2017年、私たちはどう音楽を聴いているだろうか?

家でも外でもスマートフォンを持ち歩き、気に入った曲はアプリで瞬時に再生できる。コンテンツデータが音楽消費の実権を握った今、私はスマートフォンの画面に視界を預けたまま、渋谷駅前のTSUTAYAの前を通り過ぎる日々を送っている。どんなジャンルもどんなプレイリストも、ミュージックビデオすら思いのままに見つけることができる時代だ。タワーレコードに足が遠のくのは、もはや避けられない。

今から5年前、私たちは何で音楽を聴いていたか、思い出せるだろうか? 高校生だった私は、ガラケーとは別にiPod nanoやウォークマンを持ち歩き、家ではCDをレンタルして音楽にのめり込んでいた。着うたフルやiTunesのダウンロードコンテンツが台頭しつつあったけれど、聴く音楽は手持ちのCDに依存していた。そんな当時、無意識のうちに信じて疑わなかった自分の行動が客観的に見えた瞬間があった。発売されたアルバムを「収録された曲順通りに聴く」ことに、ある種の美学を感じていたのだ。同じマイルールを決めていた人は、いないだろうか。

当時よく音楽の話をしていた友人に、その頃の音楽の聴き方について改めて聞いてみた。


ーー高校時代、何で音楽聴いてた?
友人)電車や学校ではCOWON J3にmp3を入れて聴いてたな〜。そこに謎のこだわりを持っていた(笑)家ではパソコンでYouTube、気に入ったやつはCDを一度に10枚とか借りて聴いてた。

ーー音楽を聴くときのマイルールはあった?「シャッフルしないで曲順に聴く」、「CDのカバーフィルムは捨てない」とか。
友人)「シャッフルしないでアルバムを頭から聴く」がルールだった。アルバムの曲順/曲間にはアーティスト側の意図があると思っていた。高校生なのにかなり生意気なリスナーだ(笑)

ーー高校時代シャッフル再生のこと、どう思ってた? 今はどう思う?
友人)その頃はシャッフルする意味が分からなかった(笑)今でも頻繁に使うことはないけど、新鮮さを感じたいときは使ってる!

ーー自分の「名盤」ってある?
友人)当時は洋楽も大好きだったけど背伸びしてた部分もあったから、the band apartの『Scent of August』とdustboxの『Seeds of Rainbows』、SHIT HAPPENINGの『THIS MEMORY TO ME...』かな。

ーー私はthe band apartの『Adze of penguin』、ASIAN KUNG-FU GENERATION『ワールドワールドワールド』、ELLEGARDEN『RIOT ON THE GRILL』が今も本当に素晴らしいと思っている。「名盤」ってなんだと思う?
友人)音楽のジャンルによって定義は変わると思う。初期衝動じゃないけど「アーティストの情熱や感情」と「音楽的な質の高さ(メロディ、演奏、歌詞、とかの質)」が絶妙なバランスを保っているアルバムかな。

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名盤に曲順は必要か?

聴いていた音楽も見えていた世界も狭かった高校時代、アルバムを曲順に聴くことはある種の正義だった。さらに、曲順に則って聴いたアルバムがとても素晴らしかったときは「名盤」という言葉をよく使っていた。アルバムを通して聴いた感想が「最高」だったら、それはすべて「名盤」だったのだ。

名盤は「曲と曲のまとまり」として私たちは認識していた。ある一曲が良かったらそれは「名曲」だが、名盤とはアルバムに対して「連続する音楽」の良さを表現する言葉だ。作り手がパッケージ化した状態で届けられる「連続する音楽」を聴くことによって、リスナーは作り手からのメッセージやストーリーを受けとり、価値を見出していたのである。

東京事変のベーシストで、多くのアーティストのプロデュースを務めている亀田誠治が、2012年にJ-WAVEの自身の番組「BEHIND THE MELODY 〜FM KAMEDA」」において、ピンクフロイドの『The Dark Side Of The Moon』(邦題『狂気』)をあげながら、アルバムの曲順について以下のように語っている。

ちなみに、7、8年程前、CDが売れなくなり始めた頃...一時期は「試聴機対策」といってシングル曲、キャッチーな曲を1曲目から片っ端から並べるのが流行ったりもしましたが、これだけ、CDが売れなくなって、しかも、曲順をシャッフルして聞かれるようになると意味がなくなりました(笑)

ピンク・フロイド、見習わなくちゃいけません!
これでしかありえない曲順!
これでしかありえないストーリー!
やっぱり、いつだって、音楽重視、作品重視で作らなければ
ダメですね!

シャッフル再生がアルバムの曲順を無意味にしたという彼の言葉は、ストリーミングサービスを利用する音楽リスナーの現在にも通ずる。「視聴機対策」を駆使したアルバムがシャッフルによって無効化されたということは、この機能によってどんなアルバムも曲順に意味がなくなるということでもある。

これまでCDパッケージによって「曲順」が意味づけられ、リスナーはその「曲順」を体験することで、「連続する音楽」に価値を見出していた。だが、ダウンロードやストリーミングサービスではどうだろうか? どんな曲も強制的にアルバムとして体験する必要がなくなり、気になる曲だけを目指し、再生ボタンをタップすればいい。ピックアップした単一の曲同士が集められたマイリストは、個々の曲の集まりであってそこに作り手の意図は介在しないため、リスナーも曲順を意識することはない。

だが、ストリーミングサービスを利用していても、かつて「名盤」と銘打ったアルバムの存在や価値が消滅するというわけではない。いまだにシャッフル機能を行使せず、アルバムとして聴きたくなる音楽は確かに存在する。

曲順とシャッフル機能の関係性で言えば、徹底的なランダム性に期待するあまり、たとえば同じアーティストの曲が続けばそこにいらだちを覚えたりする。そして、シャッフル機能に没頭することで、気付かないうちに曲順に意味を見出すアクションを自ら手放すようになり、あれだけ記憶していた「名盤」探しはストリーミングサービスを利用する以前の「過去の出来事」となっていった。



複数の曲の編集によってもたらされる「連続する音楽」の美しさは、音楽の魅力の一つだ。ところがアルバムとしてリリースされても、曲が氾濫するストリーミングサービスではリスナーに届く前にコンテクストが解体し、ひとつひとつの曲としてリスナーに選び取られていくばかりだ。そこでリスナーに問いたい。

新たにリリースされていく音楽の中において、名盤探しという文化は死んでしまったのだろうか?

かつての「名盤」は存在するとして、これから先「名盤」と名づけられる音楽は、曲順を無視した聴き方から生まれるのだろうか?

その鍵を握るのはもはやリスナー次第だ。これまでアルバムに対し「名盤」という言葉を与えてきたのは、紛れもなくリスナーだった。作り手が「こちらのアルバムは名盤です」と提示するのではなく、アルバムを聴いたリスナーがそのCDに「名盤」という符号をつける。つまり「名盤」探しの文化は、リスナー主体で作るアクションの集積なのだ。そして今、ダウンロードとともに始まった、曲順のシャッフルとアルバムの解体がさらに進むとしたら、名盤文化の価値観もCDと共に消え行く運命に向かってしまう。

プレイリストをつくり、聴いた曲をシェアできるストリーミングサービスの環境は、「名盤文化」の新たな突破口となるかもしれない。Spotifyで個人が作成したプレイリストを提案できるサービス、DIGLEは良い例だ。データベースで選んだ曲をリスナー自身が組み合わせることによって、作り手に限らず受け手も「連続する音楽」になんらかの意味やメッセージを込めることが可能となるのである。ユーザーの数だけ無限のパターンのストーリーを持つ個人プレイリストは、シェアによって他のリスナーに届き、さらに自由で多様な解釈を音楽にもたらす。このとき、リスナーそれぞれが持っている美学がプレイリストの個性となって現れるだろう。

これからは与えられたプレイリストに「名盤」と名づけるだけでなく、「名盤」を引き出すプレイリストを作成するのもリスナーが主体となっていく時代だ。

デジタルの海に解き放たれた過去・現在・未来の名曲たちは、作り手ではなくリスナーの手がすくいあげることによって、かつては「名盤」として存在した「連続の美しさ」を取り戻すことができるのかもしれない。ストリーミング時代の名盤文化を生かすのも殺すのも、リスナー次第だ。


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