ダン・ライオンズ『スタートアップ・バブル 愚かな投資家と幼稚な起業家』(講談社)

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たいして儲かっているように見えないベンチャー企業が続々と高値で買収されていくのはなぜか? その背景には投資家たちのギャンブルじみた増資と、投資家好みに演出されたアッパーなオフィスと、目を輝かせながら低賃金で働かされる若者たちの姿があった。米誌『ニューズウィーク』をリストラされた50歳の記者が、ITベンチャー「ハブスポット」でみた「やりがい搾取」の実態とは――。

※以下はダン・ライオンズ『スタートアップ・バブル 愚かな投資家と幼稚な起業家』(講談社)の第12章「部品としての社員」からの抜粋です。

■取材経験25年でもわからなかった

どうやら私は、世間知らずだったらしい。25年間、IT企業について書いてきたから、この業界をわかっているつもりでいた。だが、ハブスポットで気づいたのは、自分が信じていた多くのことが間違っていたこと。

たとえば、IT企業は、偉大な発明――目を見張るような機器や素晴らしいソフトウェア――から始まるものだと思っていた。アップルでは、スティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアックがパソコンをつくったし、マイクロソフトでは、ビル・ゲイツとポール・アレンがプログラミング言語を、のちにはOS(オペレーティング・システム)を開発したし、セルゲイ・ブリンとラリー・ペイジはグーグル検索エンジンをつくった。エンジニアリングが先で、営業はあとからついてくるもの。それが物事の仕組みだ、と信じていた。

ところが、ハブスポットはその逆をいった。ハブスポットの最初の社員の中には、営業のトップとマーケティングのトップがいた。ハリガンとダーメッシュは、まだ売る商品もなく、どんな商品をつくるかすらわからないのに、そのポジションに人を雇った。ハブスポットは売る商品を探しつつ、営業活動から始めた会社なのだ。

■「世界を変える」と口にする大勢の若者

そしてもう一つ、新しい仕事で学んでいることがある。それは、人々はいまだにこのビジネスを「テクノロジー業界」と呼んでいるが、実のところ、もはやテクノロジーは主役じゃない、ということ。「素晴らしいテクノロジーを開発すれば報われる、という時代は終わった」というのは、ある友人の弁。彼は1980年代からこの業界で働いてきた元投資銀行家で、今はスタートアップ企業に助言している。「大事なのはビジネスモデルさ。市場は、一気に大きくなる企業の創業者にお金を払う。大事なのは、速く大きくなること。もうけるな、ひたすら大きくなれ、とね」

それが、ハブスポットがしていることだ。同社のテクノロジーはそれほど目を引くものではないが、収益成長率ときたら! ベンチャー投資家がハブスポットにどっさり投資するのも、「ハブスポットはIPOに成功する」と信じているのも、増収のおかげだ。ハブスポットが山ほど若者を雇う理由もそこにある。それが、投資家が見たがっているものだから――人生を楽しみ、「世界を変える」と口にする大勢の若者……。それが売りになるのだ。

■若者のやる気を搾取する

若者を雇うもう一つの理由は、安いから。ハブスポットは赤字経営だが、多くの人手が必要だ。何百人もの人を、なるべく安い賃金で営業やマーケティングといった部署で働かせるには、どうすればいい? 大学出たての若者を雇い、仕事を面白く見せるのも一案だ。タダのビールやサッカーゲームテーブルを与え、職場には、幼稚園とフラットハウスを足して2で割ったような飾りつけをし、たびたびパーティを開く。そうすれば、やってくる若者が途切れることはない。そして年間3万5000ドルで、絶え間ないけた外れな精神的プレッシャーに耐え、クモザル部屋であくせく働き続けてくれる。彼らをだだっ広い部屋に、肩が触れ合うくらい密な状態で詰め込めば、さらにコストを削減できる。そして、こう告げるのだ。「オフィス空間にかかるお金がもったいないからじゃないよ。君たちの世代はこういう働き方が好きだから、こうしてるだけ」

さまざまなお楽しみに加えて、仕事を有意義に見せる神話づくりも大切だ。ミレニアル世代は、お金にはさほどこだわらないが、使命感に突き動かされる、と言われる。だから、彼らに使命(ミッション)を与えよう。「君たちは特別な存在だ」「ここにいられるなんて、ラッキーだ」とささやき、「この会社はハーバード大学より難関だ」「君はそのスーパーパワーゆえに選ばれて、世界を変えるという重要なミッションに取り組んでいる」と持ち上げる。チームカラーとチームロゴを決めて、会社をチームに仕立て、全員に帽子とTシャツを配る。カルチャーコードをつくり、みんなに愛される会社づくりを語る。そして、「リッチになれるかも」という可能性をちらつかせる。

■アマゾンの平均的労働者は1年で転職

シリコンバレーには、影の部分がある。もちろんIT業界にも、明るく幸せに働いている人は大勢いる。だがここは、富が不平等に分配され、利益の大半は、自分たちの都合のいいようにゲームを操作してきた投資家と創業者のポケットに入る――そんな世界だ。年を重ねた労働者は相手にされず、40歳になるとポイ捨てされる。雇用主が人種や性別で人を差別したり、時には創業者が反社会的なモンスターだと判明することもある。あまり(あるいはまったく)訓練を受けていない管理職が社員を馬車馬のように働かせたり解雇してもおとがめもなく、労働者への支援や仕事の保障もほとんどない、そんな世界でもある。

2014年12月、ジャーナリストのニコラス・レマンが『ニューヨーカー』誌にエッセイを発表した。レマンはこのエッセイの中で、ゼネラル・モーターズの伝説のCEO、アルフレッド・スローンが1964年に出版した回顧録『GMとともに』(有賀裕子訳、ダイヤモンド社)で述べた職場のビジョンと、グーグル幹部たちが次々と出版した本で説明しているビジョンとを対比させている。

スローンのGMを動かしていた20世紀モデルのもとでは、「社員の大半が労働組合に加入し、企業はホワイトカラーの社員に事実上の終身雇用を提供していた。社員は、就労期間中に着実に昇給し、退職後には年金が支払われた」と、レマンは書いている。状況が変わったのは、インターネット、とくにグーグルが登場してからだ。グーグルは、多くの労働者を抱えて成功した最初のインターネット企業だ。レマンによると、グーグルは「企業をいかに経営するか、そのルールを破ったこと」で成功した。

最大の破壊は、かつては企業と労働者の間にも、企業と社会全体の間にも存在した「社会契約」にまつわるものだろう。ほんの少し前には、企業が社員に気を配り、よき企業市民でなくてはならない時代があった。今日では、そんな社会契約は破り捨てられてしまった。この「新たな職場」では、雇用主が労働者に忠誠心を期待することはあっても、お返しに雇用主が労働者に忠誠心を示す義務はない。人々は生涯続く安定した仕事を提供される代わりに、使い捨ての部品みたいに扱われている。この部品は1〜2年、会社に差し込まれているけれど、そのうち抜かれ、ポイ捨てされる。このモデルのもとでは、誰もがおおむねフリーランスで、短期契約を交わし、サービスを売る。一生のうちに、何十もの職場を転々とすることになるかもしれない。

■「会社はあなたの家族ではない」

「会社はあなたの家族ではない」と著書『ALLIANCE アライアンス――人と企業が信頼で結ばれる新しい雇用』(ベン・カスノーカ、クリス・イェとの共著。 篠田真貴子監訳、倉田幸信訳、ダイヤモンド社)に書いたのは、超億万長者で、リンクトインの共同創業者兼会長のリード・ホフマンだ。ホフマンは言う。社員は仕事を軍の服務期間のように考え、長く勤めたいと思うべきじゃない、と。彼の考え方によると、仕事は取引だから、社員はサービスを提供し、報酬を受け取って、立ち去るべきなのだ。リンクトインでの仕事のほかに、ホフマンは一流のベンチャーキャピタル、グレイロック・パートナーズのパートナーも務め、『フォーブス』に「シリコンバレー1 人脈を持つ男」と呼ばれている。ホフマンは広く尊敬を集め、崇拝すらされているので、雇用主と社員の関係をめぐる彼の考え方は、起業家世代に影響を及ぼしている。彼らは、「ホフマンの言葉は絶対に正しい」と信じている。

ホフマンの「会社は家族ではない」という言葉のルーツは、シリコンバレーの定額制動画配信サービス「ネットフリックス」の「カルチャーコード」にさかのぼる。2009年に発表されたこのカルチャーコードは、「私たちはチームであって、家族ではない」と宣言したことで有名だ。ネットフリックスのコードは、IT系スタートアップ世代にひらめきを与え、「おそらくシリコンバレー発の最も重要な文書」とフェイスブックのCOO、シェリル・サンドバーグに言わしめた。シャアは、ネットフリックスのコードをハブスポットのカルチャーコードのモデルとして活用し、「私たちはチームであって、家族ではない」の1文を盗用している。

■社員は「プロのアスリート」と同じ?

ネットフリックスは「家族ではない」という考え方を正当化すべく、「IT企業は、プロのスポーツチームのように、『あらゆるポジションにスター』が必要だから」と主張している。その考え方を、年に何百万ドルも稼ぎ、30歳や35歳で引退するプロのアスリートに適用するならいざ知らず、一般社員に当てはめられた日には、ちょっと無慈悲に聞こえる。その結果、『フォーチュン』『ニュー・リパブリック』「ブルームバーグ」『ニューヨーク・マガジン』等のメディアに掲載された数え切れないほどの記事によると、シリコンバレーは今や、人々がびくびくしながら暮らす場所になった。より優秀な、もしくは安い人材が現れるや否や、会社はあなたをクビにする。50歳、いや40歳、いや35歳になったら、賃上げを要求して給料が高くなり過ぎたら、新卒のグループがやってきてあなたの仕事を安くこなしたら――もうお払い箱だ。くつろいでいる場合じゃない。

労働者と雇用主のこの新たな取り決めは、シリコンバレーの企業によって発案され、チップやソフトウェアに負けないくらい重要なイノベーションだと考えられている。有名なのはチップやソフトウェアのほうだけど、今やこの価値観も、シリコンバレーの外へと広がっている。私たちは今、とてつもなく大きな経済改革の時代を生きている。そこではあらゆる業界――小売り、銀行、医療、メディア、製造――がテクノロジーによってつくり変えられている。各業界が変化していく中で、労働者の扱い方も変わりつつある。

■40年の仕事人生で25回も転職したいか?

しかし、みんな本当に望んでいるのだろうか? 40年の仕事人生で、20回も25回も転職したいと。こんな取り決めのどこがどう労働者のためになるのか、首をかしげてしまう。若いときにあちこち飛び回るのは悪くないかもしれないが、人生のある時点で、人は結婚し、子どもを持ち、落ち着きたいと考える。安定が大切になるのだ。ホフマン流の世界では、人は就活に人生の半分を費やすことになる。仕事の面接に行き、研修を受け、そこに落ち着き、新たな保険に加入し(加入させてもらえればの話だが)、税金の書類を埋め、新しい会社の退職金制度に移る。ところが、サッカーゲームテーブルの場所もまだうろ覚えのうちに、またしても就活の時期がやってくる。

アマゾンは、労働環境がとりわけ厳しいことで知られているが、短い「服務期間」というホフマンの方針に、さらに残酷なひねりを加えている。報酬データを追跡する企業、ペイスケールが2013年に行った調査によると、アマゾンの平均的労働者は、1年しかもたない。アマゾンは、報酬の一部を4年かけて支給するRSU(制限付き株式)で支払っている。ほとんどのIT企業では、毎年同数の株が支給されていくのに対し、アマゾンでは後期割り増し方式を取っているので、株式の大部分は3年目と4年目に与えられる。報道によると、1年後に退社する社員には、わずか5パーセントしか支給されない可能性がある。

多くのIT企業は社員を粗末に扱っておきながら、忠誠心を求め、雇用主に対してスポーツファンがチームに抱くような愛情を示してほしいと期待している。ハブスポットの社員は、「会社のニーズは、あなたのニーズより大切だ」と聞かされる。「チーム>個人」という表現で、ダーメッシュはそれをカルチャーコードの中で示し、コードには「われわれが愛する会社をつくる」というサブタイトルをつけた。でも、いったい誰が、会社と恋に落ちるというのだ? 「私たちは家族じゃない」なんて言われながら。

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著者:ダン・ライオンズ Dan Lyons
小説家、ジャーナリスト、脚本家。かつては『ニューズウィーク』誌のテクノロジー・エディター、『フォーブス』誌のテクノロジー記者を務める。彼のブログ「スティーブ・ジョブズの秘密の日記」は、ジョブズになりすましてシリコンバレーをブラックジョークで斬るという独創性で話題となり、月に150万人の読者を集めた。現在は、ケーブルテレビ局HBOの連続ドラマ『シリコンバレー』の脚本を執筆。『ニューヨーク・タイムズ・マガジン』、『GQ』誌、『ヴァニティ・フェア』誌、『ワイアード』誌にも寄稿。マサチューセッツ州ウィンチェスター在住。
 

訳:長澤あかね
奈良県生まれ、横浜在住。関西学院大学社会学部卒業。広告代理店に勤務したのち、通訳を経て翻訳者に。訳書にエイミー・モーリン著『メンタルが強い人がやめた13の習慣』(講談社)、マーティン・ピストリウス著『ゴースト・ボーイ』(PHP研究所)、エイドリアン・トミネ著『キリング・アンド・ダイング』(国書刊行会)などがある。
 

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(小説家、ジャーナリスト、脚本家 Dan Lyons)