およそ18年ぶりに揃って顔を合わせた宮原(左)、金古(中央)、千代反田(右)の同級生トリオ。“赤い彗星”を伝説のチームに押し上げた王者たちだ。写真:佐藤香織

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 1999年1月8日、国立霞ヶ丘競技場。全国高校サッカー選手権決勝は、2年連続で同じ顔合わせとなった。
 
 追いすがる“カナリア軍団”帝京を振り切り、堂々の大会連覇を達成した“赤い彗星”東福岡。前年度の3冠達成時もレギュラーとして活躍したMF宮原裕司、DF金古聖司、そしてDF千代反田充の3人は、2年連続で攻守の中軸を担った。
 
 その後、伝説の同級生トリオはプロの道へ進み(千代反田は筑波大学経由)、Jリーグや異国の地で確かな足跡を残した。やがて現役を退き、それぞれのセカンドキャリアを歩むこととなる。ひとりは指導者S級ライセンスを持つJ下部組織の監督、ひとりは埼玉の伝統校で新境地を開拓し、もうひとりはサラリーマンとなり、大企業の営業マンとして革靴をすり減らす日々を送っている。
 
 37歳となった彼らはいま、どんなビジョンを描いて日常を過ごしているのか。そして、みずからのサッカー人生をどう振り返るのか。
 
 今回、サッカーダイジェストWeb編集部の呼びかけに応じ、東京都内に集合してくれた3人衆。一堂に会すのは、なんと高校卒業以来だという。
 
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[プロローグ]
 本日の幹事、金古聖司は誰よりも早く到着し、集合場所で待っていてくれた。
 
 集合時間ジャスト、スーツ姿に「Asahi」のロゴが入った紙袋を持った千代反田充が現われる。
 
 そして、15分後、宮原裕司が登場。
 
宮原「ちゃんと新横浜から新幹線乗ってきたんだけど」
金古「あ、今日、満生(和寿/東福岡サッカー部同期)熱出して合流できん、ってさっき電話きた。俺の名刺渡したっけ?」
宮原「いや、なんならちゃんと会うの10年ぶりくらいよ、持ってないよ(笑)。そもそもお前が日本におらんかったからね」
金古「実家にも7年帰ってなかった」
宮原「ところでチヨ、そのポスターは何?」
千代反田「今度、アサヒビールが出した焼酎の」
 
──じゃあ、それを持って写真撮らなきゃでしょう。
 
千代反田「いやいや、これは1日持ち歩いて角が折れてて汚いんで。もっとちゃんとしたのじゃないと撮影NGです」
 
 ふたりの監督と課長補佐の対談は賑やかにスタートした。
 
[社会人、それぞれの一週間]

──今日もお仕事おつかれさまでした。それぞれ、平日はどんな感じで働いているのか、想像もつかないんですが、詳しく教えてください。
 
金古「(本庄第一高校の)監督である前に事務職員としての雇用だから、朝7:30くらいに出勤して、昼間は事務の仕事。土日は試合があるし、サッカー部は月曜日がお休みだけど、事務の仕事は休みじゃないから、実質休みはないです」
 
──ヒガシ(東福岡高校)の森重潤也監督も事務職ですよね。
 
金古「監督だけの契約という提案もいただいて。正直お給料もそっちのほうが良かった。でも、サッカーをやってる時間だけ来る監督って信用されないんじゃないかなって。自分が選手だったらどう思うかなと。とくにうちの高校は自分が着任する前にネガティブな事件があって、それまでの監督がいなくなっていた。選手も不安があった時期だったと思うんです。事務員なんで、サッカー部員がサッカー以外の時間に学校でどう過ごしているか、直接触れられることは少ないですけど、ずっと学校にいるというだけで選手にも安心してもらえるんじゃないかと。あとは、自分自身も社会人として欠けている部分を勉強できるし」
宮原「事務ってどんなことしてるの、具体的に」
金古「案内状を作ったりとか」
 
──学校に父兄の方が電話したら金古さんが出たりするわけですか?