ポルシェは、2019年よりフォーミュラEに参戦し、WECのLMP1カテゴリーからは2017年末で撤退することを発表した。(写真: ポルシェの発表資料より)

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 WEC(世界耐久選手権)LMP1クラスからポルシェが撤退する。このニュースはスポーツカーに興味を持つ者からは衝撃を持って受け止められている。AIによる自動運転の開発が進み、車の運転の必要性そのものが失われていく中で、トヨタ自動車の豊田章男社長にとって「青天の霹靂」であろう。なぜなら・・

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■ポルシェは、スポーツカーのレジェンド

 ポルシェと言えば世界のスポーツカーレースの常連であり、誰もが目標とする存在だ。ルマン24時間レースをはじめとして常勝チームであり、スポーツカーのお手本的存在であるからだ。ポルシェとトップを争うだけで「名誉」と感じる世界で、トヨタ自動車の豊田章男社長も「ポルシェがトヨタをライバルとして見てくれるのは大変名誉なこと」と語っている。

 1964年日本グランプリ、式場壮吉・ポルシェ904(当時の最新鋭レース専用車)と生沢徹・プリンス・スカイラインGT(現在の日産GT-R)との争いで、到底、勝てるわけもない生沢徹のスカイラインGTが、たった1周だけポルシェを従えて、メインスタンド前を通過しただけで、大歓声となった。後に、「友人であった式場が生沢の願いをかなえて1周だけトップを譲ったのだ」と言われた。

 当時はレースに勝つことが、現在とは比べ物にならないほど大きな宣伝効果になったことから、国内メーカー各社が激しく覇権を争う中、当時まだ日産に買収されずにいたプリンス自動車のスカイラインGTの優勝を阻もうと、トヨタが画策したとのうわさが絶えなかった。トヨタ・ワークスドライバーの式場壮吉にポルシェ904を与えて個人で参戦させ、「トヨタがプリンス・スカイラインGTの宣伝効果を削ごうとした」とされたのだ。それほどポルシェの名前は、その当時から「ブランド」であったのだ。

■豊田章男社長の喪失感

 豊田章男社長の気持ちは「目標を失った」ことにあるのだが、それは単なる順位の問題だけではない。スポーツカーレースでポルシェに勝つことは、その努力を惜しまず、また勝つためには新しい技術開発に果敢に挑むことを恐れず、何よりもその過程で社員同士の協力関係の実際を体感する場であることだ。

 それはトヨタが半世紀以上推し進めてきた「カイゼン」の動きに水を差し、ホンダのF1チームのような倦怠感の中に落とされる危険を感じるものだ。豊田章男社長の喪失感はトヨタ全体の喪失感につながる危険を秘めている。それほどポルシェの存在は大きいのだった。

 「レースは走る実験室」と言った本田宗一郎の言葉は、現在も通ずる言葉であり、SUVの台頭が激しい中でセダンに求められている性能が、新型カムリに見られるようにスポーツ回帰の動きである。ポルシェの撤退は、そんな「スポーツ性能待望の動き」に水を差し「世界の自動車販売状況」にも影響を与えるだろう。

 世界がAIによる自動運転・EV移行の動きの中で、ポルシェがフォーミュラEに専念する。車のスポーツ性能の必要性は、失われていくのであろうか?