かつてなら夏休みなど長期の休み期間は、いじめを受けている子供たちにとってはとりあえず一息つける時間でしたが、現代の中高生にとってその認識はもう通用しないようです。メルマガ『伝説の探偵』の著者で数多くのいじめ問題を解決してきた探偵の阿部泰尚さんは、まさに休むことなく行われる「SNSいじめ」の実態を、調査を通じて入手した証拠画像を提示しつつ、いじめの隠蔽を図ったとある私立学校、学校サイドが設置した第三者委員会の酷すぎる対応を白日の下に晒しています。

夏休みだからと言っていじめがなくなるわけではない

7月20日を超えると、多くの学校が夏休み期間に入る。夏休みは他の休みに比べ長期間であることが多いが、その期間は日本全国共通であるということはない。毎年9月1日が夏休み明けだという認識の大人が多いようであるが、それは、現在の夏休み期間とは異なるものなので、メディアの皆さんも特に注意して欲しい。

さて夏休み。私が子どものいじめで、特に気をつけて欲しいと思っているのは、SNSでのトラブルやその空間で場所も時間も関係なく行われている「いじめ」である。

SNSは大人よりも子ども社会の方が精通していると思われるほど、学校関係者と児童生徒のスキルの差は歴然としているし、それは保護者と子も同様。特に中学生にもなれば、Twitterのアカウントは3つあるのは当たり前であり、ここでは、本音と建前、周囲に見せても大丈夫な自分と本音をアカウントで使い分けている。高校生にもなれば、LINEのグループがゆうに100を超えるなんていうのは当たり前であり、字面だけでのコミュニケーションが異常な速さで行われている。SNSの使い分けもされており、TwitterとLINE、Instagramがほぼ同時に更新されるということは中高生にとっては日常の景色に近いのだ。

このツールがいじめに使われていることは、よく知られていることであるが、学校社会の後手状態は、ハッキリ言って致命的な遅さと言えるだろうし、学校がなくても、いじめは続くのだということは、被害者にとって逃げ場のない状態を生み出している。

頼りにならない学校

一方で、SNSでいじめ問題が発生した場合、多くの学校が頼りにならないし、その調査機能は皆無に等しい。公立校では、夏休みといえども教員は出勤しているが、SNSについてのスキルが不足しているケースや「いじめの定義」などのいじめの基本的知識を持っていない教員が多く、初動の対応でミスを繰り返して取り返しがつかない状況になっているものを私は毎度のように見ている。

ただ、教育委員会などがある公立校は、まだ救いがあるケースが多いのだ。その教員がダメでも、他の教員や教育委員会の職員が研修などで正確な知識や技術を身につけているということもあり、適切な対応が途中から取られるようになるケースも多々ある。

ところが、私立校であると、いじめの対応について事態に格差が生じているという前提があるため、取り返しのつかない状況から教職員のミスの隠蔽、学校自体が持つ管理能力の問題などを含め様々な要因を隠すために隠蔽対応が目立つようになってくるのだ。

似非専門家と利害関係者の存在

実際、私は都道府県の教育庁や文科省とも交流があり、彼らの持つデータを提供してもらったり、各種取り組みを教えてもらったりする。そのため、最新の情報に常にアクセスしており、中央でのいじめについての教育の考え方や解釈の仕方などを各判例に基づいて解説を受けている。

私からは、いじめ防止対策推進法において義務付けがある各学校が持ついじめ防止基本指針などの基本対策の考えにおいて、不正が行われているケースや義務づけを遵守しない学校についての情報を提供したり、問題行動として取り扱われた事例において、その背景にいじめがあるケースで、学校が隠蔽したものなどを情報提供し、教育委員会の介入などを求めている。

その点において、私は部外者でもあり関係者にもなるという特殊な立場になるが、対応事例件数は圧倒的に多い分、経験というベースと情報の提供を受けるということで、正確な知識や解釈の仕方を身につけた。そうした活動の中、大学の教授や心理の専門家、人権問題の専門家としての弁護士が学校のいじめ問題において、第三者委員や調査委員として様々な意見を見てきたが、明らかに「いじめの定義」とは異なる判断をしている者を複数みてきた。このような似非専門家に、各事例や公式な解釈などを提供して、意見を求めても、激昂されたり、汚い言葉を浴びせられたりして、議論にはならない。

似非専門家に共通するのは、「実態調査などに基づく知識」や「正確ないじめ問題の解釈」ではなく、「自らの権威」や「机上の空論とも言える論説」以外は何ら認めないという権威至上主義であった。

さらに、第三者委員会は名ばかりであり、その実、関係者から金銭を受け取り、それを重要な収入源とするような利害関係者が委員長となっているケースも多く見受けられるし、自殺事案で、遺族側の弁護士が、問題となっている地方行政から仕事を請け負っていた利害関係者であることが発覚するケースもあり、いじめ問題という悪いイメージをよしとしない勢力の関係者が、「いじめはなかった」としようとすることは常に注意しなければならないのだ。

神奈川県某私立校で起きたいじめ事例

これは被害者(当時高校2年生)が突然、正体不明の相手に作られてしまったTwitterによる被害の状態を示すものである。

「あるある」というのは、今現在でもいじめではよく使われており、「<被害者>ってこういうところあるよね?」の「あるある」を意味するのだが、それは好意的なものではなく、笑えないような内容が主になされる。

Twitterの場合、「#」は「ハッシュタグ」であり、拡散されたり、検索オープンなものであるから、加害行為者が被害者に対して危険な思想を持っている場合は、「# ○×○×あるある」などとつける(※○×○×は特定の氏名)。

その他に、被害者の名誉を貶める目的で、「○×○×語録」などとして、被害者本人とは関係ない発言や言っていない友人の悪口がツイートされて、人間関係が悪くなるように仕掛けるケースも多々見受けられる。

被害者本人は、これが起きた時、すぐに両親に相談をした。すでに始まっていた正体不明の加害者とのメッセンジャーでのやり取りでは、相手の情報をとにかく引き出そうと考えた。というのも、被害者本人は、この私立校で最も花形の部活に所属しており、その中ではキャリアが短いのに、優秀な成績が認められていて、やっかみからくる「いじめ」を受けて続けていた。部活中に、孤立させられたり、慰労会などに呼ばれない、練習の場所や時間の連絡がこないなどは、半ば諦めていたし、辛いが耐えていた。

部活でのいじめの主犯が、クラスまで来て、仲の良い友達に、自分(被害者)と付き合うとロクなことがないとか、「あの子と友達なら、私たちの敵、学校の敵」だと言われても、その友人がそれによって離れるということはほとんどなかったなど、本人が正常を保つ環境は、僅かでもあった。しかし、ここまでやられることは、我慢ならないし、あまりの辛さで、食事が喉を通らないという状況に至った。

学園側が行った初動ミスと初めの隠蔽対策

初動での学校の対応は、「なんか大人みたいな言葉を使っているから、校内の生徒ではないんじゃないんですかね」であった。一方、友人や先輩らの対応では、ツイートの内容が、被害者が所属する新体操部の同学年生徒らが、よく行っていた内容と一致するとか、この子らだけアリバイがないということから、もはや許容できる範囲を超えているとして、「もうやめてあげなよ」という意見が出ていた。

学校側の対応は、やってはならない対応の代表格であり、これには、被害生徒や保護者のみならず、被害生徒の友人らも大きく反発した。そこで、学校は疑いのある生徒に聞き取りをすることと、持ち込んでいるスマートフォンを提出するように促したのだが、スマホを提出するように、朝の段階で言い、これを放置して、授業終わりに提出をさせるという大きなミスを犯した。

これにより、この「We hate this girl」というアカウントは、この日の午前中にアカウント消去となった。証拠隠滅の時間をチャンスを与え、それを加害者が巧みに読み取った連携的な隠蔽がこの段階から行われていたのだ。

いじめ防止対策推進法には、第19条の3で「インターネットを通じていじめが行われた場合において、当該いじめを受けた児童等又はその保護者は、当該いじめに係る情報の削除を求め、又は発信者情報(特定電気通信役務提供者の損害賠償責任の制限及び発信者情報の開示に関する法律(平成十三年法律第百三十七号)第四条第一項に規定する発信者情報をいう。)の開示を請求しようとするときは、必要に応じ、法務局又は地方法務局の協力を求めることができる」とあるが、学校はこの請求を受けたのにも関わらず、これを拒絶した。

その拒絶は、ただの拒絶ではなく、必要な会議をせずに、回答をはぐらかし、SNSサービス提供会社がアカウントを削除したもののデータを保有するに有効な期間を消化するに足る期間を放置した上で、拒絶したのだ。

つまりは、サーバーが上書きされてしまえば、有効な法手続きを経ても、元のデータがない以上、事実開示はしようがないという元のデータの事実上の隠匿までも画策した。これを助言したのは、のちの調査で、当時学園側の顧問弁護士であった人物がアドバイスしたことを、自ら自慢げに、仄めかしている。

私が指揮した残された可能性から情報を取り出すための調査対策

実際の調査では、被害生徒が所属していた部活でいじめを主導的に行っていたA子とその友人であるB子、このツイートが行われる直前に被害生徒にトラブルを仕掛けて来たC子についての情報蒐集が行われている。

学校においては、大問題に発展し、緊急の保護者会や理事会まで行われる事態となっている問題の背後で、A子とB子は最寄駅のスターバックスで、勉強会を名目に、この件について話し合っていた。簡単に言えば、「問題が大きくなってしまったのはまずい」「部活が活動休止にならないように先輩や後輩にも協力を得た」「親も理事会に入っている親も味方だから大丈夫」「私たちが黙っていれば、誰も知らないから大丈夫」という話し合いをしていた。

また、B子が自宅で使うインターネットユーザネームなどは、この正体不明アカウントのユーザネームと一致していることが、各種検索で判明したが、B子はこの指摘が我々から学校側になされた数日後に、5つあるTwitterアカウントの全てを非開示にして、1つのアカウントを削除している。

一方、C子は思慮が浅い子であるため、調査によるプレッシャーをかけるなど、敢えて最も疑われている人物として取り扱う対策を取ったところ、自分は犯人ではないと被害生徒にこの一連のツイッターあるあるによる被害のバックヤードで行われていた、ABC子三者のLINE情報を提供するに至った。

このLINE提供には、自分がやったのではないければど、A子とB子が共同してやったのだという意味が示唆されていた。C子は被害生徒が容姿が優れ成績が良く、友人が多くて男子生徒からもモテるということを、そもそも快く思っておらず、いつか懲らしめてやろうと妬んでいたのだという。だからこそ、被害生徒を一方的に攻撃するA子やB子と友人関係になり、このツイッター事件のきっかけを作った。

いわゆる加害関与者であり、加害グループでは実行こそせずとも、その様子を間近で知る人物である。

こうした情報は書面化され、資料化されて、学校に常設されているという事実上非活動のいじめ防止対策委員会に提出された。

とにかく隠蔽をしたい学園側の対応

普通の神経がある学校であれば、多少の隠蔽体質は持っていても、この段階で適切な調査を実施して加害生徒の処分を行うのだが、この学園は、「ヤバい、もう言い逃れができないじゃないか!」と様々な関連機関に助けを求めたのである。

最もひどかったのは理事会で、一部理事による関係者へのメールでは、この調査人であり、不気味な存在である私を社会的に抹殺するために、どのような方法があるかご教示願いたいという依頼メールまで存在していた。

実際、この調査を実施している当時、私を指名して相談をしたいことがあるという電話があり、予約受付として処理され、その指定時刻、指定場所へ行くと誰もいないということやその後、その電話番号やメールに連絡をするもすでに解約されていて連絡が取れないという、業務妨害が12件発生している。

そして、これは、理事が関連する法人がこの携帯電話を契約していたということがわかり、その先にはいわゆる黒い人脈が確認されている。この問題については、私が行為者を特定し、この人物らに警告したことで、パッタリと嫌がらせが止むことになった。この程度は、私の中では何らの問題にもならない。

名ばかり第三者委員会の形成

このいじめ問題を握りつぶしたい学校は、第三者委員会を雇いれることを思いつき、それを実行に移した。第三者委員会の構成メンバーは学園が委託した関係団体が選任するという形で進められ、被害者側の推薦は拒絶するとされた。

被害者側が、第三者委員会はそもそもの構成で中立ではなく公正な判断ができるとは思えないと忠告し、何度も中止を申し入れても、学校は頑としてこの決定を実行に移した。

のちの調査で判明したことだが、これにかかる費用は、理事長が自己資金を投入することにして、学園が依頼する第三者委員会には、交通費とかかる通信費として、総額で150万円の費用が投じられた。特に委員長には、別の費用として手渡しで1回の会議あたり3万円のお車代が支払われていた。

委員は、いわゆるFランク大学の教授を委員長に据え、いじめについての対応に実績のない臨床心理士兼大学の講師、そして、学園の理事長と親交の深い法律事務所から独立した弁護士さんがやっている事務所の若手の弁護士が委員に選ばれた。

「いじめはなかった」という報告書を作ることが目的

そして、「いじめはなかった」とする報告書を作成するための調査が実施された。この調査は極めて杜撰であり、当事者とその関係者のみを調査対象とし、全体的なアンケートや情報を提供できる範囲にいる友人らへの調査は実施されなかった。

こうした調査範囲の限定は、子どもの人権のためと銘打てば、耳あたりがよく正しく聞こえるのだが、第三者委員会の形成根拠は重大事案の発生を意味するものなのだということや、いじめのことをアンケートで聞くこと自体が、子どもの人権を侵害することになるのかという根源的な疑問があり、「いじめを第三者委員会で隠蔽する」際に使われる常套手段なのだ。

なぜなら、ここで調査範囲を広げ、仮に目撃者や正確な情報を知るものが現れて書面が出てしまえば、調査委員会が目的とする「いじめがなかった」報告書作成には、彼ら委員の身分を危ぶむリスクが発生するからなのだ。

ただ、彼ら委員会構成のメンバーがいじめについて無知であったことが幸いし、調査報告書の内容は「いじめがあった」ことになっているが、言葉としては「いじめがあったとするのは無理がある」としている。なぜこのようなことが起きてしまったのかといえば、第三者委員会の委員長並びに委員が、「いじめの定義」を知らなかったからなのだ。

いじめの定義は、いじめ防止対策推進法の第2条でわかりやすく示されている。

(定義)

第二条 この法律において「いじめ」とは、児童等に対して、当該児童等が在籍する学校に在籍している等当該児童等と一定の人的関係にある他の児童等が行う心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものを含む。)であって、当該行為の対象となった児童等が心身の苦痛を感じているものをいう。

つまり、同じ学校などの一定の人間関係が認められ、一定の行為があって、その行為を受けた側が「つらいな」「苦しいな」と感じたものは、すべて「いじめ」となる。

というのが、今(当時も同じだが)の「いじめの定義」なのだ。

日本語を正しく読み取り、言葉の意味を理解できるレベルの知能があれば、どんな人物でも、この内容は理解することができるのだが、文科省の専門家会議でも指摘されていたように、この定義を周知をしようとしても、現場になかなか浸透せず、勝手に誤った判断をしたり教示する関係者が後を絶たない。さらには、これではやりづらいからと、反対する勢力まで存在するのだ。

そのため、文科でも各教育庁でも事例集などを作成して配布したり、公開するなどして、なぜこのような定義にしたかとか、具体的に「この場合はいじめ」ですから対応しましょうと、対応を促す対策をしなければならなくなっている。

いじめ防止対策推進法の施行の大きなきっかけは大津市で起きたいじめ自殺事件である。悲しい事件を1つでも減らすために、定義をも、被害者を素早く助け出せるように変えたのだ。

実際の第三者委員会の報告書はいじめを認める内容なのだが…

第三者委員会の実際の報告書には、こうある。

「新体操部における当該生徒と他の生徒という構図はある」と行為があったことは調査によって認めたが、これを「明らかな意図をもって行われた行為であるという認定は難しく…」といじめ行為ではないとしたが、それはつまり、「行為に被害者が苦しんでいても」それについて、やってやろうという意思が行為者にはない場合は、いじめではないとするという勝手な定義をここで作ってしまっているのだ。

さらに、「新体操部内で不適切な対人関係がなかったというつもりはなく、不適切な対人関係により当該生徒が不快な思いをしていたことも否定はしない」と報告書にはある。

…いじめの定義では、この段階でいじめは確定となるのだが、第三者委員会の報告書では、最終的に「いじめがあったとするのは無理がある」と締めくくるのだ。

この件について、私は第三者委員会構成メンバーに、いじめの定義解釈についての質問状を送付したし、電話や直接の面会を求めたが、委員長に至っては、「あなたのようなならず者と話すことはない」と激昂され、臨床心理士に関しては「記憶にないことなので話せない」と断られ、弁護士に至っては、これ以上問題をほじくるならば、「訴える」と脅された。

ただ、委員長は自分の講義において、「今のいじめの定義はおかしいのだ。理由があれば、いじめられることはある。その場合は相互性があると認められるから、いじめだと私の立場で認めるわけにはいかないのだ」とダブルスタンダードな講義をしている。

実際、受講生に当たる学生は、「何のことだ??」「定義は定義できちんと教えて欲しい」「事例集の講義なく、講義中の事例は古過ぎて、何の話をしているのか余計にわからなくなる」と大不評であるそうだ。

今現在で私が対応した数は330を超えるというのが今年初めだったか昨年秋頃だったか、対応数を数える暇もないほど対応しているが、そこで言えることは、いじめ対応を学校や教育委員会、私立においてはその学校内の委員会や外部委員がきちんとやるかどうかは、運次第であるということだ。

だからこそ、夏休みだからと油断しないこと。今回紹介した被害者とその保護者は、対応が早く、親子間でも信頼関係は良好であり、かなりきつい被害状況や二次被害を受けても、もちろん被害者はとてつもなく辛かったはずだが、それをフォローできる家族関係が構築されていた。

結果からすれば、被害者にとっては黒歴史に当たるところだが、それをバネに変えて志望校へ進学し、大学生となっている。

そこから鑑みれば、親子間でもコミュニケーションをしっかりとして、トラブルがあった時には、絶対的に頼りになる親だと信頼され、たとえ恥ずかしいことでも話せる関係性を持つことが、親子で行ういじめ対策にはもっとも有効なのだと思うのだ。

image by: 伝説の探偵

出典元:まぐまぐニュース!