1988-89年、1989-90年とNBAで連覇を果たしたデトロイト・ピストンズは、その強固かつフィジカルなディフェンスなどから“バッドボーイズ”と呼ばれた。

当時、NBAの新たなスーパースターとして台頭してきたマイケル・ジョーダンは、その圧倒的な個人能力で着々とNBA制覇を目論んでいた。しかし最初の3連覇を果たす前に、このピストンズに長く苦しめられることとなる。

この間、両者がプレイオフで対戦したのは4回。最初の3年はピストンズが考案した“ジョーダンルール”が見事にはまり、彼らの優勝を阻んだ。

当時すでに最強のオフェンスマシーンであったジョーダンを封じた、ジョーダンルールの概要はこうだ。

https://youtu.be/p2v0LOhjsJs

出典: youtu.be

・ジョーダンがゴールに対して真正面でボールを保持したら、“左ドライブ”をさせるように仕向け、その後ダブルチーム
・左45°でボールを保持したら、ミドルラインにドライブするよう仕向け、ダブルチー
・ポストでボールを保持したら、ダブルチーム
・ドライブに対してはダブルチームを仕掛ける。時には3〜4人がかりで

この決まりごとを徹底するほか、ジョー・デュマースとデニス・ロッドマンに交互にマークさせ、片方のディフェンスにジョーダンが対応してきたら、マークを交代して手こずらせる。やむを得ない場合はハードファウルでストップ。また、ピストンズのオフェンスではジョーダンの所ばかりを攻めて、体力を消耗させる。さらには、ボールが無い所で身体接触を繰り返した。

次第にリズムも失っていく。当時、オフェンスのほとんどをジョーダンに頼っていたブルズは修正が利かず、何度も敗北することとなった。

3年連続プレイオフでピストンズ相手に敗北を喫したブルズは、新しく採用した“トライアングルオフェンス”という戦術に磨きをかけ、ジョーダン以外の選手たちが得点を取れるようになり、翌年のプレイオフで見事雪辱を晴らすこととなる。

「やりすぎじゃないのか!?」とも思えるようなジョーダンルールではあったが、そのディフェンス力は本物だったし、今やフィル・ジャクソンの代名詞ともなったトライアングルオフェンスが完成したのは、この戦術のおかげだったのかもしれない。