「ポテトを頼んだら上司にキレられた」私たちが理不尽なニュースに憤慨する理由【魂が燃えるビジネス】

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いまの仕事楽しい?……ビジネスだけで成功しても不満が残る。自己啓発を延々と学ぶだけでは現実が変わらない。自分も満足して他人にも喜ばれる仕事をつくる「魂が燃えるビジネス」とは何か? そのヒントをつづる連載第8回

 先日、匿名掲示板おーぷん2ちゃんねるに『新卒の者だが飲み会でフライドポテト頼んだら上司にキレられたんだが』という投稿があり、話題になりました。

 内容はそのまま。とある新入社員が上司と二人で飲みに行ったら「なんでも好きなものを頼め」と言われ、そこでフライドポテトを注文したら「いつまで学生気分なんだ」と怒られたという話です。

 投稿者は「なんでも好きなものを頼んでいいんじゃないのかよ?」と憤慨していました。

 匿名掲示板の投稿なのでどこまで本当かはわかりません。しかし、ともかくこの体験談は賛否両論を巻き起こして瞬く間に拡散し、ツイッターでは「フライドポテト」がトレンド入り。テレビでも取り上げられました。

 新卒と上司、どちらの言い分が正しいかは私にはわかりません。というよりも、言い分というものは「自分の正しさを信じている」からこそ言い分なのであって、議論は基本的に平行線で終わります。

 その中で、自分が尊敬するご意見番に従ったり、多数決の結果で納得したり、あるいは反対意見を打ち負かして溜飲を下げるのも悪くありません。しかし、もし人生を変えたいのであれば、その理不尽さに共感した自分自身にフォーカスすることが大切です。

 理不尽なニュースを知って憤慨するならば、それは読み手自身が過去にどこかで似たような理不尽を経験し、またその時の感情問題が未整理であることを示しています。

 「好きにしていい」と言われて、実際に好きにしたら「そんなことやってんじゃねえ」と怒られる。こうした状況は珍しくありません。その相手は上司とは限りません。親、先輩、あるいは教師だったかもしれません。

 場面や相手は関係なく、「好きにしていいと言われて、そのあと怒られた」という状況だけで人は共感を覚えます。

 自分の中でわだかまっている感情が、ニュースをトリガーにして浮かび上がる。それが「理不尽だ」「許せない」「相手は馬鹿だ、愚かだ」という意見という衣をまとう。これが理不尽なニュースに憤慨するメカニズムです。

 今回のフライドポテト論争に限らず、理不尽なニュースは年に数回、世間を賑わせます。たとえば去年は「筆算で小数点以下のゼロを斜線で消さなかったら減点された」という子供の体験談が話題になりました。

 「1.2+3.8=5.0」の小数点とゼロを斜線で消さなかったら、テストで減点されたという話です。

 この話題もニュースサイト、ツイッター、テレビなど様々なディアが取り上げ、「子供がかわいそう」「教師はバカ」「文科省は愚か」という、子供の受けた理不尽に憤慨する意見がたくさんありました。

 このニュースは「子供が理不尽な目に会っている」ということを示しています。しかし、このニュースが話題になることは「私たち大人が、子供と同じくらい理不尽に苦しんでいる」ということを示しています。

 かわいそうな子供の裏には、同じようにかわいそうな目にあった自分がいるのです。

 上司も部下もフライドポテトも、生徒も教師も文科省も筆算も、そうした客観的なことは、自己成長には関係がありません。

 あなたがこうしたニュースをきっかけに使命に目覚め、日本の企業風土や教育制度を変えると決意し、自分の人生として問題に取り組むなら別ですが、そうでなければ当事者が解決する問題でしょう。

 しかし、私たちはそうしたニュースにすぐに同一化して、自分を忘れてしまいます。まるで当事者のように感情に振り回されて、何が正しいのかという議論に終始します。