内田良『ブラック部活動 子どもと先生の苦しみに向き合う』(東洋館出版社)

写真拡大

年中無休で取り組む部活動。休部や退部を考えたとき、「内申に影響がでるのでは……」とためらう親子は少なくない。なぜ部活動はやめにくいのか。「部活動問題」の第一人者である内田良氏は、問題の背景には部活動のあいまいな位置づけがあるのだという。著書『ブラック部活動』(東洋館出版社)より一部を発売に先行してご紹介しよう――。

■入部を強制し、退部を許さない力学

4月から始まる勧誘活動、夏の大会、新人戦……中学・高校と部活動に属して、熱心に競技や文化活動に取り組んだ人は少なくない。また、甲子園をはじめ、部活動に没頭して励む子どもたちの姿に感動し、鼓舞される人も多いだろう。

しかし、あまりにそれが身近であるがゆえに、われわれには部活動の位置づけが見えなくなっている。詳細は本書の記述に譲るが、部活動は「生徒の自主的・自発的な参加により行われる」ものであり、「教育課程外」の活動、つまり国が定める、学校で行うべき内容には含まれていない。

にもかかわらず、全国的に4割の学校が「全員部活動に加入すること」という「全員加入制」をとっており、実際には9割近くの生徒が部活動に所属している。

この9割という数字が、「自主的・自発的な参加」だけによるものとは、考えにくい。ここまでに高い加入率は、「部活動に所属するのが当然」とされる、学校文化の実態を示しているといえよう。

そしてその中には、部活動の入り口での「全員加入」といった力学に加え、練習の重荷や人間関係の悩みゆえに「部活をやめたい」生徒をやめさせない、見えない圧力が存在している。

■つながりの強さがうみだす「絆」という束縛

生徒どうしの関係でいうと、部活動では土日をも一緒に過ごす濃密な日々が続くため、部活動をやめることには人間関係上のリスクが生じる。

人びとの結束を示す言葉に「絆」がある。学校教育でも頻繁に用いられる言葉だ。

この「絆」には、二つの意味がある。一つが「断つにしのびない恩愛」という積極的な意味であり、一般にはこの用法がよく知られている。そしてもう一つが、「自由を束縛するもの」という否定的な意味である。人と人とのつながりを強化することは、お互いの愛情や信頼を深めることもできるが、そこから逃げられない拘束を生み出すことにもなる。

生徒どうしのつながりの強さを目指す部活動ほど、その束縛も強まる可能性がある。やめようとすると、学校生活において仲間を失ってしまうのではないか、さらには「いじめ」の被害に遭ってしまうのではないかと、さまざまな不安が生徒の脳裏をよぎる。活動の量も質も濃密な部活動は、それを重荷と感じた生徒を息苦しくさせたまま、そこにつなぎ止める。

■退部は顧問への「反乱」?

部活動をやめさせない圧力は、生徒どうしの関係だけに生じるものではない。

顧問自身が、「やめたい」という生徒をなんとしてでも引き留めようとすることも、よく聞く話である。

とある中学校で、サッカー部の顧問が激怒した。以前から部活動中の態度にあまり真剣さが見られなかった生徒が、その日もしゃべりながらランニングをしていたのだ。顧問は生徒を呼び出し、皆の前で怒鳴って叱りつけた――「お前のことはもう知らん!」。

じつはその生徒は、以前から「もう部活をやめたい」と仲間の部員たちに相談していた。だから顧問が「もう知らん!」と言葉を投げつけたとき、生徒はその場で即座に自分の気持ちを顧問に伝えた――「だったら、もう部活やめます」。

これが顧問の感情を逆なでした。「いままで、みんなで一緒にやってきたのに、それを台無しにする」「それでは、世の中に出ても生きていけない」と厳しい言葉を次々と投げつけ、そして「頭冷やして、よく考えろ!」と激怒したまま、顧問は職員室に戻っていってしまった。

その生徒は、すぐには職員室に行かずに、一晩悩んだ。仲のよい部員たちにも、夜中に相談した。そして、その日のうちに退部を決断するに至った。

激怒の後に職員室に戻ってしまうというのは、教員文化においては定番の叱り方で、いずれ生徒が職員室に謝りにやって来ることが想定されている。そこで、顧問と生徒の人間関係がさらに深まるという、コテコテのドラマである。

だがその生徒は、謝りに来ることもなく退部を決意した。困ったのは、顧問である。激怒してその生徒を突き放したところ、もうその生徒は職員室にはやって来ないのだ。結局、翌日に職員室で待ちきることができず、みずからその生徒を説得すべく、怒りながら職員室を出て行ったという。

この先の結末を私は知らないのだが、ここで重要なのは、「もう知らん」と言いながらも、本当のところ「やめてもらっては困る」という顧問の側の事情である。顧問が部活動に執着するとき、そこから離脱しようとする生徒は、顧問に抵抗する反乱分子のように見える。これを指導し説得することがまた、部活動指導の一環と考えられ、さらにはそこに教員としての指導力の高さがあらわれるとみなされる。

もちろん、何でも生徒の思い通りにすることには、慎重でありたい。だが、部活動はそもそも生徒の自主的な参加により成り立つものである。「部活やめたい」という生徒に、顧問が激怒する理由はどこにもない。

■「内申」という束縛の欺瞞

部活動を「やめさせない」圧力には、人間関係とはまったく別のものがある。人生を左右する入試における、いわゆる「内申」の影響力である。本書第8章で詳述する「部活問題対策プロジェクト」のネット署名「教師編」に寄せられたコメントを紹介したい。

----------

子どもは、いつも学校に半日以上拘束され、へとへとになって帰宅します。そんな子どもの姿を見るのがつらいです。とにかく部活の時間が長いのです。正直、そのスポーツを一生涯やるわけではありません。なぜそれほど部活に時間をとられるのでしょうか。せいぜい週に2日ほどで十分ではないでしょうか。子どもは、本当は帰宅部を希望していますが、内申のことがあるので、帰宅部にはなりません。内申の制度さえなければと思います。(文意を損ねないかたちで、文章を適宜編集した)

----------

この生徒は、「内申」を気にして部活動がやめられないという。ネット署名のコメントに限らず、このような「内申」のせいで部活動を続けているという声はあちこちで聞かれる。

とりわけ、部活動顧問がクラス担任や教科担任であると、部活動をやめること=担任に背くことと理解され、それが内申、延いては人生に影響を与えるのではと、不安が高まる。

「内申」というのは、入試業務でいうところの「調査書」のことを指していると考えられる。この調査書がしばしば「内申(書)」と呼ばれたりしている。

一般には、入試の調査書は、大きく「評定」とそれ以外の項目とにわかれる。評定とは、各教科の成績のことである。そして評定以外に、「出欠の記録」や「健康の記録」、「行動の記録」「特別活動(生徒会や学校行事)の記録」、「特記事項」、「総合所見」などさまざまな記載事項がある。部活動については、特記事項や総合所見、その他の欄等のどこかに書かれることになる。

ここでまず強調しておきたいのは、基本的に調査書に生徒の悪口は書かれない。つまり、「部活動をやめたから、忍耐力がない」というようなことは記載されない。その代わりに、「公民館が主催するイベントの企画を手伝った」や「英検○級の取得など、英語の勉学に励んだ」といった前向きなことが記載される。

そしてスポーツ推薦をはじめ部活動の記録が特別視される入試形態を除けば、つまりスポーツで高校や大学への進学を考える場合を除けば、部活動が入試に占める比重は小さい。

なぜなら入試は一般に、当日の筆記試験と調査書をもとに合否が判定される(大学受験の場合には、調査書はほとんど意味をもたないことも多い)。部活動というのは、その調査書のなかの片隅に記載される可能性があるだけだ。しかも調査書においては、各教科の成績を示す「評定」が重要な意味をもっている。

もし単に入試に合格したいだけであれば、部活動に費やす多大な時間を、各教科の勉強に費やしたほうが、はるかに効率がよいことになる。そのほうが当日の筆記試験と、調査書のなかで重要な位置にある評定で高い評価を得られるからである。

■部活動の入試への影響を明確化すべき

私は、部活動をやる必要がないと言っているのではない(それは、本書『ブラック部活動』の第9章「未来展望図」を読んでもらえればわかる)。そうではなく、部活動が「内申」という不透明なかたちで、生徒を不当に拘束していると主張しているのだ。

一般論として、たしかに入試において部活動の影響はゼロではない。ただしそれは、スポーツ推薦等の特殊な場合を除いて、調査書に記載される可能性がある以上は「ゼロとは言い切れない」という程度の意味である。調査書の記載事項を気にして部活動がやめられないというのは、調査書の影響力をかなり過大評価している。

そうは言っても、これは一般論であり、いま入試に直面している生徒やその保護者は、ぜひ次の2つのことを担任や学校にしっかりと確認してほしい。

すなわち第一に、部活動は当該地域(とくに高校入試の場合)の入試において、どれくらい評価されうるのか。第二に、どの程度(県大会何位以上なのか、全国大会出場なのか)のことを成し遂げれば、それが評価されるに値するのか。

入試における部活動の問題点は、その評価基準が生徒や保護者の間で「見える化」していないことである。部活動への参加とその成績が、入試ひいては人生にかかわるかもしれないという漠たる思いをもっている限り、私たちは部活動を過大評価し、それに拘束されつづける。いったいどうすればそれが評価されることになるのか、それが具体的にわかっていれば、入試を背景にした部活動の拘束力は一気に小さくなるはずである。

そして学校側は、部活動の評価に関する具体的な情報を、しっかりと保護者に説明する必要がある。もちろん、部活動が「自主的な活動」であることとともに、である。

----------

内田 良(うちだ・りょう)
名古屋大学大学院教育発達科学研究科准教授。1976年生まれ。名古屋大学大学院教育発達科学研究科博士課程修了。専門は教育社会学。日本教育社会学会理事、日本子ども安全学会理事。ウェブサイト「学校リスク研究所」「部活動リスク研究所」を運営。著書に『ブラック部活動 子どもと先生の苦しみに向き合う』(東洋館出版社)、『教育という病 子どもと先生を苦しめる「教育リスク」』(光文社新書)、『柔道事故』(河出書房新社)などがある。Twitterアカウントは、@RyoUchida_RIRIS

----------

(名古屋大学大学院 准教授 内田 良)