ロックバンド・レイジーでのデビューから40年。影山ヒロノブと井上俊次氏(ランティス代表取締役社長)によるアニソンシーンの開拓は、昨今のアニソンシンガーや声優アーティストたちの活躍などシーンの人気拡大に大きく寄与し、今やフェスを開催すれば数万人があっという間に会場を埋め尽くすまでに成長した。この40年で様変わりしたアニソン界や、2人が見据えるアニソンシーンの未来像について語った。

アニソンシンガーになって良かったと思う「アニソンに救われた」

――デビュー40周年おめでとうございます。記念オリジナルアルバム『A.O.R』はとても充実した内容でした。なかでもリード曲「Beginning」はデヴィッド・フォスターのアレンジで、アルバムタイトルでもあるAORを色濃く感じる楽曲でした。

【影山】
ありがとうございます。一昨年前かな、井上君と下北あたりで飲んでいるときに、2年後には40周年だけど何かやりたいことないの? という話になり、デヴィッド・フォスターと一緒に作れたら最高だよな、と話したんです。どうせ無理だろう思っていたら、数日後に井上君が「今ならできるかもって言ってるから急いで曲書いてよ!」って(笑)。

【井上】
ロサンゼルスの知り合いを通じてオファーしたんです。ただ、レーベルの問題などもあり、アレンジと歌のディレクションをしてもらい、レコーディングも一緒にやることになりました。最初に影山君にデヴィッドにオファーした時の気持ちをメールで送ってもらったんだよね。

――憧れていたデヴィッド・フォスターに詩・曲を渡すというのも相当なプレッシャーだと思います。

【影山】
とにかく時間がなく、歌とアコギだけのデモを送りました。ですが、10日間くらい何の返事もない…。

【井上】
まだ、誰にも言ってないから、これでアカンかったら、なかったことにしよう、とか話したね(笑)。

【影山】
そしたら8割くらいアレンジができていて、デヴィッド自身が仮歌を歌っているデモが届いた。

【井上】
その後はビデオ撮影したピアノやベース、ドラムの録音映像が次々と届いて。こちらからも要望を伝えながら作業を進めていきました。

――お聞きしていると「Beginning」は2人の絆の証でもあると感じます。

【影山】
井上君は正真正銘のデヴィッドのマニアで、若い頃に撮影した2ショット写真をいつも持ち歩いているくらい。その井上君と2人で一緒にアニソンに携わってきて、40周年を迎え、この曲を作ることができた。自分自身、アニソンシンガーで良かったとつくづく思っています。

アニソンに救われた2人、かまやつさんがスカウトしてくれたおかげで今がある

――デビューから解散を経て、この作品に至る過程で重要な要素がアニソンです。影山さんは常に第一線で活躍するアーティストであり、ランティスもまた15年以上続く、アニソン業界のトップランナーです。

【井上】
まさにアニソンに救われた2人だよね。それともう1つ。かまやつさんがいなかったらどうなっていたのかなと思った。16歳の時、かまやつさんにスカウトしていただいたから、東京に出てくることができ、バンド活動ができたわけで。そうじゃなかったら、大阪のアメリカ村で“ロックスナック”でもやっていたんじゃないかな(笑)。

【影山】
僕は実家を継いで床屋か美容師(笑)。

【井上】
ともかくレイジーでの活動を終了し、くすぶっていた頃、影山君が『電撃戦隊チェンジマン』の主題歌を歌い、『ドラゴンボール』などの人気作を次々歌うようになった。それで影山君がアニメの世界に来いよって誘ってくれた。当初はコミックや児童文学に曲をつけるようなことからのスタートでしが、本当にここが第2の音楽人生に思えて、影山君もそうだったと思うけど、空白の10年を取り戻す勢いで頑張りましたね。

【影山】
僕は、井上君と離れ離れだった間は、コロムビアでアニソンシンガーとしてキャリアを重ねていたのですが、自分たちで総合的に音楽を作り上げていくスタイルのアニソンをやりたいと考えるようになり、その時に井上君と一緒に始めることになった。JAM Projectとランティスがあって、そこに自分がいることで、僕にとってもアニソンシンガーとして次のステップに上がることができた。それは、井上君が環境を整えてくれたからだと思う。

【井上】
当時、影山君に言ったのは、タイアップは取れないんで、僕らは自分で曲も詩も作って、影山ヒロノブのオリジナルアルバムを作る感覚で行こうということでした。それでJAM Projectが生まれて、次第にテレビアニメにも参加させていただけるようになっていった。

【影山】
そうしているうちにアニソンシーンに変化が生まれてきた。それまでのアニソンシンガーは、歌は流れるけど、世間の人からしたら声は知っているけど、顔は知らない存在。それはそれで良かったけど、そこから先に進むことを望んだとき、J-POPとかロックの世界が、個性が個性として進化して、業界全体を大きくしていったように、アニソンの世界もそうなる必要があった。JAM Projectの活動を通じて、それを実行できた。その結果、今は、アニソンのジャンルも本当に多彩。アーティストがそれぞれの個性を発揮できる環境になったのは素直に嬉しいね。

【井上】
そもそもJAMとは「ジャパン・アニメーションソング・メーカーズ」だからね。監督やシナリオライターと同じテンションで作品を作っていくことが一番大事だと考えた。アニソンシンガーって曲はヒットしても、ソロコンサートの集客には繋がっていなかったから。歌唱印税だけではやっていけないし、真の意味でスーパースターが生まれる環境ではなかった。だから自分たちで曲も詩も書くように導き、コンサートも集客できるようにしたいと考えて、ランティスのアーティストはライブも積極的にやるようにしたんだよね。

【影山】
実際、ライブのお客様も様変わりしたよね。

【井上】
「アニソンのライブに行こうよ」って友達を誘えるジャンルになったんだと思う。

【影山】
ステージから見える景色もこの20年で変わった。20年前にスーパーロボット大戦のコンサート「ロボネーション」というライブを開催したときに、初めてオールスタンディングでやったんだけど、そこから今に続く、アニソンコンサートのスタイルが始まったと思う。

海外展開が、今はライブだけで終わってしまっている点は残念

――国内の状況が変化するとともに海外へも広がっていきました。

【井上】
08年くらいからJAM Projectは海外公演を開始したけど、影山君はソロで、もっと前から行っていたよね。その頃、海外って凄いよって言ってくれてはいたんだけど、僕はまだ半信半疑だった。

【影山】
日本の人は海外での盛り上がりを知るのが少し遅かった。僕が初めてチリへコンサートをやりに行った時は、後輩と2人だけだったけど、会場の体育館には3000人くらい埋まっていた。その時、駐在している日本大使館の大使も来てくれて、「海外で文化交流を行い、古典芸能などに来てもらっていたけど、若い人は特に振り向いてくれなかった。それが君たちは自力でここまで来て、こんなにも現地の若い人たちを楽しませてくれた。こっちのほうがよほど文化交流だ」と、喜んでくれたのを今でもよく覚えています。

――では今後の課題は?

【井上】
海外に関して言えば、今はライブだけで終わってしまっている点は残念に思いますね。国内で「ANiUTa」というアニソンの定額制の聴き放題サービスが始まり、海外の人たちにも正式に音楽を聴いてもらえる環境はを作ろうと努力しています。今後はCDも含むグッズも買っていただける環境を作っていきたい。アルバムを聴いて、もっとファンになってもらい、“日本に行ってみたい!”になったら最高だと思います。

[コンフィデンス 7月31日号より]

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