「競争よりも共創」時代の新しいお金の使い方

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株主資本主義からステークホルダー資本主義へ。競争社会から共創社会へ─。コモンズ投信会長・渋澤健が考える、時代の節目における「新しいお金の使い方」の可能性とは。

「僕らは微力ではあるが、決して、無力ではない」

この勇敢なメッセージの発言主は、NPO法人テラ・ルネッサンス創設者である鬼丸昌也さんです。高校生のときに「すべての人に未来をつくりだす力がある」という教えに感化された鬼丸さんは、大学在学中の2001年にカンボジアで地雷問題に触れ、テラ・ルネッサンスを任意団体として設立しました。現在は東アフリカのウガンダなどでも地雷、小型武器、子ども兵、平和教育という重要課題の解決に取り組んでいる若手の精鋭です。

鬼丸さんとのご縁は5年前。コモンズ投信が毎年10月に開催する「社会起業家フォーラム」に登壇してくださったときからです。その舞台での、素晴らしいメッセージに深く感銘を受けました。

確かに、鬼丸さんが指摘するように「無力」と「微力」は異なります。無力はゼロです。無力は何回足しても、何回掛けても、答えはゼロにしかなりません。しかし、微力は足し算で増えます。掛け算でさらに増えます。つまり鬼丸さんの言葉は、「現在、我々は微力な存在かもしれないが、足し算と掛け算により、世の中を変える勢力になれる」という心強いメッセージなのです。

このメッセージは社会的課題の解決への「壮大な理念」だけではありません。そもそも資本主義の原点にあるものだと思います。

渋沢栄一(1840〜1931年)は、銀行など500社ほどの会社の設立に関与したと言われ、「日本の資本主義の父」と評されています。ただ、本人は、資本主義という言葉を使っていませんでした。よく発していた思想は「合本主義」─。この合本主義とは何でしょうか。

渋沢栄一が初の創設者として知られている銀行。現在において我々が「銀行」という言葉を聞けば、社会においてどのような役目を果たしているかすぐに想像できます。しかし、明治6(1873)年当時、日本人が「銀行」という言葉を聞いても首を傾げたと思います。なぜなら、その年まで銀行は日本には存在しておらず、「銀行」という言葉も造語でした。現在の表現を使えば、当時の銀行は新しいベンチャーに過ぎなかったのです。

日本人が見たこともなかった「銀行」の価値について出資者を説得する株主募集布告で、栄一は下記の表現を用いました。

「銀行は大きな河のようなものだ。銀行に集まってこない金は、溝に溜まっている水やポタポタ垂れている滴と変わりない。(中略)折角人を利し国を富ませる能力があっても、その効果はあらわれない」

ポタポタ垂れている滴(しずく)は清いです。しかし、微力です。ただ、その微力な滴が方々から寄り集まってコップがいっぱいになれば、ふちからこぼれ落ちて小さな流れが生じます。その小さな流れが他の流れと一緒になれば、ちょっと大きな流れになります。このように小さな流れが合流し続ければ、いずれ力強い大河になる。

お金という資源は散らばった状態では微力です。しかし、銀行に集まれば、いずれ大河の流れとなり、国の原動力となり、経済発展を支える。この期待が、日本の資本主義の原点にある「合本主義」です。

「共感」「共助」「共創」

では、微力な存在を、勢力へと育む「足し算」「掛け算」とは何でしょうか。

まず、「共感」が必要だと思います。散らばった状態が自発的に寄り集まってくるためには共感が必要です。しかしながら、集まるだけでは、長所・短所や得意・不得意があり、事が進まない場合もあります。

だから、「共助」も必要です。お互いが不足しているところを補うのが「共助」であり、事が進み始めます。「共感」「共助」は足し算のようなもの。足し算ができれば、次に掛け算ができるはずです。