酸をかけた男とその被害にあった娘と妻(画像は『Cover Asia Press 2017年7月24日付「Acid attack survivors forced to live with the man who scarred them」(Cover Asia Press/Tanzeel Ur Rehman)』のスクリーンショット)

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インド北部ウッタル・プラデーシュ州にあるアーグラ市に23年前、夫から酸を浴びせかけられて心身ともに耐え難い傷を負わされた妻と娘がいる。驚くべきことにこの母子は、今でも加害者とともに暮らしている。一生消えることのない傷を与えた男と人生を共にする覚悟とはいかなるものか。『Cover Asia Press』や『The Sun』が伝えた。

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今から23年前、夫との仲がぎくしゃくしていたギータ・マホアーさん(40歳)は3歳の娘ニートゥちゃん、1歳半のクリシナちゃんと実家に身を寄せていた。前々から酒に酔っては「俺を怒らせたら顔を台無しにするぞ」と言っていた夫のインタージート(60歳)はある日、夜中に母子3人が寝ていた部屋に忍び込み、酸を浴びせた。

叫び声を聞きつけたギータさんの母が駆け付けすぐに警察に通報し、インタージートは逮捕された。母と娘2人は病院で3〜4か月の入院を強いられ、その後ギータさんの母の家に逃げ込んだ。ニートゥちゃんは両腕と胸、顔、両目に激しい火傷を負った。しかし頭と手に傷を負った次女のクリシナちゃんは退院後に感染症にかかり、1か月もしないうちに息を引き取った。貧しかったギータさんは、遺体を包む布さえ買えず自分のペチコートを破って亡き我が子を包み、ガンジス川に流したという。

ギータさんの父は早くに他界していた。母はギータさんの弟と妹と暮らしていたが、ギータさんやその娘と暮らすようになってからは、弟と母が懸命に働いて貯めたお金が薬と治療代に消え、経済的にますます困窮した。母親に頼ることも限界があり、かといってギータさんは1人で子供を育てて行く経済的な自信もない。結局、刑務所から許しを請う手紙を送ってきた夫への起訴を取り消し、許すことを決意した。夫は事件から3か月後に釈放された。

傷が癒え、夫と再び暮らすことを決意したギータさんは、1年2か月を一緒に過ごした母のもとを離れたが、その暮らしは幸せとはほど遠いものであった。インタージートは改心するそぶりをみせたものの、酒が入ると暴力を振るい「殺すぞ」と脅し、家族の大切なお金をギャンブルにつぎ込んだ。ギータさんと娘に酸を浴びせた日も、夫婦喧嘩でむしゃくしゃしていたインタージートは酒を飲み、友人の1人から酸を浴びせるようにけしかけられたという。

しかしギータさんは夫を許し、今までのように生活をともにすることを「自分の人生」だと受け入れた。2人の間には事件から8年後、新たに娘も生まれた。だが酸攻撃を浴びた姿は世間から嫌悪の目で見られ、すれ違うたびに顔を背けられた。近隣住民からは「この地域から出て行け」とあからさまな差別まで受けたという。ギータさんは、夫のもとに戻る決心をした理由をこのように話している。

「もし23年前、今のように酸攻撃に遭った人たちへの社会サポートがあれば、きっと夫への起訴を取り消すことはなかったでしょう。ですが当時の私は夫からの許しを請う手紙に怯え、お金もなく、夫のもとに帰る以外どうすることもできませんでした。傷が癒えた時、私は強くなったように感じましたが、自分のどうにもできない運命や娘のことを考えると、これが私の人生なのだとわかっていても毎晩涙が止まらないのです。」

また現在26歳になるニートゥさんは「酸を浴びせられた時のことははっきりと覚えていません。でも後に『誰にやられたの?』と周りに聞かれるたびに『ならず者にやられたの』と答えていました。私は父をそのように呼んでいたのです。父のことが怖かった。でも今は許しています。父に頼りっきりだった母には父のもとへ戻る以外、選択肢がなかったのです。だから『なぜ私たちは父と今でも一緒にいるの?』と母に尋ねたことはありません」と語る。

ギータさんとニートゥさんは2014年から、非営利慈善団体「Stop Acid Attacks Campaign」がサポートしている市内のカフェで働いている。同団体はインドで酸攻撃にあった女性を救うために設立され、その基金で今年の5月にニートゥさんは右目の手術を受けた。しかしたった3%しか改善が見られず、左目は治療の施しようがないほど永久的にダメージを受けているという。

ほぼ失明状態の娘を支えるギータさんは「娘は強い子ですが、目が見えない状態ではできることも限られます。美しい心を持つ娘を誇りに思いますが、私がいなくなった時に娘がどうなるかと思うと心配です。奇跡が起こって欲しい」と話している。

ギータさんとニートゥさんは、「Stop Acid Attacks Campaign」のサポートを受けるようになってから、独立心を取り戻したという。そして朝起きた時にやる気や希望が生まれ、酸攻撃に遭った自分たちに理解がない人々に対しても向き合うことができるようになったそうだ。2人は「この団体にはとても感謝している」と言い、ニートゥさんは自分の人生について、次のように力強く語っている。

「私たちの社会では、酸を浴びせた犯罪者よりも被害者の方が周りから嫌悪されます。社会から相当なプレッシャーを感じながら生きなければなりません。ですが、私は悲しいと思ったり落ち込んだりしたことはありません。他人より弱いと思ったこともありません。人間は誰でも人生の浮き沈みを経験し、葛藤して生きています。私は他人よりそれが少し多いだけだと思っています。顔や目が台無しになっても、私の夢や勇気が奪われたわけではありません。起こってしまったことはもうどうしようもないこと。生きている限り何でもできます。大切なことは勇気を出して前に進み続けることなのです。」

このニュースを知った人々からは「読んで泣かずにいられなかった」「なんて勇気のある母子だろう」「どんなに暴力を受けても男に頼らなければ生きていけないというのは悲しき文化だ」「次女まで亡くして酷い目にあっているのに、よく夫のもとへ戻る決心がついたよね。信じられない」「酷い人生ってこのことだろうね。言葉が見つからない」といった声があがっている。

画像は『Cover Asia Press 2017年7月24日付「Acid attack survivors forced to live with the man who scarred them」(Cover Asia Press/Tanzeel Ur Rehman)』のスクリーンショット
(TechinsightJapan編集部 エリス鈴子)