女性誌『Suits WOMAN』で注目を集めた「貧困女子」。これは普通の毎日を送っていたのに、気がつけば“貧困”と言われる状態になってしまった女性たちのエピソードです。

今回、お話を伺ったのは、2年前にインタビューをした佐田友里さん(40歳・仮名)が再び登場します。彼女はの当時の生活の様子は、「汚部屋在住アラフォー女子、転職貧乏、貯金ゼロ」(2015年9月12日)で紹介しています。

取材時、彼女は吉祥寺駅から徒歩15分の古いアパートで、ゴミに埋もれて生活していました。グラフィックデザイナーとは名ばかりで、150社分のスーパーのチラシをデザインし、休みもなく働いているのに手取りの給料は16万円。モード系ワンピースが似合い、ほっそりしていて小柄な体型、セミロングの髪をキュッとまとめて大ぶりなフープピアスをつけており、いかにも業界人という雰囲気が記憶に残っています。

しかし、2年ぶりに会った彼女は少しふっくらして日に焼けていて、リネン素材の白シャツに、デニムのバギーパンツを合わせ、オレンジ色のウエッジサンダルをはいていて幸せそう。腕時計はスイスの有名ブランドのメンズサイズで、“コレ、彼のなんです”とニッコリ。

「あのときは、人生の暗黒期でしたね。親は病気になるし、当時付き合っていた彼には欲望の処理場みたいに扱われていて、会社も全然大切にしてくれなくて、みんなギリギリで仕事していて、他人を気使う余裕なんて全然なくて殺伐としていました」

当時、友里さんの主食は、スーパーの閉店間際に半額になった250円弁当。

「125円に値下げされた弁当を、買いだめして冷凍して食べていました。それなのに、パワーストーンのブレスレットや占いに何万円も投資して。ネイルにもお金をかけていました。パワースポット巡りもしていたけれど、人生があまり変わらなかったかも」

友里さんの人生が激変したのは、取材の後に、家に溜め込んだものを捨てたこと。

「汚部屋に住んでいると恥ずかしくて誰にも言えなかったのですが、あのときに話してすごくスッキリしてんですよね。あの年の年末までグダグダしていたのですが、大掃除のときに1か月かけてすべての不要なモノを捨てたんです。美大時代の作品、画材、資格の教材、昔のデザインソフト、パソコンのモニター、フィルム式の一眼レフカメラ、石膏像、おびただしい量の服の山がなくなって、本当にすっきりしたんです」

それらはすべて“私の過去の栄光だった”と続ける友里さんが感じたこととは…

「私がいちばんイケていたのが大学時代で、その時代に使っていたモノにすがりついて16年間過ごしていたんですよね。“あのときもっと頑張っていたら、別の未来があったんじゃないか”と、同級生と自分を比べて、不運を呪っていた。それと同時に、私なんかが幸せになるのはおかしいと思っていました。自信がなくて、自己評価が低くて……だからろくでもない男にモラハラ的な恋愛行為をされて、徹底的にバカにされても、私なんかを愛してくれるんだから彼の言うことを何でも聞いてあげなくては、私は生きている価値がないと思っていたんですよね」

友里さんが脱汚部屋のきっかけになったのは、二番目に働いた会社の美大卒の元上司が友里さんの学生時代の作品に強烈なダメ出しをしたこと。

「この人と付き合っていたんですよ。不倫だったんですけど、史上最悪にモラハラで。言葉の暴力が激しいし、働いている時はみんなの前で仕事にダメ出しをして優越感に浸ったり……私が彼のことを好きであることをいいことに、“おまえみたいなBBAを使ってやってるんだ”とかホントにひどいことを言われましたが、一番ムカついたのは、私の美大時代の作品について強烈なダメ出しをしたこと」

情事の後、場末のホテルで友里さんのスマホで撮影された作品の写真を見ながら、あれもダメ、これもダメと言い続けたとか。

「それが悔しいくらいに的確で(笑)。でも、さすがに20回くらいダメと言われると、こっちもキレてしまって相手のことをバッグで叩いて家に帰って来たんです。で、自宅で作品を見ると、不思議なことに輝きが失せている。あれは不思議な体験でした。それで、“あ〜もう作品は捨てよう”と思って、45リットルゴミ袋30袋分の作品を捨てました。一番処分が大変だったのは、大量の押し入れ収納ケースと本棚。押し入れの天袋まで入っていたから、20個くらいあったかな……粗大ごみの予約をして、指定日にゴミ処理券を貼って出すことを繰り返しました」

不安に駆られて購入した、自己啓発本と資格取得のテキストが300冊以上堆積していたとか……。

脱汚部屋しただけで仕事環境が好転、結果的に貧困から脱出できた!? 彼女の脱貧困の超簡単な方法とは?〜その2〜に続きます。