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 意外と知らない通夜やお葬式でのマナー、業界の裏事情を綴った今、注目のサイト「考える葬儀屋さんのブログ」。現在、同サイトの管理人・赤城啓昭氏による、初の著書『子供に迷惑をかけないお葬式の教科書』(扶桑社新書)が好評発売中。人気連載の第17回をお届けします。

 「考える葬儀屋さんのブログ」管理人の赤城啓昭と申します。

 先日、葬儀会館に対して近隣の住民が営業差し止めの裁判を起こしたという報道がありました。建設中や建設済みの物件を含めて日本中で葬儀会館に対する住民の反対運動が時おり起こっています。

 実はこの反対運動が成功するのは極めてまれなのです。

 今回はなぜ反対運動がうまくいかないのかを、葬儀社と住民のやりとりを長年見聞してきた経験からお話ししたいと思います。

 反対運動がうまくいかないのは、葬儀社が建築基準法違反などの違法行為を行っていない限り葬儀会館の建設・営業を差し止める手段や法律は存在しないからです。

 葬儀社の住民への対応で必要なのは対話集会を開くことだけです。しかし法律上は建設に同意してもらう必要はなく、ただ集会を開いたという事実だけがあれば良いのです。そのため住民側の次善の策は、建設阻止はあきらめて対話集会を条件交渉の場にすることなのですが、実態は反対を主張するだけで物別れに終わり、結局葬儀会館を作られてしまうという結果になりがちです。

 このように法律に基づいて葬儀社側は粛々と事を進めます。

 なぜ法律は葬儀会館建設の差し止めを認めていないのでしょうか。

◆法律は感情論を認めない

 道路が混むとか土地の値段が下がるとか実害が発生するのであれば別ですが、葬儀なんて生理的に嫌で見たくないというのが反対運動の動機になっているケースが多いです。

 法律がこういった感情論を認めることはありません。

 例えば会社の同僚に生理的にどうしても受け付けられない人がいたとしてそれを理由に会社を辞めさせることは可能でしょうか。そんなことは無理ですよね。

 葬儀会館が差し止められないのはそれと同じことです。

 そして、葬儀会館が一旦できてしまうと反対運動は沈静化します。その理由は3つあります。

 1つは慣れです。最初違和感のあった葬儀の様子もそのうち見慣れてきて風景になってしまうのです。

 2つ目は反対派の急先鋒になる人は、あくまで私見ですが、日頃の言動が傍若無人で近所の人からもちょっと嫌われているケースが多いのです。

 そのため一部のノイジーマイノリティが騒げば騒ぐほど大多数の住民の気持ちが反対運動から離れていってしまうということが起きます。

 3つ目は葬儀屋さんが地域活動に参加していくにつれて好感を持たれ始めるからです。

 葬儀屋さんに就職するのは基本的に人の役に立ちたいという若者たちです。お祭りや交通整理など地元のイベントに参加していくにつれて地域住民と交流ができ、お互いを理解するようになり、最終的に地域社会に溶け込んでしまうのです。

 確かに葬儀社がパラシュートのように急にその場所に降りてきて営業活動を始めると、どうしても最初の頃は軋轢が起きやすいということはあるでしょう。しかし、ドミナント戦略といって放射状に周囲に次々と会館を建設していくと、すでに地元で受け入れられている葬儀会館の近くにまた葬儀会館ができることになります。その結果地元民の認知がどんどんスムースになっていくので、反対運動はますます起きにくくなります。

 では、法律で葬儀会館の建設を止めることができない住民側はどうすればよいのでしょうか?

◆資本主義の原理に任せておく

 一番良い方法は反対運動などしないで資本主義の原理に任せておくことです。葬儀会館が存在し続けるためには何が必要でしょうか。地元の住民に利用してもらうことです。つまり、地元の住民が必要だと考えるならその葬儀会館は存在し続けます。地元の住民が必要ない、もしくは存在自体を認めないと判断すれば、その葬儀会館は収入が得られずになくなってしまうでしょう。