今年の高校相撲日本一を決める「全国高校相撲選手権大会」が、8月4日から6日まで宮城県大崎市で行なわれる。個人戦での優勝者に”高校横綱”の称号が与えられるトーナメントでは、埼玉栄高校の主将として初出場する納谷幸之介(なや・こうのすけ)に注目が集まっている。


大鵬の孫で、高校相撲界の名門・埼玉栄の主将を務める納谷

 母方の祖父が、幕内優勝32回を誇る昭和の大横綱・大鵬(故・納谷幸喜氏)で、父が元関脇・貴闘力(鎌苅忠茂氏)という最強のDNAを受け継いだ納谷。高校生活の集大成の大会を前に、「団体戦では優勝。個人もできるだけ上を目指していきます」と力強く宣言した。

 納谷は、2000年2月14日に貴闘力の三男として生まれた。父の貴闘力は2002年の9月場所で引退し、2005年5月に大鵬が定年退職したことに伴って、大鵬部屋(東京・江東区)を受け継いで「大嶽部屋」を興した。自宅が相撲部屋になったことで、物心がつく頃には自然とまわしを締め、「力士と一緒に遊び感覚で」相撲を取っていたという。時には父の胸を借りることもあり、あっという間に相撲にのめり込んでいった。

 小学校1年生の時に江東区の大会で優勝。3年生からは地元の道場「江東青龍館」に通い、小学相撲日本一を決める「わんぱく相撲全国大会」では、4年生で2位に入る。早くも大器の片鱗ぶりを見せつけた納谷は、さらなるレベルアップを目指し、高校相撲選手権で歴代最多の団体優勝9回を誇る名門・埼玉栄の中等部に入学した。

 当時、身長は170cm、体重は130kgを超えていて体格には恵まれていたが、実のところは体脂肪率が60パーセントを超える”肥満児”だった。筋力も乏しく、ベンチプレスは60kgが限度だったという。その肥満の原因は、「ただ食べて寝る」ことを繰り返す生活にあった。車から降りる時も腹が出ていて足が曲がらないほどの状態で、血圧も高く、「歩くとフラフラする時もあった」と振り返る。

 山田道紀監督が率いる埼玉栄の稽古は、時間こそ短いが、四股やすり足、体幹トレーニングといった基礎練習を徹底する。体脂肪率60パーセントの体では、ハードな稽古についていくことは難しい。「四股も全然踏めなくて、稽古についていけなかった」ことに危機感を抱いた納谷は、食生活の改善と自主トレで状況の打開を図った。

 部員全員が入る寮では、山田監督自らが朝と晩のちゃんこの調理を指揮する。それまでは好きなものを好きなだけ口にしていた食生活が、野菜も豊富に摂れるバランスのいい食事に変わった。それに加えて、夜のランニングなど自主的にトレーングを行なった結果、1年はかかったものの、まったくついていけなかった稽古をこなせるようになった。

 その1年間で「強くなったことを実感できた」と語る納谷だが、3年生に上がって初めて出場した「全国中学相撲選手権」では予選落ちに終わり、全国レベルの大会で結果を残すことはできなかった。しかし、そこで腐らずに稽古に励み続けたことで、高校進学後に才能が開花する。

 1年生の8月には、青森県十和田市で行なわれる「十和田大会」のメンバーに選ばれた。山田監督の「前に出れば勝てる。足を出して体を使って、とにかく前に出ろ」という教えを守り、「その相撲で何番か勝てたので、全国でも勝てるって思った」と自信をつけた。その後も得意の突き押しを磨き、2年生で出場した「全国高校相撲選抜大会」(高知)の新人戦で準優勝。そして今年3月、同大会の個人無差別級で優勝し、初の個人タイトルを獲得した。

 そんな納谷について、山田監督は「相撲の強さは発展途上です。でも、自分を追い込むことができる素質、努力を惜しまない姿勢は、やはり血筋と言えると思います」と賞賛。一時は、”大鵬の孫、貴闘力の息子”という血筋が重荷に感じられたこともあったという納谷だが、自分の相撲に自信をつけたことで、「今では考えないようになりました」と明かす。

 大関・豪栄道ら、数多くの関取を育ててきた山田監督から見ても「群を抜いている」というひたむきな姿勢は、祖父から教わった。人の何倍もの汗を流し、現役時代に”天才”と評された大鵬からは、常に「なんでも一生懸命にやりなさい」と言い聞かされてきたという。そんな祖父の言葉通りに鍛錬を積み、かつて60kgが限界だったベンチプレスは、現在160kgまで上がるようになった。体脂肪率も30パーセント台にまで下がり、肥満児だった面影はまったくない。

 名実共に角界注目の力士になった納谷は、卒業後にプロへ進むことを明言している。相撲を始めた頃から、祖父や父の取り組みをビデオで何度も見てきた納谷にとって、角界入りは抱き続けてきた夢。その入り口に立つ納谷が、祖父から教えられた”一生懸命”の言葉を胸に、高校横綱の称号をかけた大舞台に挑む。

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