1989年4月22日、天安門広場で、数万人の民主化を求める学生ら若者と、警察隊が対峙する(CATHERINE HENRIETTE/AFP/Getty Images)

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―劉さんは中国にいたとき、共産党員でしたか。

 「そうでした。中国では小学校に入ると自動的に少年先鋒隊に加入し、中学校に上がると今度は共産党青年団の団員となります。これは強制的に加入されるもので、個人の意思ではどうにもなりません。大学に入ると今度は共産党に加入しました。ちょうど天安門事件の前でした」。

―学生はみな共産党を擁護していましたか。

 「中学生は政治の面ではまだ子供のようなものだから、言われた通りにしていました。ただ高校生ともなると共産党の理論を本気で信じるようになりました。当時の中国社会では出世するためには党員であることが必要だったので、入党はいわば「処世術」です。私は大学のとき、クラス委員だったから、半ば強制的に入りました」。

―当時の人は共産党に対してどのような思いでしたか。

 「共産党の統治下で中国をよくしていこうとする希望はありましたが、民主化を求める機運はまだ感じられませんでした。20世紀初頭から立憲の気運が高まったロシアと異なり、中国人は立憲主義や民主化について知る機会はありませんでしたから、民主化を求めたのはごく一部の学者や知識人でした。ただ、改革開放によって外国の情報が伝わるようになり、言論や思想に対する統制が緩和されました。テレサ・テンの歌が聞けるようになったことは一つの象徴でした」。

―このような流れの中で、劉さんは天安門事件をどのように見ていましたか。

 「私は1989年の時大学生でしたから、渦中にいました。天安門での銃声により私は共産党に失望し、図書館にこもって本を読みました。文系の学生と交流するうちに、共産党が隠してきた事実を知り、中国共産党の邪悪な性質に気づきました。ただ、共産党の理論を根本的に否定することはできませんでした」。

―共産党を根本的に否定することができたのはいつですか。

 「私は天安門事件後、共産党を嫌いましたが、その本質を理解していませんでした。指導者に欠陥があるだけで、共産党の理論そのものは正しいと思いました。2005年、大紀元の社論『共産党に関する九つの評論』を読むことで、共産党の理論は根本的に邪悪なもので、人間の本性に反するものだと分かりました。私は大紀元のサイトで共産党から離脱することを表明し、妻と息子も党からの離脱を表明しました」。

―中国で共産党から離脱することはできませんね。

 「離脱を表明すれば反革命的とみなされ、共産党員たちに批判されるのみならず、逮捕・監禁の可能性もあります。一度入党すれば抜けることはゆるされないのです。このこと自体、共産党の邪悪さの表れではないでしょうか」。

(聞き手・文亮)