不二越会長発言の真意は、「富山県民を侮辱すること」にあるのではなく、出身地から出て教育を受けたり、就職をすることで、「広い視野と高い適応能力を培った人材が欲しい」ということなのではないだろうか?(写真はイメージです)

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富山市の機械メーカー、不二越の本間博夫会長の「富山から採用しない」発言が袋叩きにあっている。県知事が労働行政を、弁護士が労働法を振りかざして、本間氏を包囲している。しかし、私には、「王様は裸だ」という事実を叫んだ人を包囲しているように思えてならない。しかも、この構図がトンデモ人事の状況に酷似している。(組織・人事・人材開発コンサルタント/トレーナー 山口 博)

不二越会長発言は
正論ではないのか?

 この発言は、本社を東京に一本化すると発表した記者会見の席上で語られた。「富山で生まれて幼稚園、小学校、中学校、高校、不二越。これは駄目です」「富山で生まれて地方の大学へ行った人でも極力採りません。なぜか。閉鎖された考え方が非常に強いです」と発言したという。

 これに対して、県内の経営者団体、行政関係者、教育関係者から、「地方創生の機運の中、時代に逆光している」、「富山県民を侮辱している」、「出身地でレッテルを張るべきではない」、「富山の若者が閉鎖的とは思わない」と、反論が噴出しているという。弁護士も参戦し、「出身地を採用の判断基準の1つにするのは公正とは言い難く、就職差別」としている。

 挙げ句の果てにはとうとう、富山県知事まで登場し、「極めて残念」、「富山労働局を通じて公正・公平な採用を求める」との見解を示しているという。

 大バッシングに遭った不二越は、「採用は人物本位。富山の出身者の採用を抑えるということではない」と火消しに躍起になっている。

 しかし、本間氏の発言は、本当にここまで非難されるべきものだとは、私には思えない。むしろ本間氏の発言が、あっという間に、このような反論に取り囲まれること自体が、閉鎖性の現れである。本間氏の発言は正論ではないのか。正論を正論として認めようとしなかったり、認めたくなかったりする心理が、このような反論を過熱させているのではないか。「王様は裸だ」という事実を指摘した人を、寄ってたかって包囲しているように思えてならない。

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