誰かの話を聞いている際、無意識のうちに「わかる、わかる!」などという言葉を連発したご記憶、ありませんか? そんな時、相手は心の中で「ちっともわかってない」「そうじゃない」と思っている可能性も否定できません。今回の無料メルマガ『「二十代で身につけたい!」教育観と仕事術』では著者で現役小学校教諭の松尾英明さんが、自閉症の青年・東田直樹さんの著書を引きながら、「共感することの難しさ」について記しています。

共感と勘違い

最近、刺さった本。

●『跳びはねる思考 会話のできない自閉症の僕が考えていること』 

 東田 直樹 著 イースト・プレス

恩師から紹介してもらった本である。さすが、人生において必要な指針を示してくれる。恩師は大切にすべきである。また著者の東田さんは、偶然にも私の元勤務校の市内に住んでいる方である。

紹介文にもある、帯から引用する。

僕は、22歳の自閉症者です。人と会話することができません。僕の口から出る言葉は、奇声や雄叫び、意味のないひとりごとです。普段しているこだわり行動や跳びはねる姿からは、僕がこんな文章を書くとは、誰にも想像できないでしょう。──(本文より)

もう、仰る通りである。一時期、テレビにもかなり出ていたようなので、知っている方もいるかもしれない。世の中の自閉症者に関する誤解を解くとともに、正しい理解や新しい視点を与えてくれる内容である。

もう刺さりまくる言葉だらけなのだが、次の言葉を紹介したい。

共感は難しい。相手の気持ちを考えるだけでなく、そこに自分の気持ちを重ねてしまうから。自分が主人公になった物語を創作してしまうのだと思います。

「自分が主人公になった物語を創作」という表現が、ぐさりと刺さった。共感の大切さは、言わずもがなである。しかし、つい次のように言ってしまわないだろうか。

「わかるよ。○○だものね」

ここが、結構、いや、かなり的外れなことが多いようである。これは自閉症やその傾向にある人に対してだけではない。それ以外の両者の意思疎通の場面においても起きる。

「わかるよ。○○だもんね」

「ああ、そうね…(汗)。(いやいや、だからそれが違うんだって!! わかってよ!!)」

ということがないだろうか。いや、かなりあるのではないか。

空気が読めなくても別にいいのだが、相手の心が読めてないかもという自覚だけは常にあった方がよい。

共感。言うは易く行うは難し。それは本当に共感か、自問するようにしたい。

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出典元:まぐまぐニュース!