かっていれば、私はこの世界にいなかったんです。面倒くさがり屋ですから、入ったらずっと同じ会社にいたな」

 ところが就職試験に失敗。大学生協でバイトするようになるのだが、その時代に夢中で通ったのが劇場だった。

「友だちと二人でね、十円玉を放り投げて裏が出たらストリップ劇場、表なら歌舞伎に行こうってんで、毎日のように通ってました。ストリップっていっても目的は合間の軽演劇です。足繁く通うもんだから、顔を覚えられちゃってね。

 ある時、劇場の階段で、座長だった石井均さんとバッタリ出くわした。『楽屋に来るかい?』『はい』。このやりとりで、なんとなくこの世界に入っちゃったんだから人生わからない。たった数秒ですよ。数秒ずれてたら階段で出くわすこともなかった」

 伊東四朗を育てたのは、喜劇の舞台だ。やがて三波伸介、戸塚睦夫と共にトリオを結成し(のちの「てんぷくトリオ」)、28歳でテレビに進出。現在、CMやドラマで幅広く活躍していることは衆目の知るところだが、本人の中では、新たな仕事の依頼が来るたびに、「なぜオレなんだ?」という疑問がいまだ拭えないのだという

「電線音頭もそう。プロデューサーから『伊東さん、今度、電線軍団やりますから』って言われて、『何それ?』と尋ねたら、『伊東さんが団長です。小松政夫さんにキャンディーズも付けますから』ってんで押し切られた。こりゃすぐ終わるな、と思ってね。名前も『ベンジャミン伊東』といい加減なのにして、『あれ誰?』って言われてるうちに終わればいいな、と」

 こうして1976年、39歳の時に始まった『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』(テレビ朝日系)だが、思いがけずその「電線音頭」が大ヒット。髪を逆立て、鞭を振り回しながら歌い踊る奇怪なベンジャミン伊東は一世を風靡する。

「その頃、ドラマで非常に真面目な役が持ち込まれたんです。第一次大戦中の俘虜収容所の話で、私はそこの交番に勤務する警官の役。ひょっとしたら電線音頭を知らないんだなと思って、依頼してきた方に言ったんです。『私は今、電線音頭で世間を騒がせていますが……』。そしたら『それがどうかしましたか』って。嬉しくてね。電線マン=伊東四朗じゃなくて、別人格で扱ってくれた」

◆観に行った劇で誰も笑わずゾッとしたことも…

 伊東はかつて、作家の五味康祐から、「君は双子座の6月15日生まれか。一年のちょうど半分のところで生まれたから、多重人格だよ。役者には向いてるかもしれんな」と言われたという。

「そうかもな、と思いましたね。今じゃ、本当の自分が何なのかよくわからない。で、仕事が来るたび、『なぜ?』と聞いてしまう。NHKの『おしん』の父親役が来た時も、『なぜですか? 私、電線マンでしたけどいいんですか』って聞きましたもん。考えてみたら、『なぜ?』って思ってるうちに、80歳になっちゃったね。これもそうだよ、週刊ポストがなんでまた、オレんとこ来たの?」

 渋い役どころを演じる俳優業に司会業。舞台にテレビ、映画にラジオ……。「なぜ?」と本人は言うが、伊東はジャンルを超えて時代時代に代表作を残してきた。だが、あらゆる仕事の根本にあるのは「自分は喜劇役者だ」という確固たる思いだ。

「喜劇役者と名乗っていますが、実はその後ろにカッコが付いていて、中に(になりたい)が隠されている。喜劇役者だってはっきり言えないもどかしさがあるの。まだなり切れてないっていうかね。怖いんですよ、喜劇は。『喜劇』ってサブタイトルを付けた舞台を観に行った時に、観客がひとりも笑わなかったことがあるんです。他人事じゃなくて、ゾッとしましたね」

 喜劇は「間」だと伊東は考える。

「舞台の幕が開いて5、6分経つぐらいまでに、その日のお客さんのタイミングを掴まないとダメです。これはコンマ何秒の世界なんだけど、『この間だ!』っていうのがビリビリッと伝わって来る。その日のお客さんが教えてくれるんです」

 だがその日うまくいったからといって、次の日もそうとは限らない。

「舞台は、ただ繰り返したんじゃあ、ダメなんです。終わってからも『あそこをもっとこうしたほうが良かったかな』と考え続けます。で、次の日、提案する。一緒に舞台を作ることの多い三宅裕司さんに言われたことがあります。『伊東さんって楽屋に入る時に、“おはよう”が先に来ないで、“ねぇ、ねぇ、あそこなんだけどさ”が先に来ますよね』って」

 伊東が「笑い」にこだわる理由──。

「だって人間しか笑わないから。他の動物は笑いませんからねぇ。人間に備わった特権を生かさなくて、どうするんだって。それに世間では顔をしかめる話ばかりでしょ? 笑いたい人はいっぱいいるはずなのにね。笑う機会が少ないのはもったいない。

 このあと? いつまで続けられるかわかりませんけど、みっともないのは嫌だから、日々体は鍛えていますよ。腹筋に腕立て、5kgのダンベル……。痩せた役ができないのはまずいから。

 ところで理想は、いつの間にかいなくなっているというのがいいね。『あれ? 最近、伊東四朗見かけないけど、やめたのかな?』っていうのがね」

 こう言うと伊東は「ニッ」と笑った。

◆いとう・しろう/1937年生まれ、東京都出身。浅草軽演劇の役者を経て、1961年、のちの「てんぷくトリオ」となるトリオを三波伸介、戸塚睦夫と結成。1960年代半ばより、『九ちゃん!』(日本テレビ系)、『てなもんや三度笠』(ABC系)などでテレビに進出。1975年からは小松政夫とのコントで一世風靡し、1979年のクイズ番組『ザ・チャンス!』(TBS系)で司会者としても才能を発揮。1980年代以降は、ドラマ・映画に多数出演し、コメディからシリアスなものまでできる演技派俳優として活躍する。今クールのドラマ『黒革の手帖』(テレビ朝日系)にレギュラー出演中。

■撮影/二石友希、取材・文/角山祥道

※週刊ポスト2017年8月11日号