突出した才能で清朝の最盛期を築いた康熙帝(Public Domain)

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 学生時代、「数学は苦手だった!」という人も多いでしょう。でも、「二元一次方程式の解を求めよ」という問題や、「元」「次」「根(解)」という言葉は覚えているのではないでしょうか。実は、これらの数学用語の由来は中国です。教育熱心なことで知られ、清朝の最盛期を築いた賢帝といわれる康熙帝(1654〜1722年)が中国語に翻訳して広めました。

 康熙帝は向上心が旺盛で、向学心に燃えた君主でした。ベルギー人宣教師、フェルディナント・フェルビースト(中国名:南懐仁)を宮廷に招いて師と仰ぎ、天文学、数学、地理、ラテン語などを貪欲に学んだと記録されています。

 康熙帝はまれに見る聡明な人物でしたが、外国人宣教師の授業を理解するのは難しかったようです。フェルビーストら外国人の中国語レベルには限界があり、日常会話はまだしも、難解な科学分野を教える時には、彼らの知識に中国語の語学力が追い付いていなかったためです。

 さらに、当時の教科書のほとんどは外国語で書かれており、中国語に翻訳されたものも、決して正確であるとは言えませんでした。そのため、講義中はいつも言葉の壁が立ちはだかり、なかなか先へと進むことができなかったといいます。

 もっとも、康熙帝は持ち前の忍耐力で努力を重ね、一度聞いて分からなければ、何度でも説明を求め、完全に理解できるまであきらめませんでした。

 フェルビーストが方程式を教えていたときのこと。説明がまわりくどく、言葉も不明瞭だったため、康熙帝は頭を抱えていました。「どうすれば先生に分かりやすく講義してもらえるだろう」。そのとき、ある考えがひらめきました。

 康熙帝はフェルビーストに、未知数の個数を「元」とし、未知数を掛け合わせた最高回数を「次」とし、方程式の左右を等しくさせる未知数の値を「根」又は「解」と訳してはどうかと提案しました。

 フェルビーストは康熙帝の言葉をすぐに書き留めました。そしてこれらの新たな言葉を使って、試しにそれまでの煩雑な説明と置き換えてみたところ、「二“元”一“次”方程式の“解”を求める」と、いとも簡単に説明することができたのです。言葉が簡潔になっただけでなく、説明が分かりやすくなり、授業の効率も大幅に上がりました。

 フェルビーストは康熙帝を驚きの目で見つめると、感激のあまりこの知性あふれる皇帝を思わず抱きしめ、「私は何十年も学び、教え続けてきました。ですが、あなたのような聡明な方には、これまで出会ったことがありません!」と感嘆したという逸話が残っています。

 康熙帝が作ったこれらの数学用語は合理的かつシンプルで、学習者に分かりやすい画期的なものでした。そのため、今でも広く使われているのです。

(翻訳編集・島津彰浩)