欅坂46とミュージカルの親近性 エンターテインメント集団としての表現を1stアルバムから考察

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 そこに笑顔はない。メンバーたちが左右に分かれて縦に並ぶ。道のようになったその奥から、グループ最年少でセンターを任された平手友梨奈が、なにかを宣誓するように右手を上げてから、前方へ歩いてくる。続いて、カメラのほうを見つめながら指さす瞬間の目力。デビュー曲「サイレントマジョリティー」のMVで見せたこの一連の流れが、現在までの欅坂46のイメージを決定づけた。

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 『聖書』には、右手に持った杖を上げると目の前の海が左右に割れ、進むべき道が現れたというエピソードがある。その話の主人公にちなみ「モーセ」と呼ばれているフォーメーションでの平手のパフォーマンスは、インパクトが大きかった。彼女はその後のシングルの「世界には愛しかない」、「二人セゾン」で続いてセンターを務め、現時点での最新シングル曲「不協和音」でも中心で踊り、曲の決め台詞である「僕は嫌だ」を最初に口にする。

 このほど発売された欅坂46の1stアルバム『真っ白なものは汚したくなる』は、「サイレントマジョリティー」から「不協和音」までの彼女たちの歩みをまとめたものだ。デビュー曲は、大人たちに支配されるのではなく、自分らしく自由に生きろと鼓舞する内容だった。それに対し、「不協和音」は同調圧力に負けず自分の正義を貫こうとする姿が歌われている。若者たちによる大人への反抗の曲だった「サイレントマジョリティー」のテーマが「不協和音」ではいっそうシビアになり、仲間にまで罵られ殴られても屈しない個の抵抗が描かれる。

 『真っ白なものは汚したくなる』は、CD1枚だけの通常盤、それぞれ収録内容の異なるディスク2とDVDが付いた初回仕様限定盤のTYPE-AとTYPE-Bの3種類が販売されている。また、iTunesではそれら全40曲のComplete Editionが配信されている。振付で踊るアイドルグループらしくダンス・ビートを基調に組み立てられた曲が多いが、フォーク調、ロック調、昭和歌謡風などバラエティに富んでいる。48グループや乃木坂46などと同じく、ユニット、ソロなど様々なメンバー構成で披露される数々の曲のテーマは一色ではない。

 これまでの全シングル曲が聴ける通常盤とTYPE-A、TYPE-Bのディスク1の内容は、ほぼ共通している。「大人は信じてくれない」、「語るなら未来を……」も収録されたそのディスクには、反抗する若者と彼らの未来という時間軸が設定されているように感じられる。

 だが、TYPE-Aのディスク2にはグループ結成から3カ月遅れで参加した長濱ねるを念頭に作られた「乗り遅れたバス」があり、通常盤(ディスク1)にも長濱以後の追加メンバーによってけやき坂46が組まれた経緯を踏まえた「ひらがなけやき」、「W-KEYAKIZAKAの詩」が配置されている。

 一方、全ての作詞を手がけた秋元康はTYPE-Aの「渋谷からPARCOが消えた日」、「東京タワーはどこから見える?」、TYPE-Bの「渋谷川」を書いてもいる。これらの曲に登場する場所は若いメンバーの今を象徴してはいないし、むしろノスタルジーを喚起するモチーフだろう。

 秋元康は『真っ白なものは汚したくなる』に、反抗する若者の未来、欅坂46というグループ自体の歩み、ノスタルジーなど複数の時間感覚を織りこんでいる。「二人セゾン」に代表されるように、もちろんアイドルらしく時の流れに伴う恋愛や友情の変化も描かれる。とはいえ、欅坂46に関して特に強調したいイメージを集めたと考えられる1枚ものの通常盤を聴くと、やはり反抗の印象が際立っているのだ。個を主張した「不協和音」のテーマをさらに激しく展開し、主人公が自分ははみ出した変わり者でかまわないと考える「エキセントリック」が収録されているせいもあるだろう。加えて「月曜日の朝、スカートを切られた」が、その印象を強めている。

 TYPE-AとTYPE-Bのいずれもディスク2冒頭に配置され、通常盤を締めくくってもいる「月曜日の朝、スカートを切られた」では、曲名通りの出来事が題材になっている。少女を汚そうとする者が存在すると示されるわけだ。それに対し、反抗することにも従順であることにも醒めた態度をとる同曲のヒロインは、大人への不信を吐露しつつ、悲鳴など上げてやらないと周囲の状況に反発する。欅坂46の公式サイトにアップされたこの曲のMVは、「サイレントマジョリティー」の撮影場所へメンバーが集まるところで終わっている。つまり、「サイレントマジョリティー」にあった大人への反抗の動機が、「月曜日の朝、スカートを切られた」で語られたような位置づけなのだ。

 一方、アルバムを通して聴くと、まだ何者でもない若者たちが、自分を変えて何色かに染めようとする姿が繰り返し描かれている。『真っ白なものは汚したくなる』というタイトルは、少女を脅かすものの暗示と、自分を染め直そうとする少女自身の意識のダブル・ミーニングとして機能している。

 「サイレントマジョリティー」や「不協和音」に象徴される欅坂46のイメージをめぐっては、記事で反抗、革命という言葉が使われたり、ロック的な文脈に引き寄せたりする例がみられた。一方、大人に命じられた通り揃いの制服を着て、振付通り踊りながら大人に反抗する曲を歌うことを揶揄する意見もあった。自作自演重視の旧来型のロック的観点から解釈した批判だ。しかし、反抗、革命はロックの専売特許ではないし、ミュージカルでもよくとりあげられてきた題材だ。

 例えば、最近では乃木坂46の生田絵梨花も出演している『レ・ミゼラブル』は、王政打倒を訴えた六月暴動で人々が声を上げ「民衆の歌」を合唱するのが名場面となっている。また、宝塚の古典『ベルサイユのばら』では、フランス革命での戦闘を男装の麗人オスカルを中心とした群舞で表現した場面でクライマックスを迎える。「サイレントマジョリティー」や「不協和音」には、ロックよりもむしろその種のミュージカルとの親近性を感じる。

 欅坂46のシングル曲の振付はみな、TAKAHIROによるものだ。彼は、曲に振りを付ける前にはメンバーと歌詞について話しあう。曲中でメンバーが自由に踊っていい部分を設けるのも特徴だ。また、「この世界には愛しかない」ではポエトリー・リーディングが多くとりいれられ、「エキセントリック」でもラップ調の部分があり、「不協和音」や「月曜日の朝、スカートが切られた」などでも決め台詞といえるフレーズが出てくる。欅坂46はドラマ出演する前から、音楽を芝居的にとらえることで歌詞理解や表現に関して成長してきた。そのうえで多様な内容を持つ曲をパフォーマンスしてきた。憑依型の演技をみせる平手友梨奈という逸材がいたから、このような歩みになった面はあるかもしれない。

 一方、ミュージカルにおいて暴動や革命がよく扱われるのは、政治的な理由というよりエンターテインメントとしての特性による。人々が揃って声を上げ、体を張る暴動や革命というシチュエーションは、集団で踊り歌うエンターテインメントであるミュージカルを盛り上げやすいからだ。

 アイドルグループはライブ前にメンバーが円陣を組み、気合入れをしたりする。乃木坂46の場合、かけ声は「努力、感謝、笑顔、うちらは乃木坂上り坂46!」。それに対し欅坂46は、「けやき」の頭文字をとって「謙虚、優しさ、絆、キラキラ輝け欅坂46!」と声をあわす。大人への反抗、個の自己主張といったグループの基本線のイメージと「謙虚」や「絆」は合致しないようにもみえる。

 しかし、平手は「サイレントマジョリティー」の「モーセ」の部分で自分の姿がかっこよくみえるのは、他のメンバーがいい表情で列を揃えているからだとインタビューで答えている(『QJ』vol.129)。そこでは、個の表現と集団の表現は一体になっている。また、彼女は、みんなで一つの作品をつくるのはミュージカルみたいな感覚かもしれないと発言している。加えて、欅坂46の曲は全部つながっている気がするとも話していた(『ROCKIN’ ON JAPAN』2017年4月号)。エンディングで「サイレントマジョリティー」へとつながる「月曜日の朝、スカートを切られた」のMVは、平手の言葉を裏付けているかのようだ。

 若いメンバーたちには、反発心も慈しみの心もあるだろう。ミュージカル的な感覚のエンターテインメント集団である欅坂46に、大人への反抗や個の自己主張と、謙虚、優しさ、絆が同居していることに無理はない。私は『真っ白なものは汚したくなる』を、そんなアルバムとして楽しんだ。(円堂都司昭)