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手詰まりの日銀・黒田総裁

磐石と思われていた安倍政権が森友・加計学園等の問題で支持率を急激に落とした。各社世論調査の中には、「青木率(50%を下回ったときに政権が倒れるという経験則)」を下回るものも出てきており、再び日本に政局不安が訪れる懸念が高まりつつある。

筆者は、国家戦略特区構想自体にもそれほど詳しくないし、政治情勢にも疎い。従って、森友・加計問題について気のきいた話をすることができない。だが、経済政策面でいえば、現段階で、デフレ脱却を実現できる可能性を秘めている政権は安倍政権以外には存在しないと考える。

現在、日本経済は、「随分いいところまで来た」とはいえ、まだまだデフレ脱却を実現したとはいえない状況にある。従って、ここで安倍政権が倒れてしまうと、たとえ、次期政権が自民党内から出てくるとしても、事実上、「デフレ脱却はできなかった」ということで、日本経済は極めて深刻な事態に陥ってしまうのではなかろうか。

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ところで、日銀は、先日の金融政策決定会合で、インフレ率の見通しを下方修正した。会合後の記者会見で黒田総裁は、インフレ率が目標の2%に到達するのが2019年度に後ずれすることに加え、「国民の間にデフレ感が根強く残っていること」、及び「賃金上昇が見られない中でのインフレ率上昇は想定しづらい」点に言及した。

金融政策にとっての「インフレ目標」の重要性は、中央銀行がインフレ目標にきちんと「コミット」して金融政策運営を行うことにあると思われるが、そのインフレ目標の達成時期が逐次的に後ずれしていくことは決して好ましいことではない。

また(現実の)インフレ率がなかなか上昇しない理由について、「国民のデフレ予想が払拭されない」点を指摘しているが、そもそも、アベノミクスにおける金融政策の基本的なコンセプトは、「期待(予想)のレジーム転換をもたらすような大胆なリフレーション政策」であったはずであり、「国民の間にデフレ感が根強く残っている」のでインフレ率が上がらないという理由づけは、自ら金融政策の有効性を否定していることに近い。

さらにいえば、かつては、「量的質的緩和には限界はない」としてきた(筆者もそう思ってきた)が、最近の金融政策を見る限り、事実上の「緩和の限界(国債の品不足?)」に直面し、イールドカーブコントロールによる「微調整」を繰り返しているようで、デフレ脱却にコミットしているようには見えない(もっとも、金融市場の「識者」たちによる「出口政策」への強い圧力に屈していない点は従来の日銀とは大きく異なるので、ここは評価されるべきだが)。

実際の政策運営に際しては、様々な制約条件があり、外野の人間が言うように動くことができないのかもしれないが、外野から見る限り、最近の金融政策は、「レームダック」に近い印象が強く、いささか残念である。その意味では、人心一新ということで、次期総裁は黒田総裁の続投ではなく、リフレ政策に理解のある新しい人物が就任した方がよいのかもしれない。

雇用環境の改善は継続中

ただし、「先進国の中で唯一インフレ率が上がってこない」理由を金融政策のみに求めていいかといわれると必ずしもそれだけではないような気もする。

筆者の個人的な印象に過ぎないが、今年の春頃から、経済政策全般において、先行きに対して楽観的な見通しが蔓延していたように思うからである(当時、日銀も、「夏場にはインフレ率は本格的に上昇に転じる」と予想していた)。

確かに、中国の景気対策をきっかけに始まった世界的な景気回復の気運とそれにともなう輸出の急回復がこのまま続けば、日本経済は再び成長軌道に乗るという楽観的な見通しが強まっていた。だが、それにも増して大きな影響を与えたのが、雇用環境の急激な改善(の都合のよい解釈)ではなかったかと思う。

確かに雇用環境の改善は著しい。例えば、完全失業率は、2月に2.8%と3%を下回った。従来、日本の「自然失業率」は3.5%程度とされてきたが、実際の完全失業率が3.5%を下回ったのは、2015年3月であった。

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理論的には、自然失業率を割り込むような完全失業率の低下は労働需給の逼迫から賃金を上昇させるはずである。賃金上昇圧力に直面した企業は、マージンを確保するために販売価格を引き上げるので、それが消費者物価指数などの一般物価の上昇に波及していくというのが基本的なセオリーであるはずだった。

だが、現実はそうならなかった。理由は簡単で、自然失業率の見通しが間違っており、実際の自然失業率はもっと低いところにあると考えられるためだ。

ちなみに筆者は過去の当コラム(5月25日『日本経済は本当に「完全雇用」に近づいているのか?』)で、平時(マイルドインフレ期)とデフレ期の2つの「レジーム」で自然失業率は大きく異なっており、日本経済がデフレ期を脱出し、平時(マイルドインフレ期)に移行する局面では、自然失業率はデフレ期の水準から大きく低下している可能性が高い点に言及した。

筆者の試算では、デフレ期の自然失業率は4.3%、平時の自然失業率は2.1%程度となる。ただし、今思うと、「平時」にバブル期が入っているため、実際の平時の自然失業率はこの水準よりも高いのかもしれない。だが、それでも2.5%を下回る程度の水準ではないかと推測している。

直近(5月)の完全失業率は3.1%で再び上昇した。これは、雇用環境の改善をみて、失業者にカウントされない「無業者」が新たに労働市場に参入したため(すなわち、求職活動を開始した)だと推測される。従って、失業率は上昇しているが、雇用環境はなおもよい方向に進んでいることを意味している。

だが、仮に、平時の自然失業率が2.5%未満であるとすれば、まだまだ改善の余地がある。そして、今後は、もし、雇用環境の改善が続いたとしても、無業者の求職活動が活発化することで失業者が増加する局面もありうるので、なかなか完全失業率は下がってこない局面が想定される。

「出口政策」よりリフレの強化を

以上、最近の雇用環境について長々と書いたが、要は、「日本の雇用環境の改善はまだ道半ばであり、『総括』するのは早い」という点が重要だと考える。

そこで、前述の春先の経済についての楽観論の問題点は、この雇用環境の改善が、半ば、アベノミクスの「総括(すなわち、デフレ脱却は実現間近かという評価)」のような位置づけで語られた点である。

しかも、この「総括」の結果、安倍政権にとってのマクロ経済政策の位置づけが幾分後退した感が強まったことである(ちょうど同じタイミングで、政策論が、金融政策を中心にほぼ「出口政策」一色になったように思う)。極端にいえば、「ここまで完全失業率が低下したのはアベノミクスが成功した証である」という話が急に強調されたのである。

代わって、最優先事項として浮上してきたのが「憲法改正」であった。うがった見方をすると、雇用環境の改善は、安倍政権が「憲法改正」に注力していくことの理由付けになったのではないかと思えるのである。

そして、端からみると、「憲法改正」の動きが活発化することによって、今回の森友・加計問題が突然、噴出してきたようにもみえる(さらにいえば、雇用面からデフレ脱却が実現してしまったのであれば、消費税率引き上げは経済にそれほど大きなダメージを与えないことになり、増税を主張する人々にとっても好都合な話となった)。

筆者は、「憲法改正」問題についての見識に乏しいので、その点についてはこれ以上言及しないが、マクロ経済政策的に「出口政策」を議論するのは早いのではないかと考える。むしろ、デフレから完全に脱却できる好機が到来しているわけだから、リフレ政策を強化(これは財政政策を含む)すべきタイミングではないかと考える。

だが、繰り返しになるが、残念ながら、筆者は、このタイミングでマクロ経済政策についての関心は幾分後退したのではないかとの印象を強く持った。

「国民のデフレマインドの払拭」が重要

それでは、日本経済の現状を鑑みるに、賃金上昇は近いのだろうか? 筆者が考える日本における「賃金上昇のストーリー」は以下の通りである。

1) まずは、雇用環境の改善がさらに続く。具体的には、「無業者」の労働市場への参加増(求職活動を含む)を伴いながら完全失業率が2.5%近傍に向けて低下していく。

2) ただし、このためには、「デフレレジーム」から「平時(マイルドインフレ)レジーム」への転換が継続することが必要である。筆者の推計では、直近時点(1-3月期)で、日本経済が「平時(マイルドインフレレジーム)」に位置している確率は約60%である(簡単にいえば、国民の約6割がなんとなくデフレから抜け出しつつあると感じる一方、4割の人はまだまだデフレであると感じていると解釈すればわかりやすいだろう)。 

3) 「平時(マイルドインフレ)レジーム」への転換をより促すために、政府は、リフレーション政策によりコミットした金融・財政政策を行う。

筆者は、現在の日本経済がこのストーリーに乗れるか否か、微妙な段階であると考えている。そして、より重要なのは、過去のレジームの確率をみた場合、少なくとも、「平時(マイルドインフレレジーム)」に位置している確率が80%近くまで上昇しないと「デフレ脱却」とはいえないという点である。

賃金上昇を実現させるためには、多くの企業が販売価格に労働コスト(賃金上昇のコスト)を転嫁できるような環境を作り出す必要があるが、このような環境が到来したか否かをみる判断材料としてこの確率が有用ではないかと考えられる。

「デフレレジーム」の確率が高い状況では、企業は販売価格を引き上げることができないため、賃金上昇と雇用人員の確保は、「二者択一」の問題になってしまう。

現に、法人企業統計によれば、1-3月期の非製造業では、従業員数の増加による労働コスト増を賃金抑制によって相殺しようとする動きがみられた(そして、そのタイミングでの「働き方改革」は残業抑制による労働コスト節約の格好の「言い訳」になっているのが現状である)。しかも、非製造業の経常利益の伸び率は売上高が好調にもかかわらず、2016年1-3月期をピークに低下し始めている。

これは、まだまだデフレ脱却が道半ばであり、非製造業はデフレの壁に当たりつつあることを示しているのではないだろうか。

このような状況下では、今後も、企業が雇用を確保しようとする動きを続けようとするならば、残業抑制や既存の正社員の賃上げ抑制、及び、省力化投資の拡大(潤沢なキャッシュを使用しての)等によって、賃上げをより強く抑制していくことを意味すると考える。

現に、1-3月期のGDP統計では、雇用者報酬の伸び率が名目で前年比1.0%と低下する一方(実質では+0.7%)、民間設備投資の伸び率は高まってきている(名目、実質とも前年比+3.6%)。すなわち、このままでは、賃上げはなかなか実現しないだろう。

その意味では、「国民のデフレマインドの払拭」こそが重要な政策課題であり、これを実現するために、安倍政権が、「金融・財政政策総動員のリフレ政策」に回帰できるかが、焦点となろう。

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