喜寿を迎えた老写真家による、集大成となる展覧会。枠組みとしてはそうなるはずだけど、雰囲気はまったく違う。開幕前、プレス向け解説の場に立った老写真家本人は、巧みな話術で聴く者を惹きつけつつ、みずから懇切丁寧に各作品を読み解いていった。話しているうちに弾みがついたのか、予定を大幅に超えて説明は続いた。その姿は、なんとも壮健で生命力に満ちていた。

 それに、そもそも作品自体が異様に生々しい。もっといえば、あらゆる写真が過激でいかがわしくて、生臭さたっぷり。老境に至ってもこうした心持ちを保つことができて、優れた表現ができるのなら、歳を重ねるのはなんと素敵なことかと思わせる。

 高齢化社会に明るい光をねじ込む展覧会、それが東京都写真美術館で開かれている、アラーキーこと荒木経惟による「荒木経惟 センチメンタルな旅 1971-2017-」だ。


撮影/筆者

妻・陽子にまつわる写真のみを展示

 誰もが一度は目にしたことがあるアラーキーの膨大な写真群から、今展は、1990年にこの世を去った最愛の妻・陽子に関連する作品をピックアップしてある。

 1960年代に写真家としてデビューした荒木は68年、当時勤めていた電通(会社勤めをしていた事実、しかも電通の社内フォトグラファーだったことがすでに驚きだ)で陽子と出会い、死の間際まで常に彼女を被写体とし続けた。彼女の死後も、思い出をたどるように、また、あたかもまだそこに存在するかのように、本人以外の事物に陽子の姿を見出す撮影を繰り返してきた。


《センチメンタルな旅》より 最愛の妻・陽子 撮影/著者

 そうした姿勢は現在も変わらない。半世紀を超えるキャリアを通じて、荒木の写真はいつも陽子とともにあった。

 出会った当初、ふたりは社内恋愛をしていたことになる。荒木は社内スタジオをこっそり使用したりして、若い陽子を撮りまくった。展示はそのころの作品約100点を、小さいサイズのポジフィルム原板のまま見せるところから始まる。画面のなかで見せる陽子の表情は何に媚びることなく挑発的で、いっしょにいれば誰しもどんどん惹かれてしまうだろうことがよくわかる。

 1971年にふたりは結婚。京都、福岡・柳川、長崎への新婚旅行へ出かける。その様子を荒木自身が撮った作品《センチメンタルな旅》は、オリジナルプリント全108点が会場にずらりと並んだ。


撮影・著者

 この作品を荒木は私家版として写真集にまとめている。その序文では、身近なことがらを題材にする自身の作風を、文学における「私小説」になぞらえて「私写真」と名づけた。以来、荒木は私写真を撮り続けており、《センチメンタルな旅》はいわば原点。それゆえ作品はいま見てもまったく古びず、写真のなかから陽子の息遣いまで感じ取れそうなほどの生っぽさを発散する。


在りし日の陽子 撮影・著者

「写真とは愛」と納得させられる作品群

 1991年、陽子は42歳の若さで、子宮肉腫のため命を落とす。死にゆく彼女の姿を克明に写した記録が《冬の旅》と題された作品となった。このシリーズも30点以上が会場に並ぶ。近づく別れを惜しむ痛々しい写真、撮影者の意気消沈した気持ちがたっぷり投影されたカットを連続して見ていくのはつらい。どの写真からも、ともに過ごす残りわずかな時間を慈しむ気持ちが、ひしと感じ取れる。


陽子の死後撮影された写真 撮影・著者

「写真とは愛である」

 そんなベタな言葉を、荒木はことあるごとに発するけれど、それは口先だけではないことが、《冬の旅》の前に佇んでいるとよく理解できる。身近で愛する存在を撮る、そうすればおのずといい写真になる。こんなわかりやすくて単純な原理で、荒木の写真はできているのだと気づかされるのだ。

 会場内を進むと、陽子の死後に撮られた作品にもたくさん出合う。陽子のいない喪失感を表したかのようにも見える、空やモノを撮った《空景/近景》。やるせない気持ちを叩きつけるように、空の写真にペイントを施した《遺作 空2》。陽子がもらってきてともに飼ってきた愛猫を撮った《愛しのチロ》。


《遺作 2》 撮影・著者

 どのシリーズにも撮り手の渦巻く感情がたっぷり含まれているから、観る側の気持ちも大いに揺さぶられる。ああ、ここに半世紀のあいだ一人の女性を愛し、枯れることなく命を燃やし続けている人がいる。こんな生き方もあるのか、そう思い知らされて、老写真家から元気をお裾分けしてもらった気分になる。


《愛しのチロ》より 撮影・著者

 老いてますます盛んなアラーキー、今展のほかにも、東京オペラシティアートギャラリーでは「写狂老人A」と題した大規模展覧会も開催中(9月3日まで)。じつは今年は、月に1本以上のペースで国内外の美術館、ギャラリーで個展を開くスケジュールになっている。

「写真がアタシの人生だし生活」

 と言い切る彼のことである。今、この瞬間だって写真を撮り、新作を生み続けているにちがいない。

(山内 宏泰)