「子供はスマートフォンを持っちゃだめ」それは単なる技術を恐れるモラルパニックに過ぎない

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著:Nicholas Bowman(ウエストバージニア大学 Associate Professor of Communication Studies)

 心配性の親たちにとっての朗報が、コロラド州が13歳未満の子供向けスマートフォンの販売を禁止する最初の州の1つになることだ。コロラド州の医療専門家であり、ひとりの父親でもある男が、自身の息子の一人からスマートフォンを取り上げようとしたときに「劇的で非常に暴力的な感情の爆発」と形容した驚愕の子供の発作反応を経験した後、「未成年者のスマートフォン所持に反対する親の会(Parents against Underage Smartphones)」(PAUS)と呼ばれる新しいロビー活動グループを立ち上げた。このグループは、スマートフォンが子供に与える悪影響を幅広く調査するためのリンクを提供している。

 その努力は善意から生まれてくるものであり、健全な幼児期の発達を支持している様子ではある。しかし、コミュニケーション技術の使用とその効果について研究を重ねて得た知見を持つメディア心理学者としての私の見解では、このグループの懸念は、新技術に対する過度の警戒、という過去に多く見られる歴史的パターンに陥っていると言わざるを得ない。人間の革新は急速に進んでいるが、ほとんどの人は新製品や新機能への理解が追い付いていない。その結果、我々のすべて、さらには社会全体にまで悪影響を与えることになるだろう、と恐れを抱くものに対し、モラルパニックの感覚を感じることになる。

 性教育についての研究から知り得たことと同様、単に恐怖を教え、何かを避けるように仕向けても、常に人々を負の結果から保護することにはならない。性的に禁欲するよう指導を行っても十代の妊娠の防止にはつながらず、却ってその頻度を増加させてしまう。新しい技術に関するモラルパニックの感覚は、これと同様、最先端・近未来のツールに積極的に関わって理解しようと働き掛けるのではなく、むしろ人々にそれらに背を向けるよう促してしまう。親たちやPAUSなどのグループの懸念は妥当ではあるが、テクノロジーを禁止することで対処すべきではないと考える。むしろ、子供と大人は、一丸となって協力し合い、新しい革新的なテクノロジーをもっと理解し、生産的な方法でそれらを活用する方法を学ぶ必要がある。

◆テクノロジーとパニックの歴史
 情報技術に関連するモラルパニックの最初期の例の1つがソクラテスの執筆に関する懸念である。この講義は皮肉なことに、「ファエドルス」として記録が残っており、この古代ギリシャの哲学者は、書き留められた言葉にはもともとの発話源からは遊離した情報が書かれていると言い、物事を書き留めることは人々の記憶を不可逆的に弱体化してしまうだろうと語った。これらは今日では少し風変りな心配に思えるかもしれないが、体系的な推論と口頭での討論を駆使することが知性の先駆者の証であった時代にあっては、このソクラテスの批判は注目に値するものだった。

 1790年代、人々は子供が自分の勉強や手伝いをそっちのけにしてとりつかれたかのように冒険小説の印刷物ばかり読書していることを懸念した。1920年代、人々はクロスワードパズルのやりすぎで無知蒙昧に陥ることを恐れた。1970年代にビデオゲームの「デス・レース」が批評家の「これは殺人シミュレーターだ」という槍玉に上げられた時、人々はビデオゲームが暴力を奨励しているのかどうか、という今なお続く議論を始めた。

 テクノロジーに関する社会的態度は、直接的な経験によって形成されるものではないのが常である。むしろ、メディアの報道、両親、教師、あるいはハリウッド映画から最も強い影響を頻繁に受けることで形成されるものだ。その結果、テクノロジーへの脅威に対する多くの認識は、実際の経験や理解ではなく、時にセンセーショナルなだけの逸話に基づくものばかりである。

 スマートフォンの場合、評価を下すのは特に難しいのかもしれない。なぜなら、スマートフォンというひとつのデバイスに優れた機能と悪い機能の両方が多数実装されているからである。

◆パニックと問題を区別しよう
 テクノロジーに対して懐疑的であることは実は重要だ。たとえばX線装置を使用して自分が購入すべき靴のサイズを知っておこうとする、などといった有害なやり方でのテクノロジーの誤用を避けることができるからである。実際、哲学者フィリッペ・ベルドゥ氏は、テクノロジーの進歩によって、いかなる発明も私たちのすべてを破壊する機会が増えるかもしれないと主張している。しかし、ベルドゥ氏の警告は懸念に満ちているようではあるが、彼は革新を回避しようと提案しているわけではない。むしろ、最も生産的な対処方法は、革新のもたらす結果が善悪のいずれに転ぶにせよ、特定の発明の使い道はどうあるべきかを深く理解することだと彼は言う。

 対照的に、モラルパニックには新しいテクノロジーを一切使用しないように人々に呼び掛けてしまう傾向がある。テクノロジーに背を向ければ余計なコストは回避できるだろうが、人々からテクノロジーの恩恵を受ける機会を奪ってしまう。たとえば、スマートフォンを手にしている子供やティーンエイジャー達は、それらを上手く使って教育活動に役立てている。そして、スマートフォンが子供たちを社会生活に溶け込ませ、友人との触れ合いを保たせるようにしている。安全性にも関わりが出る。学校の銃撃事件に懸念を抱いているアメリカの多くの学校区では、授業中にスマートフォンへのアクセスを禁止することを止め、生徒には緊急連絡用としてスマートフォンの使用を許可したり、さらにはその使用を奨励さえしたりする状況だ。

◆テクノロジーを安全に活用する
 新しいテクノロジーを大人の注意深い監督の下で子供が関与できるようにすることは、未知のものを禁止するよりも優れたアプローチとなる。アメリカ小児科学会は、コンピュータ、スマートフォン、テレビスクリーンへの子供のアクセスを制限することを提案している。しかし、画面に向き合うことを全面的に禁止するのではなく、両親と子供が協力してスマートフォンや他のデバイスをどのように使うのがベストなのかを理解するよう推奨している。

 学習しないようそそのかすと、モラルパニックは誤解や浅学につながる。ミレニアル世代は、人々が想定しているほどはテクノロジーを理解しておらず、なぜ年上の大人たちよりもオンライン上は安全性が低いと感じるのかの説明がつく。この関係は、恐怖が社会的通念にどう影響するかについての確立された研究に起因する。使いこなすスキルを議論せず、脅威にばかり目を向けることは、進歩ではなくパニックにつながる。

 スマートフォンについて言えば、子供たちが自分の世代全体を定義するのに欠かせないこのデジタルデバイスを使用することを禁ずるのは、奇妙なことだし、誤りだといえる。そして、情報が氾濫しているこの21世紀において、スマートフォンの使用禁止は就職と生活の準備を進めるにあたり、何一つ役立つことはない。

This article was originally published on The Conversation. Read the original article.
Translated by ka28310 via Conyac