薩摩犬はこんな犬

薩摩犬は、現在の鹿児島県が原産の犬で、古くから薩摩ではイノシシ猟の猟犬として活躍していました。泳ぎが上手なため、猟犬として重宝されたそうです。

大きさは中型犬サイズ。ピンと立った耳に、黒い瞳、立ち左尾で差し尾です。体毛は赤、または黒地に茶色が混ざった黒毛胡麻といわれる毛色、性格は 獰猛だが、穏和で従順なところもあるとされています。

1920年ごろには絶滅したと言われていましたが、純血種の血統を濃く残した犬が生き延びていることが分かり、1989年から交配を重ねて血統の安定を図ってきました。1994年に、4代目7匹に血統書が発行されています。
しかし、あくまで血統が近い犬ということで、他の犬との交雑が進み、本来の純血の薩摩犬の復活は難しいとされています。
2000年頃には、100匹近くまで増えたとされる薩摩犬の復活劇ですが、繁殖活動は続かず、残念ながら10年ほどで再び姿を消してしまったということです。

西郷隆盛と薩摩犬

上野公園の西郷隆盛像

みなさんご存知の西郷隆盛は、上野公園にある像の姿ではないでしょうか。西郷隆盛の傍らには、西郷に綱で引かれた薩摩犬がいます。余談ですが、じつはこの像、写真嫌いだった西郷隆盛の容姿の記録がなく、親戚の写真などから想像で作ったらしいですよ。

それはそうと、なぜ西郷隆盛は犬を連れていたのでしょう。
なかなか立派な体型をしている西郷隆盛、健康のために(ダイエット)愛犬を連れて歩いていたんだそう。
というのも、倒幕の先頭で戦っていたころはスリムだった西郷の体型は、明治維新が達成されるとすっかり肥満体型に。お酒は飲めなかったそうですが、食欲は相当だったようで、みるみる間にでっぷり、40歳代半ばの頃には歩くだけで息切れをするほどになったそうです。ついにはドクターストップがかかり、食生活の改善と運動を医師からアドバイスされてしまいます。

そこで西郷は、山登りや兎狩りを趣味にして、薩摩犬のメス犬「ツン」を連れ歩くようになったといいます。
ちなみに、上野公園にある西郷隆盛像の連れている犬は、オス犬なのでツンではないようです。
しかし“ツン”の銅像は鹿児島にありました。鹿児島県薩摩川内市の東郷町に、平成2年にNHK大河ドラマ「翔ぶが如く」の放映を記念して建立されました。ツンを西郷に献上したのが、東郷町の前田善兵衛という人だったことからこの地に建立されたとのこと。
またツンに限らず、西郷隆盛の犬好きは相当なものだったようです。次項で紹介します。

西郷隆盛と薩摩犬

西郷隆盛は、征韓論論争に敗れて薩摩へ戻ってからも薩摩犬と兎狩りをたしなんでいたそうです。
西郷が飼育したといわれている犬は、名前がわかっているだけで13匹いるといわれ、そのほとんどが薩摩犬でした。
鹿児島県の霧島には、薩摩犬を連れて兎狩りを楽しんだ西郷の話が多く残っています。

西南戦争にも愛犬とともに

明治10年に起きた士族反乱、明治政府vs.西郷隆盛率いる旧薩摩藩士族による西南戦争にも、西郷は犬を連れて行ったといいます。この戦いは、明治政府の勝利で終わりますが、城山の戦いで追い詰められて己の最期を悟った西郷は、連れていた犬の首輪を外して逃がしてやったという逸話が残っています。

まとめ

ダイエットから始まった薩摩犬との生活が、西郷隆盛最期の瞬間まで続いたというのはなんとも感慨深い話です。
愛犬の首輪を外すことを決めた西郷の心情、首輪を外された愛犬の思い、戦場の混乱の中でもの凄いドラマが展開されていたんですね。
薩摩犬は野生に近い(オオカミに近い)犬種で、気性が荒く、扱いは難しいと想像できますが、さすが明治維新を成し遂げた人ですね、そんな犬からも信頼され、深く付き合える漢だったのでしょう。

さて、薩摩犬が絶滅したと言われているように、明治期以降、西洋から犬が輸入されるようになったことで交雑が続き、純粋な日本犬は少なくなったそうです。
私たちの知っている日本犬、北海道犬や秋田犬、甲斐犬、紀州犬、四国犬、柴犬は天然記念物の指定を受けています。薩摩犬はこれに含まれていませんが、絶滅したとされる在来犬種ではわずかですが保存運動があり、薩摩犬に限らず各地でこういった動きがあるそうです。