認知症の人との友情はお互いにとってメリットがいっぱい

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著:Janelle Taylor(ワシントン大学 Professor of Medical Anthropology)

 毎年、大晦日のあと数時間で新年という時になると、全米の多くの人々が友人同士で集い、ロバート・バーンズの名曲「オールド・ラング・ザイン」(「蛍の光」の原曲)を歌いながら祝杯を挙げる。皆が腕を組んで立ち新年を迎えるこの時、ふとこんな思いがよぎる。「昔馴染みに忘れ去られて2度と思い出されなかったら?」

 この質問はもちろん修辞学的なものに過ぎない。その答えは「いや、年月は過ぎ去っても、友情は続くのだ。」

 ただし、友人の認知症発症に直面する多くの高齢者にとって、この質問には違った意味合いがある。米国だけで380万人にのぼると推定される人々を苦しめる認知症は、多くの場合、個人識別や人格に必要な基盤として理解される言語や記憶などの認識能力に影響を及ぼしている。

 認知症はそのようなものとして、人間の境界は何か、有意義な社会的関係をもつには何が必要なのか、さらに一般的には、何が生きがいのある(または生きがいが感じられない)生活にするのかといった疑問を我々に提起する。

 長年、研究は孤独感が認知症の発症に伴うことを示してきた。そして研究は社会的交流が認知症患者に効果があることを示唆している。

 私は最近、これらの発見からさらに一歩踏み込んだ研究を実施した。それによると、交流によって認知症患者ばかりでなく、その友人にも個人的成長の機会が与えられるらしい。

◆孤独により悪化する重篤な疾患
 アメリカでは認知症患者は、修辞学的にも隠喩的にもゾンビに形容され、認知症は多くの場合、生死の間に漠然と存在する状態として表現される。

 そのような考えは認知症診断に通常伴う悪いイメージ、恐れ、恥の一因となることが多い。

 そして、認知症が加齢関連の最も重篤な形の疾患であるとすれば、それは最もよく見られる疾患の1つでもある。この疾患は、71歳以上の人口の約14パーセントも侵している。認知症の発症率は年齢と共に増加し、70歳代では約5パーセントであるのに対し、80歳代では24パーセント、そして90歳代では約40パーセントもの人が発症している。

 友人の認知症発症を経験した人はどのように感じ、どのように対応するのだろうか?近親者は多くの場合、認知症の困難に取り組むことを期待され、その努力をする。しかし、友人がどのような役割を果たすことができ、また、果たすべきなのかについてはあまり明らかになっていない。このテーマに関する研究はほとんど行われていない。

 私は最近、認知症患者の友人がいると認める人々(および医療従事者と家族)とのインタビューに基づきある論文とある本の1章を公開した。

 この調査の背景にある基本的な考え方は、認知症発症後に友人関係を維持する理由と方法を見出した人々から学ぶべき教訓がある可能性があることだ。そしてその教訓は同じような状況に直面している人々と共有することができる。認知症患者との友人関係を維持する友人は、この疾患に関する知識を習得し、予期しない方法で成長することができる。

 調査は認知症を抱える人々との友情が一部の人に価値観、関心、意義、喜びを与えることを立証している。以下、その中から主なものを挙げる。

 経験を通して認知症を抱える人々とうまく付き合う方法に関する具体的な知識を習得する。認知症が与える影響については非常に大きな個人差があり、認知症を患う人々とうまく交流するための指導書のようなものは存在しない。さらに、認知症患者の友人が開拓した技術やアプローチは他の人々が試してみる価値がある。

 認知症について語る─言い換えれば、認知症を「話すのに適した」話題とすることは困難で気まずくなる場合があるが、認知症を語ることは、これを単に個人の問題として対処するのではなく、共同体として集団としてのアプローチをとる重要な第一歩となる可能性がある。

 私がインタビューした人々は認知症を患う人々との友情を単に永続的なものというよりむしろ変化させることができる関係として表現している。

 認知症の症状発症後も友人として付き合っている人々は認知症を悲しみや喪失と共に、学習、成長、予期しない贈り物などを含む個人的そして個人間の変化の推進力として表現している。

◆友人はより広範な支持基盤において重要な役割を果たす
 友人の認知症に対する対応の仕方は多くの理由で重要だ。

 まず何よりも、誰にとっても友情が大切なのと同じ理由で認知症を患う高齢者にとって大切なものだ。友情は喜び、支援、社会的アイデンティティの源だ。

 第二に、認知症患者の生活に友人や他の社会的つながりがいっそう残っている場合、認知症患者の世話をする無報酬の個人介護者(大部分は女性の肉親)が直面する困難や重荷が軽減される可能性がある。

 第三に、結婚、出産、高齢化、住居形態、地理的移動性のパターンの変化が原因で、医師の判断を仰ぎ、介護者としての役割を担うことのできる、または担おうとする家族がいない認知症の高齢者の数がますます増加している。そのような認知症患者にとって、友人、隣人、同僚やその他の人々の対応の仕方が生死にかかわる重大問題である場合がある。

◆暗闇に差し込む一筋の光
 認知症は、恐ろしくて気の滅入る話題だが、この調査には希望を抱く理由がある。今のところ、医学では治療が不可能で効果的な治療法がほとんどないが、だからといって、なすすべがないということではない。

 認知症の人々の生活を向上するために我々にできることはたくさんある。そして我々は自分にできることをやるべきだ。それは単に認知症患者が社会の一員であるからというばかりではなく、誰もが将来、認知症を患う可能性があるからだ。

 新年を祝福するパーティーで歌われるオールド・ラング・ザインだが、その歌詞の中に「We’ll take a cup of kindness yet, for Auld Lang Syne(友情あふれる一杯を交わそう。古きよき日のために。)」というあまり歌われない1行がある。友人の認知症発症に直面した人々が「友情あふれる一杯」をいかに満たし、分かち合い、そこから支えを得るかを他の人々から学ぶのを助けることは、人類学研究が世の中を少しでも住みやすい場にする取り組みの1つの方法なのである。

This article was originally published on The Conversation. Read the original article.
Translated by サンチェスユミエ