ホンダがF1に復帰3年目、またしても不振。マクラーレンはホンダとのコンビを解消するのではとの話も絶えません。来年契約のうわさが出ていたウィリアムズからも否定された「宗一郎のホンダイズム」を失った姿は、世界のホンダファンを落胆させています。

■セナの華々しい戦績を背負って

 マクラーレン・ホンダと言えば、セナと本田宗一郎との出会いを思い浮かべてしまう。ホンダが第2期F1エンジンコンストラクターとして参戦のときのエースドライバーがセナでした。その戦績はご存知の通りです。「お前のために良いエンジンを作ってやる」とセナに言った本田宗一郎が他界し、ホンダがF1を撤退した後、セナはウイリアムズに移籍、イモラ・サーキットに散りました。

 F1の名門マクラーレンとホンダのコンビは世界最強のイメージを作り上げ、現在でも世界のF1ファンに浸透しています。

 その当時、マクラーレン・ホンダはウィングを立て、コーナリングスピードを上げるためにダウンフォースを大きくしていました。直線ではウィングの抵抗でトップスピードが出ないはずが、ホンダパワーで強引に追い越しを掛ける姿は強烈な印象を受けていました。

 ウィリアムズがアクティブサスペンションを開発して、コーナリングスピードで優位に立ち、ルノーエンジンがホンダパワーに肉薄していくと、セナはトップスピードを確保するためウィングを寝かし、コーナリングが難しくなる状態に追い込まれて行きます。モナコでのウィリアムズのマンセルとの一騎打ちでセナは、ダウンフォースの不足からコーナで滑り出そうとする車を、ギリギリで抑え込んでいくテクニックは「これぞF1」と教えられる戦いでした。

 ホンダが第4次F1復帰を果たし、1年目不振に終わっても「ホンダは必ず蘇る」とファンは信じていました。

■宗一郎のホンダイズム

 参戦から1年目を不振に終わって、テレビカメラがホンダF1チームに入りました。本拠地の設備はワークスホンダの名の通りの素晴らしい設備でした。しかし、働くメンバーは、かつてのぎらぎらするほどの迫力はどこに行ったのか? レースの負けを知っても悔しさを出すわけでもなく淡々とした、まるで役所の事務のような対応がすべてを語っていました。

 セナが連勝を重ねていた当時、シャーシ・ボディー技術者たちは、勝手にF1ボディーを作り上げていました。仕事が終わってから集まって「エンジンだけでなく俺たちにもやらせろ!」との思いで作り上げたそうです。もちろん無給で、資材も勝手に使ってしまったそうです。「管理がなっていない」などのレベルではなく「俺たちがホンダだ」と言わんばかりの闘志でした。

 現在のホンダのスピード感は、敗れ去った家電メーカーのそれであるとみえます。ホンダほどの企業規模では、グローバル化を果たしても、投資の概念での経営者ではSONYの二の舞かもしれません。

 AIをホンダは自社開発をあきらめ、コストの安いサプライヤーから購入することとしたそうです。この程度の規模でトヨタのような特徴のない車では商品価値をどのように保っていくのか、戦略を経営陣に聞いてみたいものです。

 特徴を失っていくホンダ各車を見るにつけ、本田宗一郎なら何というであろうかと考えてしまいます。

執筆者プロフィール

kenzoogata 
日本航空機製造(YS-11)にSEとして勤務した後、事業家となる。建設車両メーカーの系列会社を経営。多種少量生産について精通しており、組織運用についても実戦経験豊富。資金効率とビジネスモデルの関係にも努力し、大型M&Aも手がけた。また、DOSの日本語化作業に関わったことから、独自のソフト開発も始める。

物流・ゴルフ・システム設計・広告などのコンサルタントとしても活躍。広告技術開発から物流における販売方法研究まで扱い、資金効率の高い「提案型販売」を提唱。全国隅々まで実際に歩き、立地条件に付いても精通している。単行本の出版(PHP研究所)や、雑誌記事も多数執筆。隠居した現在も、ライティング活動を続けている。

趣味は多く、現在は、ボランティアで縮小するゴルフ業界の問題を研究中。これまで車は40台程度所有、試乗した車は数百台にも及ぶ。ラリーをかじったこともあり運転も可能。機械製造業を営んでいたことから、加工技術にも精通している。