[写真](2017年4月29日撮影)

写真拡大 (全10枚)

 シリアやイラクでさまざまな歴史的遺産を破壊した過激派組織「イスラム国」(IS)。奪還作戦が行われたモスルの博物館も例外ではない。大きな穴の開いた館内。散乱する彫像の残骸。バグダッド西方の街では、ISの元戦闘員が小さな部屋で裁かれていた。虚ろな目で宙を見つめる彼らは、一見すると何の変哲もない一般人だった。フォトグラファーの鈴木雄介氏が現地で見たISの断片とは。

博物館入り口はISが開けた穴

 ISと激戦が続いた前線地帯。そのほど近いところにモスル博物館はある。ここは首都バグダッドの国立博物館に次ぐ、イラク第二の博物館で、ハトラ、ニネヴェの傑作と称される彫像も収蔵されていた。

 しかし、この博物館への入り口は正門ではない。壊れた外壁からこっそりと敷地内へと入っていく。ISとの前線は数ブロック先にスナイパーがいるため、ヘルメットと防弾ベストを着たまま、走って建物の陰から陰へと移動していくのだ。ISが占拠時に博物館の壁に開けた穴から、頭を低くしてくぐり抜けてやっと中に入れた。

 2015年の2月の終わり、ISはここに収蔵される数千年前の彫像を倒し粉々にする映像を公開した。その映像の中で、戦闘員の一人は「預言者の命令に従い、偶像を破壊した。私の背後にある遺跡は、かつて人々がアラーの代わりに崇拝した偶像や彫像だ」と主張した。

足元に散乱する彫像の残骸

 壁をくぐり抜けてすぐに、かつてここが博物館だったとは信じられない破壊の凄まじさに呆然とした。

 床には爆破された壁の残骸だろうか、直径数十センチから1メートルほどの大きな石の塊が転がっている。目の前の床にはトラック一台がすっぽり入ってしまうくらいの大穴が開いていて、鉄骨がむき出しになっている。ここでISが爆発物を爆破させ、地下に収蔵された物たちを運びだそうとしたのだという。

 足元に転がる大きな石の塊をいくつも乗り越えてハッとした。何かの残骸だと思って土足で踏みつけてしまったが、よーく見ると動物の足らしき形が掘られていたり、くさび形文字が刻んであるではないか。

 無数の大きな石の塊は、モスル博物館の目玉の一つだった紀元前7世紀頃の半人半獣の神獣、ラマス像だった。跡形もなく粉々になってしまっている。辺りを見渡しても、彫像一つ残っておらずガラーンとしている。目に入るのは粉々の石の塊だけ。実はISがモスルを占拠する直前に、多くの収蔵品がバグダッドに移されたという。しかし運び切れなかった物たちは無残にも破壊されてしまった。

 いったいどれだけの歴史的遺産がここで破壊されたのだろうか。

闇市場に売り飛ばされた?文化遺産

 隣の大きな展示室ももぬけの殻だった。この部屋はどことなく見覚えがある。ISがYou Tubeにアップした映像で、色々な彫像を引き倒したり、ハンマーやドリルで破壊していた部屋だ。

 床には展示物の詳細が説明された金色のプレートが散乱しているが、肝心の彫像は一つもない。テーブルの上には古代の書物や地図が転がっている。壁に掛けられていたであろう展示物も綺麗に剥ぎ取られている。

 ここで不思議に思った。もしISが偶像崇拝は禁止だからと石像たちを破壊したかったのなら、世界にアピールするための映像をささっと撮影して、残りは博物館ごと燃やすなりお得意の方法で爆破して粉々にしてしまえば良いのである。なぜそれをせずに綺麗に物がなくなっているのだろうか。同行した警察軍に聞くと、ISが活動資金にするために闇市場に売り飛ばしたのだという。

 自分たちの信じるものに従って、人類史上の遺産を破壊するのも全く賛同しないが、それをあろうことか金に変えるために売り飛ばすとは……。今から数年後にヨーロッパやアメリカの博物館で、ここに収蔵されていた物たちを目にする事になるのだろうか。

海外放送の視聴を禁じたIS

 博物館に隣接するメインオフィスのあった建物に移った。ここも博物館と同じような状況で、大方の重要書類などはロッカーごと火を放たれて灰になっていた。

 床に散乱した書類の残骸や展示物の細かいパーツ、古い写真がありし日の姿を思い出させる。ある部屋に足を踏み入れると、目の前に巨大なお皿のような物が積み上げられていた。一瞬考えた後、それがパラボナアンテナだと気づいた。ISが住民に海外放送を見るのを禁止し、ここにアンテナを集めて燃やしたのだという。

 さらに横の大きな部屋へ進むと、そこにはISの戦闘員が着けていた装備品が散乱していた。あちらこちらに、中のプレートが抜かれた防弾チョッキや、生活用品、食べ物の残りが落ちていて、ついこの間までここにISがいたのだということを生々しく思い出させてくれる。

 歴史を破壊し、衛星放送の視聴や携帯電話の使用を禁止したIS。自分たちが都合の良いように宗教の教えを解釈し、己の思想と理想を実現するために様々なことを人々に強いた。アフガンのタリバンもそうだったが、なぜ彼らは殊更に歴史や現代文明を否定するのだろうか。自分たち以外の他者を認め、受け入れる、時代と共に社会における宗教のあり方もうまく変化するべきだと思うが、それを拒否して拗らせるとこのようになってしまうのだろうか。街で出会ったクルド人の警察官の言葉を思い出した。「アラブ人は変化を嫌うのさ」。

前の半分が鉄板で覆われた車

 とある日、僕が現地拠点としているイラク連邦警察軍の基地に戻ると、警察官が面白いものを見せてやると言い、基地の奥に連れて行かれた。そこには何やら出来損ないの日曜大工で作ったような車が停めてあった。見たところは普通のセダンのような格好だが、車の前半分とタイヤが分厚い鉄板で覆われていて、運転席に数十センチ四方の小さな窓だけが確保されている。

 中をのぞくと運転席以外のシートが取り外されてガラーンとしている。「ISが自爆攻撃に使おうとした車さ」警官が言った。

 取り外した座席のスペースに爆発物を満載して突っ込んでくるのだという。普通の車では突っ込む前にライフルやロケット弾で破壊されてしまうため、車体を分厚い鉄板で覆っているのだ。

 そういえば同じように鉄板で不自然に覆われた車の焼け焦げた残骸を、前線で見たことを思い出した。あの車は原型を留めていたから、爆発させる前に操縦者は絶命したのだろう。自爆が成功しても成功しなくても、生きては帰れない。こんな車に乗って突っ込む人間は、最後の瞬間いったいどんな気持ちで、何を考えるのだろうか。自分が信じるものの為に殉死して天国に行けると信じ、恐れを感じないのだろうか。それとも車に当たって炸裂する銃弾やロケット砲の爆発音の中で、恐怖に震えながら家族や恋人、友人たちの事を思うのだろうか。

 よほど心の中で信じる物がなければ、こんな事はできないであろう。それを可能にしてしまう信仰の力の強さに、驚きと恐れを感じざるを得なかった。

民家風の裁判所で見たもの

 かつてキリスト教徒たちの街であったバグダッド西方のハムダニヤ。多くの教会や家々がISによって焼かれ、今はほぼゴーストタウンと化している。その街の一角にその裁判所はあった。

 一見すると大きめのアラブ風の石造りの民家だが、中に足を踏み入れると壁に沿って男たちが後手に縛られ膝をついて並ばされていた。全員地面を見つめるようにうなだれ、表情は分からない。彼らの周りを兵士が囲み、カメラを向けることすらできない。

 「全員、ISの元戦闘員だ」と兵士の一人が言った。力なく座るその後ろ姿からは、とても彼らがISの戦闘員だとは思えなかったが、目の前の彼らもテレビやYou Tubeの映像で見るような残虐非道な人間なのだろうか。

生気のない目で宙を見つめる

 裁判所というと、日本やアメリカのような厳かな雰囲気を想像していたが、室内も普通の民家の一室のようである。木のオフィスデスクに裁判官が座り、周りのソファに判事たちが数人と、ひっきりなしにペンを走らせている書記のような人物が二人。こんな所で本当に裁判が行われるのかと思ったが、ドアが開いて男が引っ立てられてきた。

 土と泥で汚れたジャージにスウェット姿。文字どおり死んだ魚のような生気のない濁った目をしている。視線が定まらず、宙を見つめる。呼びかける裁判官の話すら聞こえているのかどうか、まるで夢遊病者のようだ。この男は月に350ドルほどの報酬を受け取りISの戦闘員として活動していたという。前線には各国から集まった外国人の戦闘員が多数いたと彼は証言した。

 続けて数人のIS戦闘員が裁かれるのを見た。一人は20歳前後の若い男。残りは中年と初老の男だった。パッと見は一般人と変わらないように見える。

なぜISに加わって戦うのか

 何が彼らをIS に加わることを決意させたのだろうか。こればかりは本人たちに聞いてみないと分からない。純粋にイスラミストもいるだろう。口には出さないが、一般市民の中でも彼らの思想に共感する者も少なくない。イラク陸軍特殊部隊のコマンダーは、ISが最後まで立てこもったモスル西部の旧市街地を例に挙げ、それは貧しさや教育が行き届いていないことが理由の一つだと言った。まともな仕事がなく、家族を食わすために加わるのだ。

 ヨーロッパや北米の社会の中で、自分の存在理由やアイデンティティを見つけられず、ISが掲げた理想と戦闘の中に、それを見つけようとシリアやイラクに渡る移民の子供たち。アラブ諸国やチェチェン、ロシア、果ては中国から駆けつけるイスラムの義勇兵たち。一口にISと言っても、人それぞれ参加する理由も戦う理由も違うのだ。

 現代社会の中で、居場所や生きる意味を見つけられず虚無を感じている者が、戦いの中に存在意義と生きる実感を求めることは少なくない。いくつかの戦場を見てきたが、そう感じることがある。シリア内でISの本拠地ラッカを奪還するための作戦を行っているシリア民主軍(SDF)の中には、イラクやアフガン帰りの欧米諸国の元軍人や一般人もいる。彼らは彼らで、自分たちの信じる大義のために自らの意志で戦っているのだ。 それは例えIS戦闘員であっても、ISを殲滅しようとするグループであっても、同じなのかもしれない。

多くの戦乱を乗り越えたモスルの街

 モスル西部では、警察と軍によって解放された地域に人が戻りつつあった。郊外から市内へと伸びる大通りには街へ戻る多くの人が見える。建物は破壊されたままで、遠くからは砲撃の音が依然聞こえてくるが、道には野菜や日用品を売る露天商があふれている。

 破壊されてしまった商店の店先を片付ける人々や、緑の蛍光ベストを着た若者たちが一生懸命に道の清掃活動をしている。レンズを向けると、笑顔とピースサインを見せる親子や子供たち。ウェディングフォトグラファーの男性は自分のスタジオの前で「ISがいた時は商売できなかったからね」と笑いながら、ショーウィンドウになぜかトランプ大統領の娘イバンカとその旦那のウェディング姿のステッカーをペタペタと貼るのだった。

 まだ電気も水道も来ていないが、街には少しずつ活気が戻ってきた。7月10日に、イラク首相がモスルの解放を宣言した。これからこの街の再建が始まる。モスル奪還作戦の立役者であるイラク軍特殊部隊も、権限を知事に移したら撤収することになっている。

 モスルは、長い歴史の中で多くの戦いに巻き込まれてきたが、それでも荒廃せずにイラク第二の都市として栄えてきた。生活を失い、難民となった数十万もの人々もいる。街にはまだISの残党が潜んでいるとされ、完全に治安が安定されるのはまだまだ先だろう。しかし、きっとまたこの街は立ち直るだろう。

----------------------------------
■鈴木雄介(すずき・ゆうすけ) フォトグラファー。1984年千葉県生まれ。音楽学校在学中に好奇心からアフガニスタンを訪れ、そこで出会ったジャーナリストに影響を受けて写真を始める。2010年に渡米し、ボストンの写真学校在学中より受賞多数、卒業後はニューヨークを拠点にフリーランスとして活動中。伝えられるべきストーリーや出来事の中に潜む人々 の感情を、写真という動かないメディアに焼き付け、人に伝えるのを目標としている