稲田朋美防衛大臣が連続する防衛省内部からのリークによって揺さぶられ、ついには安倍政権の屋台骨まで揺るがされる事態になっている。リーク元は陸自幹部との説が濃厚だが、これは、まさしく“クーデター”である。

 今や、安倍首相と稲田大臣は民主主義の防波堤となっている。以下では文民統制の観点から、耐えがたきを耐え、忍び難きを忍び、稲田防衛大臣を続投させなければならない理由を述べてみたい。

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陸自のリークはクーデターを意味する

 稲田大臣は、今や安倍内閣の中で最も評判が悪い閣僚である。失言も多く、メディア出演・答弁・記者会見も頼りない。記者懇談会に出ないこともあってメディア等からの視線も厳しく、連日連夜、稲田大臣と彼女を支えている統幕・内局に不利な一部の陸自幹部からと思しきリーク情報が報道されている。マティス国防長官等と丁々発止の議論ができるのかという不安もある。

 そのことは十分承知の上で、私は稲田大臣は最低限でも次の内閣改造、できれば、今後の道筋がつくまで短期間留任すべきであると主張したい。なぜなら、それに今や日本の文民統制の今後がかかっているからである。

 もし今回の件で、稲田大臣が辞職すればどうなるのか。歴史的な事実として残るのは、制服組がリークによって大臣を辞職させ、首相の政治生命すら危うくさせたという前例である。

 これは極めて危険な事態である。なぜなら、今後の防衛大臣が陸自に対して“忖度”せざるを得なくなってしまうからだ。その結果、陸自の不祥事を追及できず、陸自も含めた防衛省改革が不可能になるおそれがある。要するに、今後、優秀かつ熱意あふれる防衛大臣が誕生し、改革を断行しようとしても、真偽不明の内部リークで潰されてしまう、もしくは断念してしまうのである。これは、昭和初期の515事件や226事件といった軍部のテロによって、その後の戦前戦中における政治指導者や軍高官が委縮したことを思えば想像に難くない。

 もちろん、今回のリークは武力によるクーデターでも文民統制からの逸脱でもなく、大臣のマネジメント能力の問題だという指摘もあるだろう。だが、問題を矮小化させるべきではない。近年の米国では、「文民統制をいかに確立するかではなく、すでに確立された文民統制をどのように運用していくか」が主要な論点となっている。現代的な文民統制とは、武力によるクーデターをいかに防ぐかという古典的論点ではなく、軍の正規の手続きに拠らない、政策決定への容喙(ようかい=横からの口出し)をどう防ぐかが課題なのだ。

米国でもあった軍部のリーク問題

 米国では2000年代から軍部等のリークによる政策決定への介入が相次いだ。それに対し、ゲーツ国防長官は強硬な態度で批判し、論争が巻き起こった。ゲーツ長官は「かつてのマーシャル将軍は、内部では遠慮ない助言を政治指導者に行い、それが拒絶されたとしても、マスメディアにそれを漏洩したり、抗議の辞職をしたりするような行為をしなかった。現在の軍人も見習うべきだ」と指摘している。

 この論争について、ハンチントンに匹敵する政軍関係研究の巨魁、ピーター・フィーバー(デューク大学政治学部教授)は、「軍人にとっての一義的な“文民”(シビリアン)とは国民なのか、大統領や国防長官なのか」という前提の違いによるものとした。そして、前者の立場に立つ者を「専門職制至上主義者」、後者を「文民至上主義者」とした。

 専門職制至上主義者は、「文民とは国民である以上、軍は政治指導者の誤りを正すためにリークを含めて世論(国民)に積極的に呼び掛けるべきである」とする。

 他方、文民至上主義者は、「文民(大統領や国防長官)は指揮系統の上位者として、積極的に軍事作戦計画の立案などに介入すべき」と考える。その際、「軍はあくまでも政権内部における積極的な助言に徹するべきである。リークといった行動をするべきではない」とする。

 米国では、政策的にも学説的にも、後者の「文民至上主義者」の立場が主流である。つまり、軍のリークによる政策変更の試みを容認する意見は少なく、それを試みた軍人たちは処罰された。

「国民に直接説明する」試みはなぜ危険なのか

 実は、こうした対立が見られるのは米国だけではない。

 エジプトでは、軍部がモルシ政権を打倒するプロセスにおいて、しきりに「軍と国民は一体である」という発言や行動を見せ、「クーデターではなく人民の革命だ」と述べた。これは、まさに「専門職制至上主義者」の立場である。

 わが国でも、田母神俊夫氏などの退役自衛官、情報漏えいを行った元海保職員の一色正春氏らの行動原理がこれにあたる。つまり、「国民こそが第一の文民であって、政治指導者などは副次的な文民でしかない」という立場である。

 今回の稲田大臣に対するリークも同様の立場である。陸自(軍)がリークによって国民に説明し、安倍首相や稲田大臣に政策変更を迫っているのだ。

 しかも、米軍人ですら実行しなかった国防大臣や首相の変更が、結果的に行われる可能性もある。武力を伴っていないだけで、やっていることはエジプトの軍事政権と変わりがない。

 政治指導者の過ちをただし国民に直接説明するという姿勢は一見もっともらしいが、極めて危険である。なぜならば「国民」とは実際にはひとかたまりではなく、多種多様だからだ。「国民のため」という発想は、「天皇陛下の御為」「国民の為」を掲げた226事件がそうであったように、「自分と同じ考えの国民」という独善に容易に陥っていく。だからこそ、今回のリークはクーデターであり、重大なのである。この問題に関して、安倍首相、稲田大臣は間違いなく民主主義の防波堤の役割を担っていると言える。

 筆者はリークの全てを否定しない。例えばパワハラ等への内部告発はもっと行われるべきだ。だが、それはあくまでも文民統制に反しない限り、つまり政治的活動に関与しない範囲であるべきなのだ。

今後のPKO活動にも悪影響

 また、今回のリーク騒動で稲田大臣が解任されれば、今後の自衛隊の海外での活動にも支障が出るだろう。

 現在の野党は「日報」の存在を知り、大臣と政権の首を取れる文書だということに気がついた。将来の野党もそうだろう。今後は、海外に自衛隊が派遣されるたびに、毎日野党は日報の公開を要求してくるだろう。そうなると政権は政治問題化を避けるため、自衛隊の海外派遣を控えるようになる。また、仮に海外派遣を決断したとしても、部隊運用への執拗な政治介入を許し、プロフェッショナリズムを害され、満足な活動はできなくなるだろう。

 こうした事態を避けるため、今回の日報問題を踏まえた文書管理のあり方まで、方針を決めるべきである。それこそが、稲田大臣がとるべき責任であるし、それを稲田大臣にしっかりとやらせ、提案するのが議会の仕事ではないだろうか。

 最後に、日報の情報公開のあり方について一案提示して、本稿を締めくくりたい。

 部隊がどこいるか補給物資や弾がどれくらいあるかといった部隊の安全に関わる情報が満載された何十ページにも及ぶ日報が、その都度、情報公開請求されれば、部隊には大きな負担がかかる。

 今回のように、その都度情報公開の判断をさせれば、部隊の活動の政治問題化、部隊への政治介入が起こり、部隊にも隠蔽のインセンティブが働いてしまう。このままでは現場の部隊が上級部隊に何も報告できなくなるだろう。

 そこで今後は、活動が終わった直後、あるいは年1回、活動終了後3年といった公開時期を設定し、あらかじめ公開すべき内容と非公開にすべき内容を定め、特異な事象が発生した場合には即公開するといった基準を設けるべきである。

 そうすることによって初めて部隊の活動の政治問題化、部隊への過度の政治介入が避けられ、政治の自衛隊海外派遣へのトラウマを克服し、現場部隊の隠蔽へのインセンティブを減じることができるのである。

 今後の議論が稲田大臣個人の問題に矮小されることなく、文民統制や日報管理のあり方、そもそも一義的な文民とは国民なのか、政治指導者なのかが議論されることを願ってやまない。

筆者:部谷 直亮