『サワディーアンコールツアー』のオフィスに、ほぼ毎日顔を出す丸山氏

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「カオサンにはもうバックパッカーと呼べる旅行者はいません」

 世界中から旅行者が集まるバックパッカーの聖地、タイ・バンコクのカオサン通りから徒歩2分ほど。日本人が運営する旅行代理店『サワディーアンコールツアー(Sawasdee Angkor Tour)』がある。

 数年前までカオサンには、複数の日本人経営の旅行代理店があったが経営が行き詰まり閉鎖。旅行者の多いカオサンだが、いまでは『サワディーアンコールツアー』1社が残るのみとなった。ゲストハウスに併設された同社のオフィスには、カオサンに宿泊する日本人旅行者が毎日のように訪れる。彼らを出迎え、ツアーの案内から時には旅の相談までのっているのが、日本人セクション代表の丸山氏である。

 第2回目となる「バックパッカーの聖地カオサンで根を張り生きる日本人」。今回はカオサンで唯一、日本人旅行代理店『サワディーアンコールツアー』の運営を担う丸山氏に話を伺った。

 忙しい合間にインタビューの時間を割いてくれたなか、丸山氏から放たれたのが「カオサンにはもうバックパッカーと呼べる旅行者はいません」という冒頭の言葉だった。それでもなぜ、彼は旅行代理店を続けるのか……。

◆人生がタイへと引き寄せられていく

 1975年生まれ、神奈川県厚木市出身。専門学校を中退した丸山氏は、ある大手企業のグループ会社に就職。20歳のときだった。

「販売成績は全国クラスで良かったんです。でも長いものに巻かれたくない性格だったので上司からは煙たがられてましたね」

 三連休など長期休暇があると、当時付き合っていた彼女と日本全国を車で旅して回った。長期休暇のたびに2〜3県巡り、会社を退職するまでの7年間で47都道府県を制覇したという。

「この会社は28歳で退職しました。その後、彼女と長期旅行へ行こうと話していて、僕はオーストラリアに行きたかったんです。でも彼女がどうしても東南アジアに行きたいとうるさくて、タイを含め東南アジアを回ることにしたんです」

 丸山氏が初めて降り立ったのタイは南部のプーケット。路上に並ぶ屋台の数々、重低音を響かせるトゥクトゥクのエンジン音、東南アジア特有の熱気、日本では考えられないようなことが立て続けに起こるアメージング・タイランド。

 丸山氏にとってすべてが新鮮だった。すっかりタイに魅了された彼は、帰国後タイ関連の書籍を買い漁り、就寝する前に読んでは、旅の計画を立てることが日課になった。タイの旅を夢想する日々は、それから3年間も続いたという。

「書籍を読み漁ったおかげで、一度も訪れたことのないカオサンの地理をほぼ正確に覚えてしまいました(笑)」

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 旅を共にした彼女とは10年の交際を経て29歳で結婚。結婚後すぐ子宝に恵まれたこともあり、子どものためにと環境の良い栃木県の田舎に引っ越した。しかし、丸山氏には田舎特有の古いしきたりが肌に合わず、次第にストレスを抱えることになる。

「じつは栃木県への移住を検討しているとき、チェンマイの旅行会社から『会社を買い取らないか』っていうお話をいただいていたんです。かなり迷ったうえでチェンマイ移住は諦めたのですが、それだけに栃木への移住を後悔しましたね」

 タイ移住を諦めた丸山氏だったが、タイは彼に魅惑の微笑をふたたび見せた。結婚し子供が生まれてからも、会社から長期休暇がもらえれば家族と共にタイへ赴いていた彼は、バックパッカー時代に出会った一人の男性から次の提案を受けることになる。

「うちの旅行代理店の権利を買い取らないか?」

 タイの地を踏むたびに「タイで働きたい」といった願望が芽生え始めていた丸山氏。提案してくれた森田氏こそ『サワディーアンコールツアー』の創業者である。彼が“タイの師匠”と呼ぶほど世話になり、信頼できる人物である。その森田氏からは数年前にも「うちの旅行代理店の手伝いをしてほしい」と誘いを受けていたのだが、子ども2人を持つ彼にとって現地採用という契約は厳しく断念。それから数年経ち、ふたたび森田氏からきた話しが「権利を買い取る」という提案だった。

 栃木県への移住を考えていた時はチェンマイの旅行会社から誘いがあり、数年後にはカオサンで旅行代理店を営む森田氏からの提案。旅行会社の実務経験を持たない者に、旅行会社を運営する者から何度も声がかかったのは、タイに惚れた男が呼び込んだ運と縁だったのだろう。丸山氏は『サワディーアンコールツアー』の買い取りを決め、40歳を目前にして家族とともにタイ移住を決意。それから2年ほどタイと日本を行ったり来たりしながら『サワディーアンコールツアー』の引き継ぎ作業を行い、2015年1月、丸山氏の生活の拠点は完全にタイへと移った。

◆タイ人と仕事上で付き合っていくことの大変さ

 初めての海外生活、初めての旅行代理店運営。なにもかもが初めてだった。カオサンで旅行代理店を運営することは楽しいことも多いが苦労も絶えないと言い、苦笑いを浮かべながらあるエピソードを話してくれた。

――ある日、契約しているタイ人運営のツアー会社から電話が入った。取引業者のタイ人はツアー客をホテルへピックアップに行かなければならないはずなのだが、彼は信じがたい言葉を発したのだ。

「道に迷ってホテルへ行けないから、ツアー客に日程を変えてもらうよう言ってもらえないか?」

 日本人の丸山氏から見れば、耳を疑いたくなる言葉だっただろう。信じがたい事例だが、タイ人運営のツアー会社相手だと珍しいことではない。タイで働く日本人が「タイ人のいい加減さ」に直面し、ストレスを抱くことは多いが、丸山氏も例外ではなかった。頻繁にトラブルを起こす取引業者に対しては、反省や改善を何度も促していく。

 面倒臭い作業だが、トラブルを起こしても非を認めないタイ人が多く、叱責しても逆効果となるため、状況証拠を積み重ね、説明し、改善につなげていくしかない。その甲斐あり数年前に比べトラブルは劇的に減った。一方、減ったトラブルの代わりに増えたモノもあるという。

「タイへ移住してから白髪が増えましたよ(笑)」

 経験したトラブルの数々は、丸山氏が茶髪に染めた理由にもつながっていった。

◆だから彼はカオサンを選んだ

 カオサンに安宿が乱立し始めたのは1980年代。それと共にカオサンへ訪れるバックパッカーも爆発的に増え、カオサンには彼らが持ち寄る情報であふれていた。

 ここで情報を得て次の目的地へと向かう。情報を一切持たずとも、とりあえずカオサンまで来ればなんとかなった時代だ。ところが2000年を過ぎると時代は急速に変化を見せ始める。インターネットが現れ、情報は「人」からではなく「PC」から得るものになっていった。

「最近の若い旅行者たちは『Wi-Fiが無ければ旅行なんて無理じゃね?』って言います。私がバックパッカーだった頃、2000年以降ですがその時でも旅先のインターネットカフェを利用していたので、今の若者とさほど変わらないかもしれません。なので、本物のバックパッカーっていうのは1990年代に旅をしていた方が最後なんだろうと思っています」

 片手でスマホをいじれば情報を得られる時代になった。カオサンに宿泊せずとも情報は簡単に手に入る。そんな時代に、カオサンで旅行代理店を営むことの意味とは何なのか。

「森田さんから会社の権利を買い取った際、スクンビットなどバンコクの中心部に移転することも視野に入れました。それでもカオサンから移転しなかったのは、カオサンには日本人経営の旅行代理店がうちしかなく、ここへ訪れる旅行者に安心・安全で格安のツアーをご案内していきたいからです」

「カオサンにはもうバックパッカーと呼べる旅行者はいません」

 そう丸山氏が言ったように、彼が定義するバックパッカーはいなくなり、バンコクへ来る旅行者の多くはスクンビット周辺を宿泊地に選ぶようになった。ピーク時に比べればカオサンから旅行者は減っただろう。

 それでもなお、丸山氏は『サワディーアンコールツアー』で旅行者と向かい、カオサンで根を張り続ける。『サワディーアンコールツアー』には日本人スタッフが他にいないため、丸山氏はほぼ毎日事務所に出社。休みはほとんどない。

「長期休暇が取りづらくなかなか家族旅行に行けないこともあり、嫁さんのフラストレーションが爆発寸前でして(笑)。7月の三連休は家族で遊園地でも行ってこようと思っています」

 この男は、間違いなく心からカオサンを愛してる。

【西尾康晴】
2011年よりタイ・バンコク在住。『Gダイアリー』元編集長。現在はバンコクで旅行会社を運営しつつ各媒体で執筆活動も行っている。Twitter:@nishioyasuharu

<取材・文/西尾康晴>