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暑い夏に「心のメンテナンス」がどう利くか!?現在開催中の世界水泳の平泳ぎ100m、200mに出場する鈴木聡美が復活に向け戦っている。日本代表の選考会を兼ねた4月の日本選手権で50m競技で日本新記録を叩きだした。2012年ロンドン五輪では3つのメダルを獲得しシンデレラガールと呼ばれたが、その後に長いスランプを経験。リオ五輪では準決勝敗退を喫した。現在26歳。ベテランと呼ばれる年齢となるなか、何を思うのか。山学大でトレーニングを続けながら、時間の許す限り都内のミキハウスで仕事を続ける彼女に、「復活への日々」について話を聞いた。

撮影 岸本勉 中村博之(PICSPORT) 取材 田坂友暁(SpoDit) 構成 編集部



水の中は「自分だけの世界に入りやすい」



ーーこの原稿が掲載される頃、テレビでは世界水泳選手権が流れています(インタビューは7月上旬に日本で行われた)。あんなにスイスイ泳げたら、気持ちいいだろうな。いつも水泳競技を観ていてそんなことも思います。

私はもともと水に入ることが大好きだったので……そうですね……。水の中に入ることで、自分だけの世界に入りやすいっていうはありますよね。そしてやっぱり、水中を進んでいるときは気持ち良いんですよ。昔から言われていますけど、魚になったような気分になるとか。そういうのも水泳しか味わえないもののひとつだと思うので、そのへんも楽しさのひとつかなって思いますね。

ーー世界水泳選手権で鈴木選手の泳ぎをご覧になる方々(日本時間の24日、27日に出場)に、「私のここを観てほしい!」というポイントは?

“大きなフォームだけど、キレのある動き”ですよね。まだフォームを改善中ではあるんですけど、そこを目標にしています。世界水泳選手権でも出せたらいいなと思っているので、そのあたりに注目してください。

ーーいくつかの泳ぎ方があるなかで、平泳ぎを専門にした理由は?

私の姉が喘息をもっていて、それで始めていた水泳を私が窓越しに見ていて、私もやりたい!って言って、母がしかたなく私を水泳教室に通わせたっていうのが水泳を始めたきっかけです。

何で平泳ぎを専門種目にしたかというと、その当時通っていたスイミングスクールで選手コースを指導しているコーチが、私の泳ぎを見たんですね。そうしたら、クロールのときにも、バタフライのときにも、何を泳ぐにしても、必ず平泳ぎキックが入っていたそうなんです。だからそのコーチが、鈴木は平泳ぎしかできねえなって(笑)。なので、平泳ぎが得意だったからとか特別速かったから、というわけではなく平泳ぎしか泳げないって思われたのが理由なんです。後々、その話を聞いて、ちょっとショックでした……。つまり不器用なの?って(笑)。

「ロンドン五輪後の引退を考えていた」



ーーロンドン五輪での活躍を経て、昨夏はリオデジャネイロ五輪に出場しました。大会を振り返ると?

昨年のリオデジャネイロ五輪をひと言で表すなら“悔しさ”ですよね。その前のロンドン五輪では、3つのメダル獲得と200m平泳ぎでの自己記録更新も果たし、華々しいといって良いほどの結果を残せました。なので当時は楽しくてうれしくて、プラス驚きもあって、そんな充実したことが今までなかったので、すごく気持ち良かったんです。

ただ、そのあとのリオデジャネイロ五輪までの4年間というのは、社会人になってからの環境の変化などになかなか気持ちと身体が一致させることができませんでした。その苦しい4年間の結果が、リオデジャネイロ五輪での100m平泳ぎで準決勝敗退、というとても悔しい結果につながってしまったのだと思っています。そこから得たものもあって。悔しさがあればあるほどやる気が出てきて、次の目標は課題も明確になりました。それらに取り組む姿勢、という面でも自分から進んで取り組んでいけるようになりました。

ーー当時25歳。引退、の文字も頭をよぎったのでは?

本来は競技はリオデジャネイロ五輪まで、という目標設定をしていました。ロンドン五輪が終わったあと、もう年齢的にもリオデジャネイロ五輪あたりがちょうど良いんじゃないか、とぼんやり想像していたんです。でも、いざ五輪本番で泳いでみたところ、もちろんそれが現状の私だったのですが、これは本来の私じゃない!って、準決勝のレースが終わってすぐに思ったんですね。それで、リオデジャネイロ五輪で引退かな、と考えていた気持ちを一気に振り切って「まだ、私はやれる!」と思いました。五輪会場に来てくださっていた神田(忠彦)コーチにそう話したところ、コーチも同じ考えをもってくださっていたので、そこで東京五輪を目指すことを決めました。

復活への道は「シンプルに考える」



ーー今回の世界水泳選手権では100mと200mの平泳ぎで代表入りしました。かなり苦しんだ末の出場権獲得だったとか。

今回、200mで久しぶりに代表入りできたんです。自分のなかでかなり大きな一歩だと思っています。なぜうまくいけたのかという話になると、ちょっと細かくなるんですけど。実は代表が決まる4月の日本選手権の直前、3月は心身ともにボロボロでした。こんなに練習しているのに、なんで試合につながらないんだろう、なんでうまく泳げないんだろうって。そんな想いを神田(忠彦)コーチに話し、そしてフィジカルトレーニングを担当していただいているトレーナーさんにも話したんです。すると、そのトレーナーさんは私の心のブレを見抜いてくださったんです。

ーー体ではなく、メンタルがブレていると。

そうです。そのときは陸上トレーニングのことで相談に行っていたんですけど、その陸上トレーニングの前に、まず思うことがあるんじゃないの?と、私の本音をそこからどんどん引き出してくれました。それで、最終的に自分は何をしたいの?と聞かれたときに「泳いで五輪でメダルを獲りたいです」と答えました。すると『じゃあ、そのためには陸上トレーニングも必要だけど、泳いでトレーニングしないことには記録は上がらないんだから、泳げば良いんだよ』という答えが返ってきたんです。とても簡単に、泳げばいいじゃんみたいな感じで。

それを聞いて『(2013年3月に大学卒業後)社会人としてどうあるべきかとか、メダリストとしてとか、大学の先輩としてどう後輩たちと接するべきか』とかいろいろ考えすぎだ、という自分に気づいたんです。何も考えず、泳ぐことだけに集中したら良いんだって思えたんです。そうしたら、身体の余計な力がふっと抜けて、大きな泳ぎだけどキレのある泳ぎができるようになったんです。だから、本当に私は身体のトレーニングも必要なんですけど、心のメンテナンスも非常に大切なんだとあらためて気づかされました。



ーーシンプルに「泳ぐ」ということに立ち返った。

やっぱり泳ぐことはすごく好きですから。それに、なぜ(今もトレーニングをしている)山梨学院大学を選んだか、というのも自分の能力をもっと引き出せるはずだって信じられたのが理由だったんです。

最近はよく「ベテランだから体力的にしんどいんじゃないの?」とか、「もう記録は出づらいんじゃないの?」とか言われることもあります。でも、一般的に見たらまだ26、7歳って、まだまだじゃないかって、そう思うんです。だから、今はそういう年齢の概念を覆そうという気持ちですね。それに、そうやって周りが言うことで、自分でも『やっぱり年齢がいっているからきついのかな』って、自己暗示をかけてしまっている部分があったと思うんです。なので、そんな想いを全部とっぱらって、高校3年生から大学1年生になるとき、ここで練習を積み重ねれば必ずもっと上にいけるはずという、シンプルで純粋な気持ちを思い出しながらこれからも練習していけば、どこまでいけるか分からないにしても、今よりは確実に上にあがれるだろうって思っています。

恩師の存在「やることはやれ」



ーー復活の道には、それを導いてくれる人がいると心強いですよね。山梨学院大学の神田コーチには大学1年生以来ずっと指導を受けています。どういう存在なのですか?

“神田”というコーチの名前にあるとおり、神的な存在でしょうか(笑)。日常的なことであったり、社会的なことであったりも含めて、非常にたくさん教えていただいています。私生活としては、実家の父とも年齢が近いので、本当に父親に近い存在でもありますかね。

ーーそんな恩師から言われた言葉で、印象に残っているものは?

たくさんありすぎて、どれに絞ればいいか分からないくらいですね。そうですね……これも、先ほどの話に出てきたことではあるんですけど、『初心を忘れずに、しっかりやるところはやれ』ということは結構言われていますね。私生活面では、人としての道を外れないことは大前提ではあるんですけど、社会的な視野を広げられるように、水泳部の部員として強くなることはもちろんなんですけど、その枠に留まらずいろんなところに目を向けることも大切だよ、ということは言われてきましたね。

ーートレーニングを続ける日々のなか、時間があれば所属されているミキハウスに出社して仕事をされているとか。

平日にある練習が休みの日を利用して会社に行って、仕事の手伝いをさせてもらっています。そのとき、自分の仕事をこなしながら、会社員の方々は、普段からどんなお仕事をされているのかなっていうのも見ていました。

やはり練習だけをしてプールだけに留まっていると、それこそ水槽のなかの魚みたいな状態になってしまいますので、外に出て普段会社の皆さんがどんな仕事をされているのかとか、同期や先輩たちとコミュニケーションをとることで、普段はどんな生活を送っているのかなって話を聞けます。そういうことが選手としての自分の刺激にもなっているので、そういう面でも今所属しているミキハウスにも感謝しています。

ーートレーニングに仕事。もちろん、それらを緩めるオフのときもありますよね。

休みの日は基本的に家にいることが多いですね。外に出るときは都内で好きな舞台を観たり、行ってみたいと思っていたところに行ったりとか。家にいるときはひたすらYouTube観たりゲームしたりしています(笑)。



ーー長期のオフになると、ご実家の福岡に戻ることはあるんですか?

年に1、2回程度ですね。実家に帰ったときは基本は家でゆっくりしています。あとは、親戚の方々とわいわい話したりご飯食べたり。何か手伝おうとすると母から「あなた座ってなさい」って言われるので、ちょっともどかしい感じがあるんですけど、そこは完全に甘えて過ごしています。

ーー年齢を重ねながら競技生活を続けていると……結婚についてあれこれと考えることも!?

私の姉も結婚していますし、同期や先輩方も結婚されていますので、憧れはもちろんありますね。ただ、今現状で私に結婚が必要かどうかって言われると、そんなになのかなって思ったりもするんですよね。水泳の枠だけにはまっているだけではいけないんですけど、そっちばかりにうつつを抜かしすぎるのもどうかなと思うので。私の場合、どっちかひとつしかできないと思うので、そうなると今は水泳のほうに専念すべきだなって現状では思っています。

でも、やっぱり友人が結婚するといううれしい報告を聞くと、憧れる想いが芽生えつつも、今はハッピーなオーラだけをいただいています(笑)。

目指すは東京五輪「徐々に詰めていく」



ーー今は競技に集中ということで。当座では7月23日からは、鈴木選手にとって3回目の世界水泳選手権が始まります。改めて抱負を。

世界水泳選手権は過去2回、100mも200mも準決勝敗退という結果なので、まずは決勝に進出して、決勝レースの雰囲気も味わいたいですね。あとは、決勝に残ったと前提して、今年こそは自己記録を出すつもりでレースに臨めたらなって思っています。少しでも良い結果で良い思い出を残していきたいです。

ーー世界水泳選手権の先には目標とする東京五輪があります。どういう大会にしたいですか?

出場した過去2回の五輪は、1回目のロンドン五輪は結果が良くて、リオデジャネイロ五輪は結果が悪かった。良い、悪い、ときているので、3回目の次は、良い思い出に持って行きたいなと。そのために、泳ぎも含めていろんなものを徐々に詰めていけたらなと思っています。



苦しむこともすべてがマイナスではない。鈴木の話を聞くに、そんなことを感じた。泳ぐことが好きなんだから、泳ぐ。シンプルな答えは、苦しんだからこそ本人に沁み渡っているのではないか。スランプはその言葉を得るための過程。リオ五輪後取り組む、瞬発系のトレーニングも結果を後押ししているという。ストーリーはこの夏の世界水泳選手権を経て、29歳で迎える東京五輪へと続いていく。



<プロフィール>
鈴木聡美 すずき さとみ
(ミキハウス)

1991年1月29日生まれ。福岡県出身。九産大九州高―山梨学院大―ミキハウス。山梨学院大学に進学後一気に才能を開花させた。1年生時(2009年)の日本学生選手権で100m平泳ぎの日本記録を樹立。翌年は50m、100m、200m平泳ぎで3冠達成。4年時に出場した2012年ロンドン五輪では、100m平泳ぎと女子4×100mメドレーリレーで銅メダル、200m平泳ぎで銀メダルを獲得。日本女子で最多のメダルを獲得した。その後、スランプ期間を過ごしたが、2017年の世界水泳選手権で復活を狙う。