2016年7月26日、神奈川県相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」が元施設職員の男に襲撃され、19人が死亡、27人が重軽傷を負う事件が起こった。

 時事通信社の記者が植松聖被告とやりとりした手紙には、次のように記されている(抜粋)。

「障害者は人の幸せを奪い、不幸をばらまく存在」

「面倒な世話に追われる人はたくさんいる」

「意思疎通が取れない人間を安楽死させるべき」

「不幸がまん延している世界を変えることができればと考えた」

 到底受け入れられる言葉ではないが、一方で社会は障害者を受け入れていると言えるのか。24日夜放送のAbemaTV(アベマTV)『AbemaPrime』では、植松被告に刺された被害者とその家族の1年を追った。

■「ついこの間事件があったって感じです」

 事件から1年となる前の24日に行われた追悼式には、犠牲者の遺族や関係者らが参列し黙とうを捧げた。津久井やまゆり園の入倉かおる園長は「そばで一緒に過ごしていた仲間の1人として、言葉にならない悲しみ、哀悼の思いを胸にこの1年過ごしてきました。あの日、守ってあげることができなかったことの申し訳ない思いで、時間が止まったような1年でした。本当に申し訳ありませんでした。これから私たちはどうしていけばいいのでしょうか」と涙ながらに話した。

 津久井やまゆり園家族会・大月和真会長も「私たちのささやかな幸せが、わずか30分あまりの残忍な犯行で踏みにじられてしまった悔しさが、ときに触れ、折に触れ、こみあげてきます。卑劣な犯人を決して許すことはできません」と、悔しさを滲ませた。

「意思疎通できない障害者は生きていても仕方がない」

「障害者なんていなくなればいいと思った」

 植松被告が取り調べで供述したこの言葉と、真正面から闘う被害者家族がいる。尾野一矢(かずや)さん44歳。知的障害があり、知能は4〜5歳ほどで自閉症を抱えている。

 一矢さんは、21歳を過ぎたころから津久井やまゆり園で暮らしていた。事件当日は、自分の部屋で寝ていたところを植松被告に襲われ、首や腹など複数箇所を刺されていたという。

 事件から1カ月後、父・剛志(たけし)さんは「胸の下あたりまで傷があって、まだ穴が開いているんです」と、一矢さんの容態を説明する。病院に搬送された当時、腹の傷は内臓を切断するほどの深さで、意識不明の重体に陥った。手術後も容態は安定せず、意識が戻り、面会できたのは2日後。集中治療室で両親に気づくと、一矢さんは「お父さん、お父さん、お父さん」と繰り返し叫んだという。

 一矢さんは、妻・チキ子さんと前の夫との子どもだ。剛志さんが一矢さんと初めて出会ったのは4歳の頃。「3回目のデートで家に遊びに行ったら一矢がいた。『うわー、可愛いな。僕ならこの子をなんとかできるんじゃないか』と思った」と当時の思いを話す。

 事件から1年が経つことに対して剛志さんは、「ついこの間事件があったって感じですよね。1日1日は長いんですが、ここまで来るとあっという間に来てしまったな、っていうのが僕の感想です」と語った。

 4月、津久井やまゆり園の施設建て替えのため、事件当時約160人いた入所者たちは仮移転先となった横浜市の「津久井やまゆり園 芹が谷園舎」に移った。一矢さんも入所したが、ある異変が起きたと剛志さんは話す。「入ったはいいんですけど、ひどいパニックです。すごい大きな声で、玄関に入ったら聞こえるくらい、でかい声でずっとやっています」。

 障害を持つ人たちにとって、環境を変えることは簡単ではない。チキ子さんによると、事件後に芹が谷に引っ越してから3週間、一矢さんは両親の顔を見て、泣いていたという。「不安があるんだろうねぇ。泣くってことはね。嫌なことかなんかを思い出すから泣くんです。今は泣かないから落ち着いたのかな」と振り返る。

 一矢さんを施設に預ける決断をしたのは、一矢さんが中学2年生のとき。成長するにつれパニックや発作を起こすようになり、力も強くなった一矢さんを2人で押さえるのがだんだん難しくなっていった。施設に預けることへの抵抗は「あった」というチキ子さん。その後、21歳の時に移った施設が津久井やまゆり園で、最初はなかなか馴染めなかったが、次第に「やまゆり園で頑張る」と言うようになったという。

■夜中に起きた一矢さんが自傷行為

 尾野さん家族は、事件後からメディアの前に立ち続けていた。カメラの前に出て話すことで、植松被告の「障害者は生きていても仕方がない」という言葉と闘うことを選んだ。

 剛志さんは「知的障害でも健常者でも同じように生まれ、同じように育ってきて、家族は何も悪い事はしてないし、本人も何も悪い事はしていない。知的障害ということの劣等感といったものを家族が取っ払って、つらかったんだよ、息子は痛い思いをしたんだよ、努力してきたんだよ、とみんなの前で話していくことが事件を風化させないひとつになると思う」と、メディアの前に立つ理由を話す。

 毎週水曜日は、家族団らんの日だ。剛志さんとチキ子さんが、欠かさず手料理を持って施設を訪れる。しかし、ここ最近、一矢さんの体調には波があり、食べたものを嘔吐してしまうことがあるという。

 チキ子さんは「少しでも食べれば元気でるかなぁと思ってやるんだけど、吐き出しちゃう。もし、転んで足を折りました、膝を折りましたって、寝たきりになったら車椅子になる。そこから始まるでしょ、寝たきりって。そしたらそこにいれなくなる。元気なときはそんなこと全然考えなかった。一矢が元気でなくなることを考えなかったけど、今はすごいそれ考えます。心配です」と、事件後に考えが変化したことを話した。

 一矢さんは事件のことを語らないが、事件の影響を感じさせる出来事があった。夜中に起きた一矢さんが、自らの顔を血が出るまで引っ掻いてしまったのだ。以前、不安定なときに行ってしまっていたという自傷行為。剛志さんによると、事件が起きてから初めてのことであり、事件前も1年ほどはしていなかったという。

 両親の頭をよぎるのは「事件の影響なのか」ということ。事件から半年経ったときには、何かのときに「怖い、怖い、怖い」と言い出すフラッシュバックのような症状が始まった。今では治まっているというが、一矢さんの心には事件が深く刻まれ、様々な変化があった。

 チキ子さんは「この園の中でも一矢の居場所をしっかり見つけて、楽しく毎日過ごしていければなって。やまゆり園に移った時も、ここに戻ってきたときも、今まで見つけて暮らしてるから。今はそれを見つけてる最中だと思う」と話した。

■「被害者参加制度で何点か言うつもり」

 チキ子さんは「この園の中でも一矢の居場所をしっかり見つけて、楽しく毎日過ごしていければなって。やまゆり園に移った時も、ここに戻ってきたときも、今まで見つけて暮らしてるから。今はそれを見つけてる最中だと思う」と話した。

 入所者、そして家族にとって新たな問題となっているのが、やまゆり園の建て替えだ。神奈川県は1月、これまでと同様の大規模施設を現地に再建する構想を示し、被害者家族もこれまで通りの大規模施設に建て替える重要性を訴えていた。しかし、18日に行われた専門家らで作る部会では、再建するのは小規模施設とし、その他にも新しい入所施設を整備する案をまとめた。グループホームなど、地域での障害者の生活を重視する、現在の国の方針に沿う内容だ。

 剛志さんは「一番いいのは、津久井に135人帰してもらえること。それから先、例えば地域移行とかグループ移行とか、それこそ今議論になっている当人たちの意思決定とか、それからでも遅くないはずだって思うんですよね。グループホームを作ってもらった上で、こういう選択肢がありますよって言って、それこそ体験入所してから決めてください。そういうのであれば僕はグループホームでも構わないですよ。本人が穏やかに暮らせるんであれば」との考えを示す。

 さらに、剛志さんは73歳でチキ子さんは75歳。自分たちの年齢のことを考えると不安は尽きない。剛志さんは「僕ら自身も高齢になってきてる。一矢も来年3月には45歳になる。一般の健常の方だったらもう働き盛りで、バリバリしてなきゃいけないのに、一矢は薬漬けのような状態。何年生きられるかわからないわけですよね。もし薬を止めたら1週間か10日くらいしかもたないので。一矢は生かしてもらってるから、僕らも頑張って支えていかなければいけないとは思います」と話した。

 腹や首を刺され、一時意識不明の重体となった息子。両親にはいまだ消えない思いがある。「まあ、殺したいですよ、植松はね。でも、僕が殺せるわけでもないし、だから逆にこの事件で植松のことは考えたくないですね。考えたってしょうがないし、逆にそれを考えてくよくよする事が自分じゃマイナスだと思うから。とにかく植松は裁判の時に会えると思ってますので。もちろん裁判の時には死刑になるっていうのはわかってる。裁判官が死刑にしてくれるだろうと思ってますから。そのことにとやかく言うつもりもないし、僕は被害者参加制度で彼に会えることになってますので、彼に対して言いたいことは何点か言うつもりではあります。それ以外はあんまり考えないようにしてます」と、剛志さんは静かに話した。

 「障害者は生きていても仕方がない」

 消えない思いを胸に抱きながら、この言葉を否定するため、尾野さん家族は前を向き続けている。

(AbemaTV/『AbemaPrime』より)

▶ 『AbemaPrime』は月〜金、21時から放送中!