農業分野でも、ゲノム編集技術の実用化に向けた研究が進められている。


 農業・食品産業技術総合研究機構(農研機構、茨城県つくば市)は、5月から「新しい育種技術」(NBT:New plant Breeding Techniques)を使ったイネの試験栽培を始めた。NBTの中で、今、最も広く使われている「ゲノム編集」技術により、イネの持つ2つの遺伝子を働かなくさせることで5割の増収を目指すもの。日本で初めてのゲノム編集技術応用作物の野外栽培となる。

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政府の意気込み、ゲノム編集こそは・・・

 2012年、欧州委員会共同研究センター未来技術研究所は「新しい育種技術」に関する報告書を発表し、そこで8種類の育種技術を紹介した。今、世界で最も注目され、広く用いられているゲノム編集技術もその中の1つである(JBpress記事「ゲノム編集は遺伝子組換えか」参照)。

 日本では、日本学術会議が植物にフォーカスして2014年に「植物における新育種技術(NPBT:New Plant Breeding Techniques)の現状と課題」を、また、農林水産省が2015年に「新たな育種技術研究会報告書」を発表した。後者では、日本における取り組み事例も紹介されている。

 内閣府の戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)「次世代農林水産業創造技術(アグリイノベーション創出)」(2014年度より開始。2017年度予算26.6億円)には、ゲノム編集技術を含む新しい育種技術を実用化しようとするコンソーシアムがある。遺伝子組換え技術では後れを取ったが、ゲノム編集では成果を上げようという意思が感じられる。

 研究開発と並行して、マーケティングや社会における新技術のソフトランディングを目指し、消費者を巻き込んだサイエンスコミュニケーションも研究テーマに含まれている。このことからも、実用化への期待の大きさがうかがわれる。

植物を育種で可食、安全、高収穫にしてきた人類

 大げさな言い方になるが、人類の歴史は“食料獲得の歴史”であり、我々は「いつでも食べられる」暮らしを追求し続けてきた。

 可食部が少なく、毒性もあり、脱粒性(種子を飛び散らせる性質)がある原種から、可食部が多く、安全で、脱粒性がなく収穫しやすい形状・性質に作物を変えてきたのが「育種」である。それは、人間に都合のよい性質を表現するように、遺伝子を変化させたことでもある。

 さらに、バラエティに富んだ品種も創り出してきた。「食料の安定供給」を支える育種の果たしてきた役割は本当に大きい。

 小指の頭ほどのトマトの原種からは、毒の成分がなくなり、赤、黄、紫と色とりどりのプチトマトやフルーツトマトが店頭を彩るようになった。加熱用の大きく真っ赤なトマトは、加工され、保存できるようになった。我々の先祖は、偶然見つけたよい株や枝変わりから、長い時間をかけて、選抜と掛け合わせを繰り返してきた。この間、費やされた人手と時間は膨大である。

 現在は、ここでも生命の設計図といわれるゲノム情報が利用されている。言わば、より精確で効率的な「ゲノム育種」が進められている。

「華麗」な遺伝子組換え技術、「威力」あるゲノム編集

 遺伝子組換え技術では、生命の設計図の実体であるDNAが微生物、植物、動物において共通であるところに着目し、微生物が持つ遺伝子を植物に取り込ませて病害抵抗性を持つ作物を誕生させたりしている。また、ヒトインスリンの情報を持った遺伝子を組み込んだ微生物は、糖尿病患者が使うヒトインスリンをせっせと合成している。

 外から取り込んだ種の壁を越えた遺伝子が、導入先の生物の中に存在し続け、機能しているからこそできることで、これこそが遺伝子組換え技術の「華麗さ」といえるだろう。

 一方、ゲノム編集で最も多く用いられている「CRISPR-Cas9」(クリスパー・キャスナイン)という技術は、2本鎖構造をしているDNAを2本とも切るハサミの働きをするタンパク質であるCas9と、切断する場所までハサミを導くガイドRNAの部分から成り立っている。

 このガイドが、切断する前後の十数塩基の配列を認識し、正確にハサミを入れさせる。そして、切れたDNAが修復されるとき、元通りにならずに起こる(DNAの塩基の)欠失や置換などを利用するのがゲノム編集の特徴である。

Cas9がDNAの2本鎖を切断する仕組み。


 例えば、3塩基で1つのアミノ酸をコードしている塩基配列を、ハサミがぶっつり切って、修復の際に1塩基でも欠失が起こったとする。すると、3塩基ずつ読んでいく「読み枠」が崩れて、コードされていたタンパク質は正しく合成されなくなる。そうなると、その遺伝子は機能を失う。すなわちノックアウトされてしまったことになる。

 ガイドが切りたい塩基配列に導くと、Cas9のハサミが切るので、その箇所ではノックアウトが起こる可能性も高くなる。精確に切りたい場所に変異を起こさせるのが、ゲノム編集の「威力」だろう。

「痕跡を残さぬ」技術には賛否の捉え方

 ところで、このハサミ(Cas9)の遺伝子は植物体の中に存在し続けるのだろうか。

 例えば、おいしいが病気に弱いトマト(親)があり、ここに病気に強い遺伝子を何らかの方法で導入したら、味を悪くする遺伝子も一緒についてきたとする。そのような場合、育種の過程では、掛け合わせてできた子と親を掛け合わせる「もどし交配」を繰り返し、病気に強い遺伝子だけが、よい性質を持つ親に定着するように選抜していく。

 同じようにゲノム編集でも、戻し交配をしながらハサミの遺伝子を除くことができる。すると、ゲノム編集技術で小さい変異(遺伝子の変化)を起こさせた作物と、自然突然変異で生まれた作物とを、科学的根拠をもって区別することは困難になると予想される。

 これが「(遺伝子を操作した)痕跡を残さない」と言われる由縁である。ゲノム編集技術はそれだけ、自然に近いと捉える見方もあるし、遺伝子を操作したことを隠すのが目的だという人もいる。

実用化に向けて安全性確認、消費者の需要、表示などの課題

 ハサミの遺伝子が育種の過程で除外された場合、ゲノム編集技術応用作物は遺伝子組換え体として扱われるのだろうか。日本は冒頭のイネのように、遺伝子組換え作物で用いられてきた方法を用いながら、ケース・バイ・ケース、ステップ・バイ・ステップで検証する方向で、ゲノム編集技術応用作物の実用化への道を歩み始めた。

 事業者の立場からいうと、痕跡がないことが証明されれば、遺伝子組換え作物・食品に対して行われてきた安全性確認(食品としての安全性と環境影響評価)が不要になり、そのコストが削減できる。これは開発者にとって大きなメリットである。

 このコスト故に、遺伝子組換え作物の作出には海外の大手企業しか挑戦できなかったが、コスト削減が実現すれば、大学などの公的研究機関やベンチャー企業、日本の種苗会社のような中小企業にも好機が訪れるかもしれない。同時に特許の問題も浮上してくる。日本発のゲノム編集技術の開発も行われている。

 それでは、消費者はこの技術を応用した作物をどのように受け止めるのだろうか。痕跡が残らないことが証明されれば、最終製品で評価する「プロダクトベース」の考え方に従い、安全性確認は不要になる。

 ただし、途中の段階も考慮する「プロセスベース」で考え、消費者の商品選択のための表示を検討するという方向性もあるかもしれない。消費者庁は2016年度、原料原産地表示の見直しを行った。すでにパブリックコメント募集期間は終了しているが、食品メーカーには、小さな字で限られたスペースにどこまで記入することになるのかと、頭を抱えているところもあるという。

 消費者は「知りたいですか」と問われれば、詳細な表示に伴う明らかな値上げが無い限り「知りたい」と答えるだろう。ここに、ゲノム編集技術の使用の有無を示す表示も加わるのだろうか。しかも、アレルギー、消費期限、保存方法とは異なり、ゲノム編集技術の応用の有無は、安全性に関わらない表示である。そこにコストをかけることに、どれだけの意味があるのだろうか。

実用化に向け、丁寧な取り組みを

 日本では、冒頭の多収米の他に、受粉しなくても実がなる(単為結果)トマト(筑波大学)、光に過敏に反応して壁に激突死しない養殖マグロ(水産研究・教育機構 増養殖研究所)など、さまざまな研究開発が進められている。

 生命先端工学を専攻する大阪大学の村中俊哉教授は、ゲノム編集技術でソラニン(毒成分)をほとんど作らないジャガイモの研究・開発を行っている。このジャガイモが開発されたら、芽を取り除きながら調理する手間が省け、食中毒被害も減らせるだろう。

 村中教授は「ゲノム編集では、切りたい場所を見つけると繰り返し切断されるので、染色体の組数が多い作物(倍数体)にも極めて有効。しかし、イモ類特有の課題(種で増やさず、小芋で増やす)があり、肝心な芋ができても実用化のために増やすところが難しい」と言う。実用化には大量生産の手法(種芋の培養や栽培)など、従来の育種の課題もクリアしなくてはならず、ゲノム編集技術さえ確立したら終わり、ではないことが分かる。

市民講座でビニール紐を使ってゲノム編集技術を説明する村中俊哉教授。(写真提供:三菱ケミカルリサーチ)


 安全性審査、消費者の受容、そして表示はどう考えるのか。育種という我々の食を支えてきた幅広い技術を取り巻く課題に、丁寧に取り組んでいく必要がある。日本での、国が主導した遺伝子組換え技術の実用化の事例はというと、遺伝子組換えイチゴから作る犬の医薬品や、遺伝子組換えカイコが作り出す化粧品の保湿成分や診断薬などに限られている。

 ゲノム編集技術を応用した日本発の農林水産物が誕生したときは、誇れる自国の科学技術の成果として歓迎したいものだと思う。実用化まで、専門家も非専門家もともに注視していきたい。

筆者:佐々 義子