(撮影:加藤順子)
 
7月4日の正午前の東京・築地市場。すでに早朝のセリは終わっていたが、いまもターレと呼ばれる1人乗りの荷物運搬車が縦横無尽に行き交い、市場ならではの活気と喧騒は続いていた。
 
野菜などの段ボールが積み上げられ狭くなった通路を、そのターレを巧みによけながら、市場の少し奥まった場所にある古めかしいビルの会議室まで、緑色の自転車でやってきたのが山口タイさん(74)。老舗の鮮魚仲卸「樋徳商店」の女将さんだ。
 
東京都中央区の、銀座からも1キロほどという立地での開業以来、80年以上にわたり「日本の台所」役を担ってきた築地市場が、移転問題で揺れ続けている。
 
老朽化を主な理由として、江東区豊洲への移転が決定されたのが’01年。’16年11月には新規開業の予定だったが、直前に就任した小池百合子都知事(65)が、豊洲の安全性の確保が不十分であることなどを理由に移転延期を発表。これを受けて今年1月17日に、卸業者が陳列する魚介類などの食材を“セリ”で買い取る築地の仲卸業者を中心とした女性たちのグループ「築地女将さん会」が発足。タイさんは、周囲に推されて、その初代会長に就任した。
 
「私たちは、移転したら“食の安全”が守れないと、15年も前から汚染などについて勉強し、反対を訴えてきました。その後、盛り土がなされていなかったり、次々と有害物質の存在が明るみに出ましたので、移転してしまっていたらと考えるとゾッとします」
 
しかし、築地で暮らしてきた女将さんだから言えるそのよさを、どう伝えたらいいかを模索しているうちに、事態はどんどん進行していった。
 
今年6月20日。「築地は守る。豊洲は活かす」。小池都知事らしいキャッチーなフレーズで、築地市場は5年後をめどに「食のテーマパーク」を有する拠点として再開発すること、豊洲市場は冷凍冷蔵などの機能を強化した総合物流拠点とすることなどの基本方針が発表された。
 
7月2日の都議会議員選挙では、都知事率いる「都民ファーストの会」が圧勝。築地女将さん会の月1回の定例会が行われたのは、このわずか2日後だった。
 
市場内にある会議室には、定刻の12時までに、タイさんはじめ、旗揚げメンバーのほぼ全員の30人の女将さんたちが次々に集合した。仕事の途中で駆けつけたのか、前掛け姿のままの女将さんも。
 
「小池都知事の基本方針の発表で、市場移転問題が忘れ去られてしまわないよう、私たちは、ますます声をあげていかなければなりません」
 
会長の挨拶を口火に、さまざまな意見が飛び交った。
 
「都知事は、選挙で信頼を得られたと言っている。知事の基本方針を都民の6割が支持するというけれども、3割の反対意見も聞いてほしい」
 
「銀座あたりから流れてくるお客さまや、高齢の方も、豊洲では、やっぱり通えないと思うんですよ」
 
「都議会選挙が終わって、現実も見なきゃね……」
 
2時間の間、それぞれの話に眼鏡越しに相づちを打ちながら聞いていたタイさんが、最後にに再び口を開く。
 
「豊洲には『行けないんです』ということを、あらためてはっきり申し上げたい。汚染の問題もあるし、このままでは移転費用がまかなえなくて、廃業せざるをえない店も出てきます。そんな現状を、小池都知事に届けましょうね」
 
巻き起こる拍手を聞きながら、タイさんは、会の結成当初を思い出していた。
 
「もう男の人たちだけに任せてはおけない。その思いでみんな集まりました。男性ですと確執もあったりするんですが、女性たちはしがらみもなく、“女将さん”というキーワードでつながることができたんです」
 
築地を、食の文化を守ることは、命を守ること。消費者や業者との店先でのやり取りや、暮らしの声と密接に関わってきた女性だからこそ感じることがある。それを小池都知事に伝えたい、もっと広く世の中に届けたい。その思いは強くなる一方だった――。