1990年代後半にNBA入りし、瞬く間にスター選手となったグラント・ヒル。誰もが00年代のNBAを引っ張るスーパースターになると信じていた。しかし、彼のキャリアは波乱万丈だった。

父はNFL(アメリカンフットボール)の選手で、母は大学時代にヒラリー・クリントンのルームメイトという、絵に描いたようなセレブな家庭で生まれたヒル。そんな彼に、神はバスケットボールの才能もプレゼントしていた。

グラントは“名門”デューク大に進学。同校の先輩であり、初代ドリームチームに唯一大学生として選ばれたクリスチャン・レイトナーと共にチームを引っ張り、1年目、2年目ともにNCAA(全米大学)優勝を果たす。全米注目のスター選手だったヒルは、当然のように1994年のドラフト全体3位指名をデトロイト・ピストンズから受け、NBA入りした。

NBAに進んだヒルは、1年目から平均19.9点、5.0アシスト、6.4リバウンド、1.77スティールというオールラウンドな成績を残し、同期のジェイソン・キッドと共にW新人賞を受賞。また、同シーズンのオールスターでは他のスーパースターたちを抑えて、新人ながらファン投票1位で選出された。

非凡な身体能力、キレのあるクロスオーバー、的確に空いている選手を見つけるアシスト、そしてなんといってもバスケットボールIQが非常に高い選手だった。端正な顔立ちに加え、若くして相手の穴やクセをつく冷静さを持ち合わせた、さながら“先生”のようなプレイヤーだった。

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出典: youtu.be

年を重ねるごとに順調に個人成績を伸ばしていった彼だが、思ったようにチームの勝ち星は伸びず、キャリア最高の平均得点25.8点を記録した1999-00年シーズンを終えた後に、オーランド・マジックにトレードされることになった。

同じく移籍してきたトレイシー・マグレディと共に、若くて才能のあるデュオを結成し、大きな注目を集めた新たな船出だったが、ここから彼のキャリアは一転する。

期待を受けた2000-01シーズン、ヒルはわずか4試合の出場に終わる。4試合目で足首を骨折し、そのまま残りの試合を全休。その後のシーズンも、足首の故障を繰り返して思うように試合に出られない日々が続いた。

3年後の2004-05シーズンは67試合に出場し、平均得点も19.7得点を記録し“復活”かと思われたが、翌2005-06シーズンからはヘルニアを患い、またもシーズンの4分の3ほどを欠場する。

このまま終わりかと思われたが、懸命のリハビリの末、またも翌年に復帰。今までのような切れのあるプレイは見られなくなったものの、持ち前のバスケIQと、さらに向上させたディフェンス力でチームに貢献。その後はサンズ、クリッパーズとチームを渡り歩き、2013年に引退を発表した。

チームの中心エリート選手から、度重なる怪我で何度もキャリアを転げ落ちそうになった彼だが、見た目や経歴にそぐわぬ根性でNBAを生き続けた。エリートでありながら、努力家で人柄も良い彼は様々な人から愛され、NBAのスポーツマンシップ賞を3度も受賞している。

現在では、NBA解説者としてシーズン中はほとんど毎日姿を見かけるようになり、その落ち着いた喋り方や的確な解説からは今も、どことなく“先生らしさ”を感じる。これからは、現役の時のような浮き沈みのない、安定した彼の姿を見ることができるだろう。