「GORO」(小学館/1989年4月27日号)

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 やたらとみんな稼いでいたと誤解されがちな、バブル時代。でも、好景気が正社員の給与に反映されるまでには、長い時間がかかった。

 大卒初任給がようやく20万円台を突破したのは1989年のこと。アルバイトの時給が高騰する一方で、正社員の給与は低く抑えられていた。

 現代では、好景気の割に意外と儲かっていないサラリーマンも多かったというバブル時代の真実は、忘れられている。みんな経費が使い放題だったとか、給料はすぐに上がったという神話を信じて、お得な人生を送ったバブル世代に対する怨嗟を滲ませているのである。

 でも、すべてのサラリーマンがそうであったワケではない。現代でも会社の部署によって経費の使える使えないはさまざま。業種によっては、いつの時代にあっても常に儲からないのが当たり前なんてのも珍しいものではない。

 例えば出版業界だってそうである。当時、雑誌編集部で働いていたような編集者に聞くバブルの逸話は、とにかくゴージャス。会社に出勤するよりも、飲み歩くのが仕事みたいになっている者もいた。でも、当時は雑誌が売れまくる一方で、書籍はあまり売れない時代。吉本ばななの登場によって、文芸書は再び脚光を浴びるようになるわけだけれど、硬派な書籍を担当していた編集者なんて今も昔も儲かってはいないもの。

 だから職場などで「バブル時代は、最高だった」と吹聴して回るバブル世代のヤツらの言説を、容易に信じてはいけないのである。

 そんな儲からない時代だけれども、現代と大きく違うのは、儲からない時にどうすればいいかという意識である。現代において、稼ぎも少なく残業も多い人々は、ネットでブラック企業に勤務する我が身を嘆くばかり。

 でも、バブル時代は違った。

 仕事が忙しかったといわれるバブル時代。でも、忙しいハズなのに、多くの人々は身体を酷使することを厭わなかった。雑誌やテレビを見れば、次々と物欲をそそられるものが登場する。街はキラキラと輝き、カネを持ってそうなヤツらが我が物顔で歩いている。

 疲れた身体を引きずって精神をすり減らす現代と違い、多くの人々はサイドビジネスで稼ぐという手段を選択したのである。

「ゴージャスに遊びたいから、そのためにもっと稼いでやる!!」

 そんな意識がバブル時代の標準だったというわけである。


■芸能人みたいにサイドビジネスを

 本業の給与とは別に、月に10万円は稼ぎたい。そんなサラリーマンたちが挑戦していたのは、さまざまなサイドビジネスであった。コンビニなどでバイトをする者も多かったようだが、もっとハイレベルな副業に挑戦する者も多かった。

 土日だけ住宅販売の仕事をして、成功報酬制で3カ月で150万円を稼いだ猛者もいる。そんな情報が流れれば、我も我もと挑戦するのは当然。深夜に運転代行を始める者もいれば、結婚式の司会や探偵など、どうやって見つけたんだというサイドビジネスも、当時の雑誌には数多く掲載されている。

 ここで現代の人々は疑問に思うのではなかろうか。まだまだ終身雇用制が存在し、会社への忠誠心が強かった時代に、なぜそんなにサイドビジネスに熱心になることができたのか。その理由は遊ぶ金だけではない。当時、流行していたタレントショップが、サイドビジネスのハードルを下げたという側面は否定できない。

「GORO」1989年4月27日号に掲載された綱島理友によるルポ記事「タレントの店を見笑する!!」。「見笑」と書いて「ミーハー」と読むこの記事は、もはや誰も覚えていない原宿におけるタレントショップの乱立を記録している資料である。原宿駅を一歩外に出れば、もう右も左もタレントショップばかり。

 北野倶楽部にフックンの店、コロッケの店に高田純次の店……。聖飢魔IIの「ぬらりんハウス」は、聖飢魔IIの弁当箱まで売っていたそうである。そんな店は、どこもかしこも流行っていた。

 あっちも行列、こっちも行列、どこか行列しないで入れる店は無いのか。と見廻すと、一軒ありました。行列ナシ、すぐに入れるという店が。「島崎俊郎商店」。(前出「GORO」)

 さらに、この記事では原宿を離れてもタレントショップはわんさかあることを、丁寧に記録している。渋谷にあった黒木香の焼肉屋は「ランチメニューは値段の割にボリュームもあり、実に良心的にやっている店」と記す。

 恵比寿には酒井法子の「のりピーハウス」。自由が丘には松田聖子の「フローレス・セイコ」……と、タレントショップは都内ばかりかと思いきや、江川卓の「きりんこ」は「東名横浜インターからクルマで10分位である」という。

 いったいなんで、そんなところに店をオープンしようと思ったのか。こうした、芸能人たちが、どういう目的で開業したのかイマイチ不明なタレントショップの隆盛。そうした存在が、一般人にも何か一稼ぎ考えようかという意識を与えていたことは間違いない。
(文=昼間たかし)