カメルーン戦先制点後の歓喜のシーンは、この大会のハイライトシーンのひとつと言えるだろう。(C) Getty Images

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 川口能活、41歳。彼のサッカー人生は、言い換えれば、日本代表の“世界挑戦”の歴史と重ね合わせることができる。絶対に負けられない戦いのなかで、彼はどんなことを考えていたのか。「川口能活クロニクル」と題した、日本サッカー界のレジェンドが振り返る名勝負の知られざる舞台裏――。
 
第8回:2010年南アフリカW杯グループリーグ第1戦 日本 vs カメルーン
 
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 1998年のフランス大会から、ワールドカップという舞台に4大会連続で選出させてもらっています。どの大会も思い出深いものばかりですが、そうしたなか、自分にとって大きなサプライズだったのは、2010年の南アフリカ大会でした。プレーヤー兼チームキャプテンというポジションで臨んだ大会でした。
 
 日本代表の監督が岡田武史監督でなかったら、チームキャプテンを任されることはなかったでしょうし、おそらく僕はメンバー入りすら果たせていなかったと思います。なにせ、当時の僕は、09年1月以来、度重なる怪我に悩まされ、岡田ジャパンには1年半以上も呼ばれていなかったのですから。
 
 南アフリカ大会の最終メンバー発表は、5月10日でした。
 
 当時、僕はジュビロ磐田でプレーしていたのですが、その日までずっと試合復帰できていませんでした。それでも僕は代表復帰を諦めていませんでした。たとえ可能性が1パーセントしかなかったとしても、その数字がゼロでなければ、絶対に戻ってみせると心の中で誓っていたのです。
 
 メンバー発表前日、僕は負傷後初めてフル出場する練習試合に出る予定でした。しかしその直前に右内転筋に張りが出て、出場を回避したのです。この試合に出て90分やれることをアピールしようと思っていましたから、本当にショックでした。
 
 これでもうワールドカップに出られるチャンスは消えてしまった――。弱音を吐くことは決してしないようにしていたのですが、その時ばかりは思わず口にしてしまいました。
 その夜、1本の電話がありました。
 
 ちょうど気分転換にと、家族と一緒に近くのレストランで食事していた時のこと。「03」から始まる電話番号が僕の携帯電話に表示されたのです。東京から電話なんて珍しい。誰かな? と思ってとってみたら、「おい、俺だよ!」と。「誰ですか?」と聞き直したら、「俺だよ、岡田だよ」と言ってきたのです。
 
「今日、加藤好男(当時の日本代表GKコーチ)を見に行かせていたけれど、怪我して出場しなくなったそうだな。お前がプレーできる状況だったらメンバーに入れたいと思っている」
 
 まさに寝耳に水でした。岡田監督から直接電話がかかってきたことも驚きでした。ちょうど諦めかけていた代表復帰の誘いだったのです。
 
 その後に言われた岡田監督の言葉が本当に心に刺さりました。
「いまの代表チームにキャプテンが欲しい。選手から尊敬されていて、プレーでも見せられる選手は、お前しかいないんだ」
 
 家族や恩師と相談して改めて自分から「ぜひ行かせてください!」と、岡田監督に電話しました。選んでもらった恩返しのためにも、ワールドカップで岡田監督を勝たせたいという気持ちが芽生えました。
 
 メンバー発表当日、岡田監督が第3GKとして考えていることを知りました。正直、悔しい思いはあったのですが、それでも、僕は諦めていませんでした。選手として出場機会を求めながら、同時に、チームキャプテンとしての役割をしっかり全うしようという強い気持ちをもってチームに合流しました。
 
 当時、岡田監督はグループリーグを突破することが日本にとっての最重要課題だと、選手たちに何度も言っていました。そのためにはグループリーグの初戦で勝点3を取ること。初戦必勝――。カメルーン戦にピークを持っていかなければなりませんでした。