RBCカナディアン・オープンは、前週に全英オープンで惜敗したばかりのマット・クーチャーが初日にコース上で目眩などを伴う体調不良に陥り、ファーストエイド(コースで待機している救急隊)が駆けつける騒動があった。
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大会スポンサーのRBCはクーチャーの契約先だ。彼ならば、お世話になっているスポンサーのために何としても戦い続けたいと思ったに違いない。そして、どうにか持ちこたえ、予選も通過して、32位タイで4日間を終了。全英オープン惜敗の悔しさを感じている暇などないかのように彼の戦いはすでに次なる段階へと進みつつある。
大会2日目には、この大会のトーナメント・ディレクターが突然、職務停止処分とされ、一時的にリーダー不在の大会となるアクシデントがあった。理由や詳細は、いまなお明かされていないが、それはまさに前代未聞の緊急事態。
しかし、長年、大会に関わってきた別の人物がすぐさま代役を務め、大会側と米ツアーが協力しあって試合運営には一切、支障をきたさず、無事に試合を終えたところは実に見事だった。
ゴルフも人生も、そして試合の運営も、本当に何が起こるかわからないものだが、大切なのは、予期せぬ出来事が起こったときの対応力。そして、何かが起こったときに対応できるよう、日頃から備え、何かが起こるたびに日頃から学習する姿勢を磨いておくこと。だが、究極の武器となるのは、自分を信じ続けることだと思う。
最終日。首位を走っていたチャーリー・ホフマンに追撃をかけ、サドンデス・プレーオフに持ち込んで勝利を掴んだのは32歳のジョナサン・ベガス。昨年覇者のベガスは、見事に大会2連覇の快挙を達成し、“いろいろあった”この大会に花を添えた。
プレーオフを制し、大観衆に向かって堂々と笑顔で挨拶をするベガスを眺めるにつけ、ずいぶん立派になったなあと感心せずにはいられなかった。ゴルフ未開の国、ベネズエラ出身のベガスは、その昔、母国で「ホウキと石ころでゴルフを覚えた」という。
17歳で単身渡米したときは「英語はまったくわからず、知っている人は誰一人いない。ジャングルの中に置き去りにされたみたいで、怖くてドキドキして、慣れるまでに1年半以上かかった」。
テキサスの地元の学校で2年間、英語を学び、それからテキサス大学ゴルフ部へ。少しずつ前進していたが、それでも彼にはわからないことだらけのアメリカ生活だった。
彼が育った環境では歯医者が無く、歯医者の存在も歯を治療するという行為も知らなかったベガスは、歯と歯茎に感染症を起こしながらも黙って耐え続け、発熱や食欲不振ですっかり体調を崩したとき、ゴルフ部のチームメイトらが異変に気付いて、ようやく治療を受けた。
まともなゴルフシューズを持っていなかったベガスのために、チームメイトたちがお金を出し合ってシューズをプレゼントした。しかし、サイズが小さくて靴ずれを起こし、足はマメだらけで血まみれ。それでもベガスはそのシューズを履いていた。「靴とは、そうやって我慢して履くものだと思っていた」。
そんな苦労を経て、2008年にプロになり、2011年に米ツアーに辿り着き、すぐさま初優勝を挙げたベガスゆえ、学習能力も学習意欲も学習する必要性も常に他選手の数倍、数十倍。予期せぬ状況に出くわした経験は、数えきれないほどあったことだろう。
それを思えば、大会2連覇を達成できるかどうかのプレッシャーも、サドンデス・プレーオフを戦う緊張感も、18番でフェアウエイバンカーから2オンを狙う難しい状況も「僕ならできる」と思えたことは、なるほどと頷ける。
「自分は正しい方向へ向かって、正しいことをやっている。そう自分に言い聞かせてきた」。
生きる上でも、ゴルフで戦う上でも、自分を信じることは何より強い。どんなときも「自分は正しい」と信じられるように、日頃から自分を謙虚に省みて、自分をひたすら磨くこと。すっかり立派になったベガスを眺めながら、「成長」という二文字の意味をあらためて考えさせられた。
文 舩越園子(在米ゴルフジャーナリスト)
<ゴルフ情報ALBA.Net>

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