E3 2017でも話題になった「CIRCLE of SAVIORS」。2人プレイも可能になった
txt:茂出木謙太朗 構成:編集部 写真提供:株式会社Five for

なぜVRなのか?

「なんでVRなんですか?」と聞かれることがある。なんでVRなのか?とは、つまりなぜそこにコミットしてるか?とか、なぜ次はVRがくるのか?とか、そういったことが、いまいちよくわからないという質問なのだろう。「現実のほうがいいなぁ」といまだに言われるし、このことに対して何も異論はない。ただ「現実のほうがいいなぁ」という言葉の裏には「だからVRは嫌だ」という言葉がつながっていて、それにはVRに対する誤解がものすごくたくさん含まれているんじゃないかと想像する。

VRの入門講座を受けると「バーチャルはリアルの対義語ではありません」という説明から入る。「仮想という言葉がしばらく独り歩きしていたので、現実と仮想というように想像してしまうが、バーチャルは、実体はないけれど本質は同じという意味」と説明を受ける。

バーチャルの目指すところは、物質的なものと離れていても(もしくは、なくても)そこにあるかのように体験できるということだ。もちろん現在はその過程で、まったくもって目指すところまで行きついていない。ではなぜ「そこにあるかのように体験できること」が重要なのだろうか。

ラスコー洞窟の壁画

人間は、ほかの動物に比べて「体験・情報を伝える」ということにとても重きを置いている。視線、表情、身振り、手ぶりで伝えるところから始まった。絵をかいて、様々な情報を伝えることができるようになった。言葉を発するようになり、もっと細かな情報を伝えることができるようになった。音楽や踊りを用いて情報に感情を乗せて訴えかけるようになった。ものまね、口伝、芝居を用いて情報を伝える工夫をした。文字を発明し、情報を蓄積しすることができるようになった。紙を発明し、情報を別の場所に伝えやすくした。

グーテンベルク時代の印刷機

そして印刷機の発明、写真の発明、録音機の発明、ラジオの発明、電話の発明、テレビをはじめとした映像技術の発明インターネットの発明、スマートフォンの発明…。より複雑に、より遠くに、より多くの人に、より手軽に、情報を伝える欲求はとどまるところを知らない。

グーテンベルク聖書リュミエール兄弟「ラ・シオタ駅への列車の到着」

さてVRだが、これまでの情報伝達手段と何が違うのか。VRの3要素というものがあり、VRの講義の最初に出てくる。

  1. 3次元の空間性:人間にとって自然な3次元空間を構成していること
  2. 実時間の相互作用性:人間がその中で環境との実時間の相互作用をしながら自由に行動できること
  3. 自己投射性:その環境と試用している人間がシームレスになっていて、環境に入り込んだ状態になっていること

つまり、これまでの情報がずっと二人称、三人称でとらえられていたことが初めて一人称でとらえることができるようになる。伝えられるべき体験や情報が、誰かのことではなく、自分のこととして追体験できる。また、これから起きようとしていることを事前に体験することができる。

そして、体験者に伝える情報はゼロ次情報をそのまま伝えることができるために、情報の内容の正確さを追求することが可能となる。もちろん、脚色された情報、演出された情報、編集された情報を使用することによって伝え方を変えることも自由だ。

そこで冒頭の「現実のほうがいいなぁ」という言葉の持つ誤解に戻る。絵や写真を見て「現実のほうがいいなぁ」と言われたらどう思うだろう?それは単に絵や写真の表面上の場所や状況を見ているだけに過ぎず、絵にしようとしている意図、写真にしようとしている意図を汲み取っていないことに気付く。テレビや映画を見て「現実のほうがいいなぁ」とは、もはや言わない。むしろテレビの中に入りたいと思うかもしれない。CDは?漫画は?ゲームは?小説は?

VRコンテンツを見たときに、まだCGで作られたデジタルの世界である雰囲気が「現実」と比較されてしまうのかもしれない。しかし技術が進歩し、その表現が目に見える境界を超えることができるようになればどうだろうか。それと並行して、私たちは映画や漫画、ゲームの世界をそのまま空想に取り込むことができる。つまり、漫画やゲームの世界に入り込むことだって現実の世界の延長に起こっても違和感なく溶け込むことができる人も存在し始めているのではないかと考えられる。

そう考えると「現実のほうがいい」のは否定されることはないけれど、「現実がいいから、VRは嫌だ」という考えは一度疑ってみてもいいんじゃないかなぁと思う。そして同時にこれが、VRが次に来ると思うのか?という問いの答えにもなっているつもりである。