郊外モールから"旧市街地"に人は戻るのか

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街の中心は移り変わる。宮城県石巻市の場合、2000年代までは駅前の百貨店だったが、2010年代にはシネコンを備えた郊外のモールに変わった。シャッター街となった「旧市街地」はこれからどうなるのか。大和総研主任研究員の鈴木文彦氏は「『住まう街』として生き残れるかもしれない」と指摘する――。

■まちの「交通史観」から考える

街の中心は主要交通手段の交代にともなって移転する。主要交通手段の変遷によって、街道と舟運の時代、鉄道の時代、バイパス道路の時代そして高速道路の時代に区分され、時代によって中心地の場所が異なる。中心地の場所とスタイルは主要交通手段によって規定される。このことをまちの「交通史観」と呼ぶこととする。まずは、前回も登場した石巻市を事例として説明する。舟運、鉄道そして自動車と主要交通手段が変遷するにつれて河岸、駅前、バイパス沿いそして高速道路のインターチェンジ周辺へと中心地が移った典型例である。

■河岸から駅前へ

宮城県第二の都市の石巻市。北上川の河口という地の利を活かし、江戸時代から仙台藩62万石の水上交通の拠点として発展してきた。中州を挟んだ北上川の両岸に南部藩はじめ北上川流域諸藩の蔵屋敷が並んでいた。北上川の舟運で運ばれた物資はここで川船から外航船に積み替えられ、大消費地の江戸に向けて出港した。明治になっても水上交通の拠点であることに変わりはなく、河岸には旅客船の発着場や魚市場があって人や物の往来が多かった。

そうしたわけで、石巻の市街地は河岸を中心に発展してきた。河岸に並行する道に沿って銀行の本店や警察署が軒を連ねた。大正元年、当時の市街地の外縁に鉄道の駅が開業した。蒸気機関車が通過する当時の鉄道駅は今でいう「迷惑施設」だったので、当時の市街地からあえて離れたところに作られた。駅の開業を機に、世代交代を伴うくらいの長いスパンで少しずつ街の中心が駅に向かって移動してゆく。

駅の引力を受けつつも、高度成長にともなう都市への人口流入もあいまって、駅前に向けて拡がった市街地は1980年代までに最盛期を迎える。街の中心が移動することは地価の動きにうかがえる。相続税を計算するために道路沿いに付けられた地価を「路線価」という。毎年1月1日の時点のものが国税庁から発表される。1991年までの路線価は実勢価格の約7割、1992年以降は8割水準を示している。発表年で最も高い路線価のあった場所が、その年における街の中心地といえる。1975年まで石巻の最高路線価は、北上川を横断する内海橋から続く通称「橋通り」にあった(図表1)。石巻最初の百貨店もこの通り沿いにできた。

(1)橋通り 北上川河岸に沿って発展した旧市街の中心。内海橋から続く通りで通称「橋通り」という。1970年代まで石巻市の中心地だった。内海橋から河口にかけて汽船の発着場や魚市場があった。
(2)立町通り 旧市街と駅前の中間点。1970年代後半以降の中心地。1971年にアーケード商店街が整備されたが、近年はシャッターを下ろした店舗が多い。アーケードは2015年撤去。
(3)駅前通り JR石巻駅前。百貨店が1996年に移転開業したが、立地環境の悪化などにより2008年に撤退。空き店舗には2010年に石巻市役所が移転。
(4)石巻バイパス 市街地を迂回して仙台方面から女川方面に向かうバイパス道路。ロードサイド商業集積の拠点。1982年の郊外型スーパーの開店以来、量販店、大型書店等が集積。
(5)石巻工業港曽波神線通り 三陸自動車道の石巻河南インターに繋がる。1990年代後半から急速に発展した蛇田地区の中心地。シネコンを備えた大型ショッピングセンターや量販店が多数立地し、拠点病院も移転した。

■1971年当時の自動車普及率は約2割

1975年、橋通りを上回るペースで上昇していた「立町二丁目石巻三文字屋前通」が橋通りに並んだ。当時の新聞は「橋通りと並んだ立町二丁目」と伝えている。ここは通称「立町通り」といい、北上川河岸と石巻駅をつなぐ道路である。1971年、立町通りにアーケード商店街ができた。当時の自動車普及率は20%をやっと超えるくらいで、全国的にアーケード商店街が賑わっていた時代である。中心商店街が駅前に向かって拡大し、それにともなって街の中心は旧市街と駅前の中間点に移った。その後1976年から約20年間、石巻の最高路線価は立町通りにあった。

地価高騰期を経て、路線価は1993年をピークに下落局面に転じる。その2年後の1995年、石巻の最高路線価地点は「立町二丁目七十七銀行石巻支店前立町通り」から「鋳銭場ケンタッキーフライドチキン前駅前通り」に移った。1996年、丸光百貨店が「石巻ビブレ」と名前を変えて駅前に移転開業する。石巻初のシネコンが進出したことで話題を集めた。

■駅前から高速道路インターチェンジ周辺へ

1980年代、中心商店街の全盛期ではあったが車社会の兆しも少しずつ現れてきた。1982年、イトーヨーカドーが郊外型スーパーマーケット業態で石巻バイパス沿いに開店した。石巻バイパスに路線価がはじめて付いたのがその前年である。付近には拠点郵便局やホームセンター、大型書店が開店。車生活に適応した新しいスタイルの商業集積が、旧来のしがらみを避けるようにかつての「辺境地」に拡がっていった。郊外化の流れは90年代後半に加速した。中心市街地の地価が急落する中、石巻バイパスの下落ペースは比較的ゆるやかに推移し、2000年ころには中心市街地との差がほとんどなくなった。

そして、同じ郊外であるが、バイパスとは別に高速道路のインターチェンジの周辺、石巻駅の北西3キロの「蛇田地区」が発展してきた。1996年に店舗面積11,702m2の郊外型ショッピングセンターのイトーヨーカドー石巻あけぼの店が開店。高速道路の三陸自動車道が1998年に石巻まで延伸開通し、蛇田地区に石巻河南インターチェンジができた。その後も付近に広大な駐車場を擁する量販店の進出が続く。

2006年には災害拠点病院の石巻赤十字病院が移転し、その翌年にイオンモール石巻が開店した。店舗面積は石巻で最大の33,686 m2である。蛇田地区の中心である「蛇田字新金沼石巻工業港曽波神線通り」の路線価は2010年には石巻バイパスを抜き、2012年には石巻の最高路線価地点となった(図表3)。現在の「恵み野2丁目石巻工業港曽波神線通り」である。

■高速道路の時代の先、地方都市はどうなるか

石巻バイパス、蛇田地区の発展の一方で従来の中心商店街のシャッター街化が進んだ。駅前に開店した「石巻ビブレ」はその後「さくら野百貨店」と名前を変えて営業していたが、2008年に閉店。空き店舗には2010年に石巻市役所が入居した。そして、2011年の東日本大震災で石巻の中心市街地は壊滅的な被害をこうむった。瓦礫等の処理が一巡するとかつて賑わっていた中心市街地に更地が目立つようになった。

他方、中心市街地の復興計画が進行中で、2015年には中心市街地活性化基本計画(第2期)が認定され、これを踏まえた住宅・公共施設・商業施設の整備方針を定めた「石巻市まちなか再生計画」が策定された。「多様な都市機能を集積し、少子高齢化社会に対応した、歩いて暮らせるコンパクトで安全・安心なまちづくり」(中心市街地活性化基本計画)を目指している。復興公営住宅や再開発計画による民間のマンション供給によって、中心市街地の居住人口は2020年3月末で3,812人になると見込まれている。これはおよそ2002年度の水準で、対策を講じない2,621人の成り行き見通しに比べ1,191人の増加である。

さて、これからどうなるか。2016年は復興の一環として進めてきた3か所の市街地再開発事業が完成し、旧市街のこれからを早送りしたかのような風景があちこちで見られた。まず、6階建の再開発ビル「石巻テラス」が完成した。1、2階には商業施設が併設し、コンビニ、カフェ、美容室等が入居し、3階以上は77戸の集合住宅となっている。

次いで、河岸にはリバーサイドMOTOMACHI(7階建、26戸)、立町に「デュオヒルズ石巻立町」(5階建、32戸)が完成した。立町通りに面するデュオヒルズ石巻立町の1階は商業スペース施設「石巻ASATTE」で、地場食品メーカーのアンテナショップ、レストラン、生活雑貨店が開店した。ディオヒルズ石巻立町とリバーサイドMOTOMACHIには再開発事業の一環として同時に災害復興住宅が並び立つ。9月には石巻駅前に石巻市立病院が移転新築した。本年6月末には、橋通りと交差する河岸に生鮮マーケットの「いしのまき元気市場」がオープンした。かつての最高路線価地点の橋通りの近辺には、1、2階を商業、3階以上を住戸とする12階建の複合ビルができる予定だ。

このように、最近の石巻市の中心市街地には中高層の集合住宅が次々と竣工し、総合病院等の都市施設や、普段使い型の商業機能も戻ってきている。報道によれば集合住宅の入居状況も良好とのこと。これは、第1回で提唱した旧市街の「住まう街」としての再生の方向性にかなうように思われる。

■郊外にできた「歩くサイズ」の新しい街

大量の復興交付金が投入されたこれらの事業の成否が評価されるのは数年先になるだろう。石巻市の、復興を契機とした中心市街地の再生策は、シャッター街の先にあるまちの未来像として目が離せない。

他方、震災後も蛇田地区は人口の流入が続き、2016年3月には仙台と石巻を結ぶJR仙石線の新駅「石巻あゆみ野駅」が開業した。高速道路のインターチェンジの引力で発展してきた街に、駅を中心とした市街地が成長しつつある。郊外にできた新しい「駅前」を中心に、車だけでなく歩くサイズの街がつくられる。

高速道路の時代の先、郊外にできた新しい「中心市街地」も絶え間なく変化してゆくだろう。書籍はもちろん、ケースに入ったビールもネット通販で注文する昨今だ。インターネットによる購買行動が普及期に入り、郊外量販店で週末にまとめ買いするライフスタイルは少しずつしかし確実に変化してゆく。これは郊外中心地のとくに商業集積のあり方に影響を及ぼす。ショッピングモールはますます大きくなり競争が激しくなる。単に商品を販売するだけでなく、休日を家族で楽しく過ごす場所として、体験型、時間消費型の度合いが高まっていくと思われる。病院や役所の出張所、図書館など公共サービスとのコラボレーションも増えている。このように新たな機能を取り込んでゆくことで、あたかもショッピングモールそのものが「都市の中の都市」のようになってゆく。これも、高速道路の時代の先の新しい街のスタイルと言えよう。

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鈴木文彦(すずき・ふみひこ)
大和総研金融調査部 主任研究員
仙台市生まれ。1993年立命館大学産業社会学部卒業後、七十七銀行入行。2004年財務省に出向(東北財務局上席専門調査員)。08年大和総研入社、現在に至る。専門は地域経済、地方財政、PPP/PFI。中小企業診断士。

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(大和総研金融調査部 主任研究員 鈴木 文彦 地図作成=大橋昭一)