「人生を謳歌できないから愛する人に捨てられる」
 

映画に出てくるセリフを聞いて、なぜかドキッとした。
 

そもそも“魅力的な人”ってどんな人だろう。すこし考えを巡らせてみる。明るい人? 優しい人? 綺麗な人? 頭の切れる人?
 

そして、あるひとつの答えにたどり着く。
 

“のびのび生きている人かも”、と。
 

無邪気で好奇心がある人は、誰からだって魅力的に見える。自分の願望に忠実で、のびのび暮らしている人。それは決してわがままで他人を振り回すという意味ではない。自分自身に嘘をついていない姿勢というのだろうか。これはきっと、“人生を謳歌している”と言い換えることができる。こういうときには、恋もうまくいく。人生を楽しんでいるひとのところに、幸せは集まるものだから。
 

けれど自分自身に嘘をつかない、というのは実のところ、すごく難しい。
 

わたしは常々、“心と頭と体(欲求と、理性と、行動)が同じ方向を向いている時に、人は幸せを感じる”と思っているのだけれど、目の前のことに手一杯になると、私たちの頭はすぐにこんがらがる。視野が狭くなって、変なことで悩んで。理性が強くなりすぎたり、逆に欲求だけが暴走したり、またはわかっていても行動できないという腰の重さを発揮したり。
 

そういう生活を続けていると、“のびのび”することを忘れて、幸せを感じる時間が減って、徐々に自分の本当の願望さえわからなくなっていく。毎日がいつも通りの惰性の繰り返し。生活は、“ルーティン”と化す。
 
 

そこで、再び、これだ。

 

「人生を謳歌できないから愛する人に捨てられる」。
 

ひやっとする。いまの自分は“退屈な人”になっていないか…?惰性で生きる、無気力な人になっていないか…? そしてその結果、愛する人に“魅力的ではない”と思われていないか…?
 
 

もしいま「なんだか人生に退屈している」または「悩みすぎてつらい」「恋の腰が重い」「自分自身がどうしたいのかわからない」という事態に陥っている人がいたら、ぜひこの映画を観て欲しい。『イエスマン  “YES”は人生のパスワード 』だ。
 

心を軽やかにしたいときに、何度だって観たくなる映画だ。




出典:https://www.amazon.co.jp/


監督: ペイトン・リード 出演: ジム・キャリー, ズーイー・デシャネル, ブラッドリー・クーパー, ジョン・マイケル・ヒギンス, テレンス・スタンプ
販売元: ワーナー・ホーム・ビデオ

あらすじは、人生の選択にNOばかり言っていた主人公が、とある自己啓発セミナーに行き、どんな選択にも「イエス」と答える誓約をする、というもの。ホームレスに「遠くの公園まで送って」と言われても「イエス」。気乗りしない誘いにも「イエス」。イエス、イエス、イエス。すると、彼の人生が次第に変わっていく……。
 
 

コメディ映画なのだが、実はこの作品は実話を基にしたもの。7ヶ月もの間、「イエス」を選び続けた原作者が、実経験を基にして描いたのだという(あんなことやこんなことも完全な作り話ではない!? と思うと本当に驚く)。
 

(ちなみにわたしのすごく好きなシーンは、彼女との無計画旅行のシーン。空港に行って「次の便で行けるところに行きます」なんて人生でやってみたいことナンバーワンだ)。
 

劇中、主人公の恋人であるアリソンはこう言う(ちなみにアリソン役のズーイー・デシャネルは本当に可愛い!大好き!)。
 
 

「世界は遊び場。みんな子供の頃は知ってるのに、大人になる途中で忘れちゃうの」
 
 

子供のころはみんな無邪気で好奇心があった。“こうしたい”、“ああしたい”に忠実で、軽やかで伸びやかな選択をして。
 

--それが、いつのまに軽やかさを失ったの?
 

観終わったころには、ここ最近の自分を縛っていたものは他の何でもなく“自分自身だったのだ”ということに気づく。子供のころと世界はなんら変わっていない。変わったのは自分の思考だ。自分自身が自分を縛り、気づかぬうちに自分の世界をつまらなくしていただけなのではないか。
 

そして切望する。
 
あぁ、軽やかに生きたい!
 


 
最後に『イエスマン』とともに、わたしが昔言われたこの言葉も一緒にプレゼントしたい。
 

「たまには、提案に流されてみる、乗っかってみる、っていうのもひとつの手だよ」。
 

彼は「知らない間に流されていくのは怖いことだけど、“流されてみよう!”と決めて流されて、騙されたつもりで進むってのも大事だよ。知らない道がどんどん開けるんだ。たまには“無理”をやめて、そうしてみるのもいいんじゃない?」とも言った。
 

その彼の言葉に乗って、わたしはその後しばらくラジオ番組に出演したり、インターネット番組に出演したりしていた。彼に出会うまでは自分の頭で考えたこともなかったような出来事が、“流されてみる”と決意したおかげで降りかかってきたのだ。実際、今までの自分だったら選ばなかったような選択肢は、自分が危惧していたよりもとても親しみやすいものだった。
 

考えているような最悪な事態はなかなか起こらないし、期待するような展開もなかなか起こらない。だったら、自分の心の赴くほうに歩いていけばいい。
 

そしてもし“自分の願望や心の赴く方”すらわからなくなっているなら、人の誘いに流されてみればいいのだ。心も頭も行動も、ぜんぶぜんぶ“流されてみる”。
 

普段の自分じゃやらないこと、言わないこと、出向かないところ。そういうものに触れ合っていけば、自分の世界はぐんと広くなる。楽しい。嬉しい。そういう気持ちにたくさん触れていれば、徐々に心はのびのびとして、また自分の“願望”に気づけるようになる。
 

あれはダメ、の数を増やすより、あれをしたい、の数を増やす人生のほうがうんと楽しい。
 

もし、いまひとつエンジンがかからない人がいたら、ぜひ観てほしい。恋において難しく考えすぎてしまっている人も、ぜひ。
 

物事を難しくしてしまっているのは、自分のせいかもしれないよ。願望に向き合うことを、そして行動することを、恐れないように。その先に、魅力的な人生は待っているはずだよ。

●さえり●
 90年生まれ。書籍・Webでの編集経験を経て、現在フリーライターとして活動中。 人の心の動きを描きだすことと、何気ない日常にストーリーを生み出すことが得意。
好きなものは、雨とやわらかい言葉とあたたかな紅茶。 Twitter:@N908Sa (さえりさん) と @saeligood(さえりぐ)